衝突 ④
「タルモ……。何をしたか、理解をしているのかな?」
杖を突きながら起き上がったヴラスタが、タルモを睨みつける。
睨まれながら彼女は目を細め、それから口の端の笑みをさらに広げた。
「ヴラスタ殿よ、あなたは耄碌されている。
こんな少年が悪魔だなどとのたまうなどとは……」
「逆らうつもりか?」
「引導を渡しに参ったのみですとも。
アドリオンの地にはこのわたしが精教会の教えを広く知らしめましょうとも。
しかし悪魔がいるなどと妄言をたまわれては、わたしの使命が果たせなくなるのですよ」
「愚かな……。やはり小娘に聖名を与えるなど許されることではなかったか」
セオフィラスは加勢にきたと思しきタルモにセオフィラスは考えごとを始めていた。
精教会は第三者同士の戦いに加勢をしてはならないという決まりがある。しかしユーグランドはヴラスタと手を組んでいた。そして今、タルモが自分を加勢に来てくれている。
どうやらその言い訳が、アドリオンが悪魔のいる土地であればタルモが布教することができないかららしいというところまでは理解した。別にセオフィラスは布教を許さないとは言ってはいないが、それでも態度で手を取るつもりはないと示し続けてきた。そしてタルモもまた、セオフィラスに受けてしまった借りを返していなかったがために、そう大々的に、積極的に布教活動をしてはいなかった。
(ここでタルモさんに借りを返させてしまうことになったら、もう精教会を拒み続ける口実を失う……。けど天の一式は術の幅が広くて対処が難しい上、俺ももうあまり動き回れない……。仕方がない、か)
視線をタルモに向ければ彼女もまた、視線を返した。
「全ては精霊の導きによるもの。アドリオン卿、我が助力はいりますかな?」
「……全然動けないも同然なんですが、それでどうにかなるんなら」
「精霊に感謝しさえすれば、いかようにもなりましょう」
「……あなた達ほどじゃないけど感謝していないつもりはありませんよ」
「さすれば、卿の身にて結ばれた奇跡も全ては精霊の導きでしょう」
言うなりタルモがセオフィラスの手に自分の手を重ねた。
宝剣を杖のようにして体を支えている少年の、柄尻に乗せていたボロボロの手だ。そこへ彼女が触れると淡い光が手からセオフィラスの全身へ広がっていく。
その光とともに体中で響いていた痛みが和らぎ、消えていく。筋肉に溜まっていた疲労も薄れ、体が蓄積していたダメージというダメージがなくなっていっていた。
「……奇跡って、何でもあり?」
「全ては精霊の御力によるもの。アドリオン卿には、この程度で充分だったかと存じますが」
「あと厄介なのは、壁だ。……それもどうにかなる?」
「良いでしょう。ああ、でも条件が1つあります。独立の暁には、認めていただきたい。わたしを」
「どう認めるかはノーコメントで。ありがとう、タルモさん――」
エミリオに蘇生させられた際、内臓の位置がおかしいような気色悪さを抱かされた。それもタルモの祈術で解消された。そして日課の修行や、この数日の戦いで酷使され続けた肉体もまた全てが癒えた。アトスに修行をつけられるようになってから、筋肉痛も疲労もない全快の状態というのは初めてのことだった。
「……体が、軽い」
ヴラスタは動かずにいた。
迎撃に徹するつもりだろうとセオフィラスは予測を立てながら、剣を握り締めて駆け出す。全身の筋肉が、骨が、軋みもなくスムーズに稼働する。地面を蹴る足は力強く、頭は澄んで冴え切り、これまでにないほどセオフィラスは心地良ささえ感じながら走った。
ただ杖を持ち、立っているヴラスタに迫ってセオフィラスが宝剣を叩き下ろす。鱗模様の結界が刃を阻み、ヴラスタがその内側から杖を突き出すと光が生じてセオフィラスが焼こうとした。だがヴラスタが張っているものと同じ壁がセオフィラスを守るように包み込んで防いだ。
すかさずヴラスタは結界から強い力を発し、反発させて吹き飛ばそうとしたがセオフィラスを包んでいた結界が抵抗を少なくする流線形となって守り切った。さらにはその結界がヴラスタに向かって矛のように突き刺さり、結界に亀裂を生じさせる。
