セオフィラスの結婚 ②
「お兄ちゃん、レクサと関わるのが何か、苦手みたいなんだ……。レクサも、お兄ちゃんに避けられてるみたいに感じちゃうみたいで、すぐつんけんしちゃって」
「別にそういうものじゃない? あたしだって実家にいたころはろくに家族と話なんてしていなかったし、十分、仲がいいでしょ。芋臭い田舎の家庭っていう感じで」
「そういうものなのかなあ……?」
「それより、セオフィラスとエクトルの、あの夜の……うるさいんだけど、どうにかならないの?」
「部屋を移動してもらうくらいしか……」
「最悪なんだけど」
モニカもすっかりアドリオン邸に居ついていた。
レクサに誘われたささやかな茶会に彼女も呼ばれて参加していた。レクサは茶会にすぐ飽きたようで屋敷から外へ遊びに行ってしまい、ゼノヴィオルとモニカは残って話している。
「ていうか、独立とか、そういうのってどうなってるの?」
「動いてるけどアドリオンだけでできることでもないから。数日したら協議のためにクラウゼンへ行くことになってるし。だからそれまで、何かと準備だとか留守中のことだとか、色々とやらないといけなくて……」
「結局、このアドリオンと、クラウゼンと、ドーバントンに、カウエルが同盟を結んでそれぞれに独立だったかしら? デールゼンはどうなるの?」
「そこも問題で……。結局、デールゼン卿はこっちにつかなかったけど、イグレシア以西を同盟諸国にしておかないと防衛の観点でも危険だから接収しようって方針にはなっているよ。けど、そこを誰が統治するか、って。お兄ちゃんが同盟の盟主って立場になるつもりだからアドリオンが接収すると権力が強すぎてボッシュリードと同じようになっちゃうんじゃないかとかって懸念もあるし、かと言ってクラウゼンにあげちゃうのも怖すぎるし……。ドーバントンにしろ、カウエルにしろ、やっぱりどこも懸案事項は多いんだよ」
「じゃあ、新しく立てちゃえば?」
「そんなの一体、誰が……。やっぱり領地を持っていた貴族じゃないとまとめきれないだろうし、まして、デールゼン領を丸ごと治めなきゃいけないんだよ? 領主がいきなり変わって、戦争になれば最前線にされちゃうような難しい土地を取り仕切りたいだなんて物好きな野心家、そうそう……」
適任がいるかも知れないと――ゼノヴィオルは途中で気がついて口をつぐんだ。
手腕も、カリスマも申し分はない。およそ、内政というものについては非の打ちどころがない。武力という点が懸念されるものの、どうにかできてしまうのではないかとも考えられる人物が頭に浮かんだ。
「何よ?」
「……先生」
「先生? それって、クラウゼンの?」
「うん。……来年になればもう、お兄ちゃんの後見人って役目も終わるし、目的にしてたアドリオンの傀儡化もできなくなっているし」
「そもそも、ベアトリス・クラウゼンって一度はデールゼンに嫁入りしたんじゃなかった?」
「え?」
「え、って……知らなかったの?」
「出戻りって聞いたことはあったけど……デールゼンだったんだ……。そう、なんだ……」
何やら放心するようにゼノヴィオルが呟き始め、モニカは眉根を寄せた。彼女は少なからぬ、ゼノヴィオルに好意を抱いている。頼りなくて、性根は臆病な弱虫なところを知っているが、だが少年のやさしさや、賢さを知っている。そして度々、自己犠牲的な思考に憑りつかれることも彼女は理解していた。
その危うさを知っているからこそ、目を離せなかった。それがいつしか彼女の中で恋心として膨らんでいったが、ゼノヴィオルの気持ちがどこへ向けられているか、アドリオンに着いてからようやく掴んでしまった。自分に向けられていないことは知っていたが、その相手が誰なのかは分からなかったのだ。
「でもほんの何日かだけとか聞いてたし……先生は昔から大人だったし……過去の1つや2つは……」
「ねえ、ゼノさあ……」
「けどもう今の先生の年考えたら、誰がお嫁さんに……」
「ゼノったら」
「っ、あ、うん……?」
「あたしがダメなら、さっさとそう言って」
「…………う、うん?」
「だーかーらー、あんたがうじうじうじうじしてて、色々とあるだろうけど、あたしの進退が何もならないの、今。その先生が好きなら、そっち選んで。……知らないわけじゃないんでしょ、あたしの……その、気持ち」
