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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
幼少期2 ベアトリス・クラウゼン
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ベアトリスの視察 ③



「カタリナだったわね、あなたは」

「はい」


 馬車の中でカタリナは息を詰まらせたかのようなつまらなそうな顔をしている。その表情がベアトリスは気に入らなかったが、彼女はそれを指摘せずにまず彼女を味方につけてしまおうと算段をつけていた。


「年はいくつかしら?」

「18です」

「そう。そろそろ、どこかへ嫁入りするような年ね。誰かいい人でもいたりするのかしら?」

「いらっしゃいませんが、何か?」

「……あ、あらそう」


 少しベアトリスはやりにくさを感じている。

 年頃の娘ならば、この手の話題には嬉々として乗ってくるものと彼女は考えていたのだ。しかしカタリナの凍てつくような眼差しと、あからさまに興味を感じさせない事務的な応対で完全に当てが外れたと知る。


(何よ、やりにくいわね……。というか、そもそも、どうしてこのわたくしにあんな目を向けられるというの? いえ、ダメよ、ベアトリス。セオフィラスはエクトルのためにも、わたくしに陶酔するようにしなければならないのだから。そのためには世話を焼いている彼女から籠絡するのが正攻法なのよ)


 自分に静かに言い聞かせてからベアトリスは話題を探す。

 そしてふと、彼女が傍らに置いているバスケットに目が向いた。昼食用に持っているのだろうとすぐに思い至る。


「そのバスケットにはお昼ご飯が入っているのかしら? メニューは?」

「存じません」

「っ……」

「中を改めますか? クラウゼンのお嬢様であられるベアトリス様のお口に合うとは思えない田舎料理でありますが」

「……けっこうよ」


 取りつく島もなさそうなカタリナにベアトリスはやはりやりにくさを感じる。


(ちょっとあれこれ言い過ぎたかしら。田舎料理だとか自分から言ってくるんじゃあ、わたくしがそんなものにがっつこうとしているみたいに思われてしまうじゃない。そこは方便でも、このわたくしの舌に合うように作ったものですとか何とか言えばよろしいのに……)


 再び話題を探してベアトリスはこほんと咳払いをした。


「あなたは、屋敷では長い方なのかしら?」

「……10歳のころから働かせていただいています」

「あら。それならけっこう、屋敷の中については詳しいのね。何か面白い恋模様だとかを見たりはしませんでした?」

「興味がありませんでしたので」

「っ……」


 またもや話題をぶち切るような答えを言われ、ベアトリスは額に青筋を立てかけた。しかし顔に出さずにそれをこらえる。


(ま・た・な・のっ!? 自分のことを隠したがっても他人のことならば嬉々としてぺらぺらぺらぺらと普通は喋れるものじゃない! それとも何、このわたくしが嫌いだから話もしたくないというわけ? だとしたら露骨すぎるわ。――そうよ、この手があったじゃない)


 ほんの僅かに口元へ微笑を浮かべてからベアトリスは大仰にふぅっと息を吐いて見せた。


「……あなた、わたくしが言うのもなんだけれど愛想がなさすぎるのではなくって?」

「……そうでしょうか」

「ええ。だって話しかけてあげているというのに、その話を膨らませようという気さえないのだもの。確かにわたくしはあなたの主ではないけれど、それでもご主人様と同等か、それ以上の態度で接するのが今のあなた方の置かれた立場ではないのかしら? わたくしは、このアドリオンを再建するためにわざわざ来て、わざわざ視察に赴いている最中なのよ? 恩を感じろだなんて恩着せがましいことは言わないにせよ、それなりの対応をして当然。そんなことも分からないのでは、アドリオンの今後が思いやられるというものだわ」


 哀れむようにベアトリスが言い、芝居がかった仕草で額を押さえて見せる。


(ふふ……これならどうかしら、カタリナ? あなたはきっと、己の職務に忠実であろうとする立派な使用人。で、あるならば――己の誤っていた判断に怖れをなし、過ちを真正面から指摘したわたくしに感激をしながら心酔するはずよね)


 そんな彼女の思惑と裏腹に、カタリナは冷めた、据わった目をした。


(な、な……何よ、何なのよ、あの目つきは?)


