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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期5 独立戦争
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衝突 ⑤


 形勢は逆転しようとしていた。

 クラウゼンの大援軍とともにビートとカフカが戦場へ舞い戻り、彼らの活躍によって敵兵が木っ端のように吹き飛ばされていく。恐慌と混乱が広がりきった戦場を眺めたエッセリンクは、この敗戦を悟ったが、ただそれを受け入れることにして傍観した。


 それでもユーグランドの軍勢は数が多かった。彼らは敗北を知らず、ゆえに勝者に与えられる報酬のことしか頭にはなかった。それは陥落させた拠点にいた人間の自由を縛れるという特権である。女は好きなように慰み者に使えた。子どもは奴隷にしたり、遊び半分に犯すこともできた。男に至っては玩具にできた。決闘させてみたり、さんざんに怯えさせてから殺したり、苦痛を与える様子を眺めて大いに笑うことができた。

 そんな惨めで愉快な敗者に自分が回ることはないと――彼らは思っていた。

 しかし今、その立場が変わるかもしれないと言う恐怖に突き動かされて、必死に抵抗を続けていた。


 そんな哀れな末路を迎えぬようにと、必死に戦う男がいた。

 多少は、腕に覚えがあった。しかし突出した力はなかった。徴兵されてきたと思しき壮年の敵兵を切り殺した彼は、雑多に荒れすぎてしまっている戦場を眺め、そして――金髪の若い男を見つけた。ずっと、味方を鼓舞していた、恐らくは立場が少し高いであろう敵兵だったはずだと彼を見て推測する。

 あの男さえ殺せばひっくり返るかも知れない。

 そう考えて、彼は重い鎧で一歩ずつ歩き出し、そして歩幅を広くして走った。疲弊しきっているのは目に見えている。戦うこともせず、ただ険しい顔でさっきからずっと周囲を見るばかりだったのだ。しかし、後方から向かう彼には気がついていなかった。


「ハァッ、ハァッ……死ぃねええっ!」

「っ――!?」


 声を出しながら彼がヨエルに剣を突き刺そうとした。

 腰だめに切っ先をヨエルへ向けて突進していったのである。しかし剣がヨエルに刺さる前に影が飛来して男の喉の下を貫いて仰向けに倒した。絶命した男を突き刺したのは槍だった。


「何をぼけてんだよ、ヨエルちゃん?」

「……お前、ヤフ、ヤー……」


 離れたところに立っていたヤフヤーを見つけ、ヨエルが信じられないとばかりに声を出す。体は煤で黒く汚れ、その身なりもかなりボロボロになっていた。髭も炎に炙られたか多少、短くなっているようにも見えてしまっている。


「無事だったのか……!? 遅いぞ!」

「遅刻をまず叱るのかよ、お前……。こちとら、満身創痍を引きずってき――」


 歩いていったヤフヤーはいきなりヨエルに弓矢を構えられて止める。矢が放たれ、顔の横を通過すると背後で何か倒れた音がし、振り返ればユーグランドの兵が脳天を射られていた。


「話の前に、生き残った方がいいと思うぞ」

「まったくだな……」


 背中合わせになり、2人はアイコンタクトを交わした。











 アストラ歴436年の夏を少年は決して忘れないだろうと思っている。

 ほんの6歳のころの記憶。それは脳裏に焼きついているのは醜く肥えた白髭の男にひれ伏している父の姿と、その男が引き連れてきた兵士が踏み荒らした庭の花壇である。

 そして最後の父の言葉。


『いいか、セオフィラス。

 決してお前の父は、お前を恨みはしない。よく勇気を振り絞った。

 わたしがもし、この運命を恨むのであれば……それは力のない己のみだろう。

 何もお前に非はない、何もお前に恥じることはない。

 だから覚えておくんだ、セオフィラス。

 強くあれ。心も体も強くあれ。

 それが父の全ての望みだ』


 言い聞かされ、それから最後に抱きしめられたことを覚えている。

 その時、父の体が震えていたことが、やけに鮮明に覚えている。父はその後、消えた。死んだという報せだけが届いて、しかし幼くて理解は追いついていなかった。失ったという感覚さえなかった。