目を逸らし、いじらしく口を少し尖らせるモニカにゼノヴィオルは言葉を失う。
少年は鈍感ではないし、頭も良かった。少女の気持ちは当然、知っていた。だが色々なことを言い訳に考えないようにしていたのも事実だった。それを見透かした上で彼女はハッキリと突きつけたのである。
「……えっと、でも、先生とは、年も違うし……僕は先生からすれば、ずっと教え子だろうし」
「でもあたしを選んでもないよね? うやむやにしないでよ……」
「ん、うん……」
「今すぐとか言わないけどさ……。それに、あたし、あんたの大事なお兄ちゃんみたいに、発情するのも嫌だしね」
テーブルに手を突きながら彼女は椅子を立ち、カップを傾けて残っていた茶を飲み干した。
残されてゼノヴィオルは嘆息をしながら椅子に浅く座り直した。そうして空を眺める。手を切り落とされた左腕を持ち上げ、ぼうっとそれを見つめる。
『――ゼノヴィオル・アドリオンの変わりようについて、わたくしが負うべき咎はどのようなものとなってしまうのか』
戦の始まる前、ベアトリスとこの庭で言葉を交わしたことを思い出す。
きっと彼女はいつになく本音を漏らしていた。そしてゼノヴィオルはその彼女が見せたやさしさにつけこむ頼みごとをした。
もっと違うことを話せば良かったと少年は今さらに悔いている。ベアトリスはイグレシア城からヘクスブルグへ帰り、このアルブスの都には戻ってきてはいなかった。
セオフィラスの補佐はゼノヴィオルができる。カートもいた。彼女が何かを手伝う必要はもうなくなってしまっていたのである。
「僕なんか……幸せになる資格はないのに……」
苦しみと、痛みの満ちる茨の道こそが自分にはふさわしい。
未だ少年は、頑なにそんなことを考え続けている。
「こ、ここっ、この、このの、この、度は!!」
「緊張しすぎでは?」
「……すまん、もう1度」
「別にこんなことに練習は不要かと存じますが……」
「いや、ダメだ」
「そうですか……」
若い2人は、かれこれ半刻は収穫間近の麦畑の只中にいた。
最近、もっとも話題に上がる2人――カタリナとヨエルであった。凱旋パレードから帰還した日、ヨエルはセオフィラスとゼノヴィオルを屋敷の前でずっと待っていたカタリナに、公衆の面前でプロポーズをした。
いくつもの死線を超えた戦いだった。その帰途でヨエルがずっと考え続けたのはカタリナのことだった。そして帰還し、彼女を姿を見たヨエルはそれまで、さんざんに周囲からヘタレだ云々と言われていたにも関わらずプロポーズに踏み切った。
その場でカタリナが返事をすることはなかった。
無言で会釈をし、淡々と彼女の大事な坊ちゃん達の出迎えに戻ってしまったのである。
ヨエルは荒れた。
祝勝の宴の最中、ずっと酒を煽り続けていた。しかしその宴の最終日に彼女はヨエルのところへ現れ、プロポーズの返事を伝えた。
やけ酒が祝い酒に変化して、ヨエルはその瞬間だけは確実にアルブスの都で一番の幸せな男になったのである。カタリナはヨエルのプロポーズを受け入れたのである。
そして、今日――ヨエルはカタリナの両親に婚約の報告をするつもりでいる。
のだが、ここでヘタレっぷりがまた顔を出し、婚約報告の練習なんてものを始めていた。
「こほんっ、ん、ん゛……こ、この度、か、カタリナさんとけ、けけけ、こんを……ああ、ダメだ」
「……あ」
何度も練習で失敗し、ずっと家へ近づけないでいるヨエルを待っていたカタリナは、自分の家から両親が出てきたのを見た。あらかじめヨエルを連れていくことは伝えていたのである。だが遅いので気になって出てきたらしかった。手を振って両親を呼び寄せるが、ヨエルは気がついていないらしかった。
「ヨエルさん。ヨエルさん、いいですか?」
「いや、まだもうちょっと……」
「とにかく、中断してください」
「だけどまだ……あれ?」
肩を叩かれてヨエルが振り返れば、そこにカタリナの両親はいた。農業に従事するしがない小作人である。
「娘をよろしくお願いします、ヨエルさん」
「泣かない娘ですが、泣かせないように頼むよ」
「紹介します。両親です」
「…………こ、ここの、このののの!」
婚約報告は失敗に終わるのだった。