 またもや思惑が外れたかと内心焦りつつ、ベアトリスはしかめっ面でカタリナを見据える。


「お言葉ですが、ベアトリス様」

「何かしら?」


 ようやく会話に乗ってきたと、それでもベアトリスは自信を持っている。

 言い争いでなら彼女は負ける気がしなかった。まして教養を身につけているはずのない、田舎領主のところの使用人が相手ならば。


「わたしはアドリオンの今後などを考える高尚な人間ではございません」

「は、はあっ……?」

「わたしが考えるのはアドリオンの未来などではなく、セオフィラス坊ちゃんや、ゼノヴィオル坊ちゃん、それにレクサお嬢様、オルガ様……皆様がご不自由なく暮らせるようにすることのみです」

「そ、それはつまり、アドリオン領の――」

「ですから、それほど大きなスケールでの考えごとはできないのです。何せ田舎領主のところの、田舎娘に過ぎないので」



 そこでベアトリスは確信した。

 カタリナは完全にこちらの胸中を見透かしている、と。


 興味がないから話題に乗ってこないのではない。

 職務に忠実だから話題に乗ってこなかったのではない。

 はじめから、ベアトリスの魂胆を――どの程度、精確にかという点ははかりかねるが――知った上で、わざと素っ気なくすぐに話を切り上げてしまっているのだ。自分を卑下することで口論に持ち込ませずに話を切り上げようとする口ぶりからもあからさまであった。



「……あなた、惜しいわね。色々と」

「そうですか」

「ええ。対等な立場で会ってみたかったわ」

「お褒めに預かり光栄です」

「あら、誉めていると思ったのかしら? 逆よ? うふふ……」

「難しいお言葉をお使いになるので、わたしの頭では理解しきれませんでした。ありがとうございます、と言わせていただきます」


 静かに交わった視線が、互いに冷ややかな表情のままにバチバチと火花を散らす。


「それならそうと、もう取り繕う必要もありませんわね」

「取り繕っていらっしゃったとは驚かされます」

「っ……! ま、まあとにかく、カタリナ」

「これ以上、何でしょう?」

「命令よ。セオフィラスにわたくしの印象が良くなるように吹き込みなさい」

「…………」

「返事はどうしたのかしら? わたくし、あの子に何だか警戒されているような気がしていますの。あなたが言うところの、屋敷のご主人様達が快適に暮らせるようにするためには、しばらく滞在しなければならないこのわたくしとも、彼らが打ち解ける必要があるとは思いませんこと? だから、そのための手伝いをしなさいと命じているのよ?」


 勝ち誇ったようにベアトリスが言うとカタリナは無表情のまま僅かに視線を逸らした。

 目を逸らしたのは言い返すことができないからだろうとベアトリスは悦に浸る。


「返事はどうしたのかしら?」

「まことに申し上げにくいのですが」

「あら、何かしら? 特別に許可してあげるわ、言ってごらんなさい?」

「誰かと仲良くなりたいのであれば、他人を介するのではなくご自分で行動なさるのが普通かと存じます」

「んなぁっ……!? あ、あなたねえ――」

「しかしこのようなこと、丁度セオフィラス坊ちゃんくらいの子なら、誰でも分かっていることですよね。ベアトリス様、これはどのようなとんちなのでしょう? わたしの頭はデキが悪いものでして、ご教授いただけると大変助かるのですが」

「っ……!」


 精神的勝利に浸っていただけにベアトリスは冷水を浴びせられたかのように何もできなくなる。

 そして、興味が逸れたかのようにカタリナは視線を外して、静かに、微かに、カタリナが口元だけに笑みを浮かべた。


 ベアトリスは悔しいことがあればすぐにハンカチの端を噛んで引っ張るような女ではなかったが、眉間に太い血管がめこりと盛り上がるのだった。

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