 強くあれと望まれた。

 その真意には確信が持てていない。

 父には力がなかっただろう。しかし、あったから何か変わったのかと手足が伸びた今になってセオフィラスは考えてしまう。

 とうに腕っぷしならば父など軽々と超えている。それでも弟の左手を失った。兄のように慕っていたヤコブを失った。戦のために集めた領民が何百人と死んでいる。

 どれだけの力を手に入れたとしても、抗うことはできなかったのではないかと感じてしまう。結局、そうなってしまう運命にあるのではないかと。


 だが――少年は考える。

 自分が修羅と成り果てようとも、仇は討たなければならない。

 過去に犯した大きすぎる誤ちを正さない限り、きっと永遠に自分は無力な子どものままで終わるのではないか。



 己が理想とする未来を手に入れるためには、過去と決別をしなければならない。

 そうして無力感も、憎悪も、怒りも、一度全てを切り捨てないと歩めない。



「――終わらせてやる、ユーグランド」


 馬で追いついてきたゼノヴィオルのお陰で、とうとう、ユーグランドの前に立てた。

 峡谷の狭い一本道でユーグランドは腰を抜かし、転がっている大岩に背を押しつけている。その前に兄弟は立っていた。


「……っ、殺すか? やってみろ、だが、ボッシュリード王国が、今度は国が、貴様らの敵となるぞ。そして死ぬのだ。結局は変わらん、何も、何もかも、とうに終わっているのは貴様らの方だ……」


 開き直るようにユーグランドが言う。

 殺すのはもう簡単だった。どこにもユーグランドの部下はおらず、ユーグランド自身に、この兄弟を相手に身を守るだけの力はないのだ。


「このわたしに盾突いた、あの時の教訓は得られなかったようだな、セオフィラス・アドリオン。

 恭順的な姿勢を保てていれば生きながらえることもできただろうに……。愚かしい、父親とそっくりだ。喜ばしいものだな?」


 憎しみも、怒りも、一時は激しくたぎっていた。

 だがいつでも殺せてしまう状況が整い、セオフィラスの中でそれらが冷めていくのを感じた。冷めるだけで消えはしないが、感情が麻痺したかのようにユーグランドの吐き出す言葉が響かなかった。ゼノヴィオルも同じなのか、嘲弄するユーグランドをただ見下ろしているばかりだった。


「お兄ちゃん……」


 兄の心境を察してか、ゼノヴィオルがそっと呼びかける。


「分かってる」

「……そう」

「殺す。でも……今じゃない」

「すぐに殺せ、犬めが!」

「日暮れとともに、お前を殺してやる」


 ゼノヴィオルが馬に括られている荷物から縄を見つけてセオフィラスに渡した。両手を縛り、そのまま胴体もキツく縛った。喋れないように猿ぐつわも噛ませ、足首もまとめて縛った。ユーグランドから計2本伸びたロープを馬と結び、兄弟は跨って馬を歩かせた。ユーグランドはずるずると引きずられ始めた。地面に削られ、擦られながらユーグランドは大河イグレシアへと引きずられていった。



 その道すがら、兄弟は言葉を交わさなかった。

 もうすぐ父の仇を討てる。両軍の兵の前で、ユーグランドを処刑する。それで終わることになる。

 この段になると呆気ないもので、どうしてこんな男のために多くの人命が失われることになったのかと悩むほどだった。その懊悩が、あまりにもこの兄弟には苦しいものだった。

 個人として弱すぎる。

 こんな存在に父が殺されたのかと思えばやるせない。

 こんな存在に弟が苦しめられてきたのかと思うと吐き気がした。

 殺しても殺せないほどのものであれば、いくらでも殺し続けて憂さを晴らせたかも知れない。だが、現実に捕まえたユーグランドは肥えた醜い豚も同然の、取るに足らぬものとしか思えないのだ。


 こんな豚に幸福な、穏やかな暮らしを奪われたのだという思いがやるせない感情を与えた。




「――両軍に告ぐ! 武器を収めろ!」


 戦場へ戻ったセオフィラスは引きずってきたユーグランドを片手で掴み上げ、膝立ちにさせながら声を張った。


「戦は終わった! プエルコ・ユーグランドはこちらの手にある! 速やかに抵抗をやめて武器を捨てろ!」


 すでに戦場の決着もつこうとしていた。

 ユーグランドの軍勢は大部分が敗走し、逃げられずに抵抗をしていた者もいたが多勢に無勢で鎮圧されかけてもいたのだ。セオフィラスの声が届くと、彼らは諦めて武器を放り出した。


 そして勝鬨(かちどき)が上がった。

 武器と武器を打ち鳴らし、地面を踏み鳴らし、喉が枯れんばかりに彼らは叫び立てた。




 アストラ歴444年、火節のことである。

 後の世に、イグレシアの戦いと呼ばれることとなる戦が終わった。

 ボッシュリード王国の辺境領主でしかなかった、弱冠14歳の少年がユーグランド将軍を数的不利な戦で打ち破り、近隣諸領とともに独立を宣言することとなる戦である。

 そしてこの戦が大陸全土を巻き込む、大戦乱の時代の幕開けとなるのだった。


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