「くっ――!」
結界を修復させようとヴラスタは杖を地面に突きたてたが行動が遅かった。セオフィラスが飛び上がりながら宝剣を叩き落とし、亀裂から結界が弾けて砕け散る。
「ま、待てっ、力をくれてやる、精教会の、権力がお前を――」
「もう警告はした」
命乞いを切り捨ててセオフィラスはヴラスタの老いた胸へ剣を突き刺す。
「ア、ッ、ッウ……こ、後悔、するぞ……」
「散々してる」
「っ……あく、ま、め」
剣を引き抜いて血を払うと、セオフィラスはユーグランドに目を向ける。
ゼノヴィオルが魔術を使って派手に戦場へ加勢したせいで、それまで数の利で優勢になっていたユーグランドの軍がセオフィラスの軍に押されていた。
「早く押し返すのだ!」
「ユーグランド様っ、火急の報せです……!」
「何だ、エッセリンク!?」
「敵の援軍です。我が軍のさらに向こうから、我が軍が乗りつけてきた輸送船が攻撃を受けたと」
「援軍? 一体どこからだ!」
「2種の援軍があったようです。一方は恐らく、アドリオンに残されていた予備兵力でしょう。そしてもう一方が、ヘクスブルグより――クラウゼンの軍勢です」
「ここに来て動き出したのか、あの女狐が、ロロット・クラウゼンが!」
遠くから太く響く笛の音が響いた。ユーグランドの軍で使われている音ではなかった。だがそれと同時に地平線の向こうに見え始めていた軍勢が雄叫びを上げながら突撃を開始してくる。まっすぐ、一番に突撃を開始してきたのは騎馬隊だった。蹄鉄の音が重なり合うように響き、大地を揺らしてくる。
「エッセリンク、一度退く……!」
「はい、ユーグランド様」
「何としても食い止めよ!」
すぐにユーグランドは離脱をはかる。セオフィラスがそれを許そうはずもなく、戦場を離脱しようとした動きを見て駆け出した。だがエッセリンクが手を上げ、セオフィラスの方を示して振り下ろすと弓兵が合図で番えていた矢を放った。
「邪魔を……!」
飛来してきた矢を全て剣で叩き落すのは無駄でしかない。そこでセオフィラスは地面に剣を斜めに突き立て、地面をほじくり返すかのように一気に剥がし上げた。意識せずとも気力に纏われた宝剣は、本来は剣身の幅だけしか掘り起こせないにも関わらず――分厚く岩盤を引き剥がしたかのように大地をひっぺがして矢から身を守る盾にしてしまった。
そして、その突き出た大地の欠片を蹴りつけると、砕け散った礫岩が弓兵に降り注いで統率を失わせる。すぐに追いかけようとジョルディに目を向けたが彼はまだ起き上がることもできていなかった。自分で走るしかないと決め、一目散に逃亡をしているユーグランドを追いかけた。
「お兄ちゃん! 馬――聞こえないか……」
「ゼノヴィオルっ、ゼノヴィオル!」
「っ……先生? 何でここに? イグレシア城にはいなかったんですか?」
戦場の只中で呼ばれ、ベアトリスに気がついたゼノヴィオルは彼女を見て目を丸くする。
「今はどうでもよろしいことではなくて?」
「ハイ――」
「今、重要なことを述べなさい。今後のアドリオンについて、大局的な立場より」
いきなり突きつけられた問いにゼノヴィオルは反発しかけた。戦いの只中であるのに、こんな問答をしている場合ではないと。
しかしすぐ、少年は彼女の意図を察して口に出さなかった。その代わりに頭を回転させ、答えを見つける。
「戦の勝敗はユーグランドの生死じゃなく、事実です。
この戦場に決着をつけ、アドリオンと周辺諸領とともにボッシュリードから独立すること。それが今、ここでやらなければならないことです」
「分かっているのならそうしなさい」
「具体的な方法で頼むぞ、セオフィラスの弟」
「……えっと、ヨエルさんでしたっけ? ヤフヤーさんは?」
「あいつは森に残って、まだ来てない。って、騎馬隊が来る、おい、見境なしか、おい、おい!?」
走ってきていた騎馬の軍団が戦場を耕すかのようにまっすぐ突撃をしてきた。ヨエルがゼノヴィオルとベアトリスの肩を掴んで庇おうとしたが、馬は彼らの脇を駆け抜けていく。
「避けたっ?」
「これは、クラウゼンの……?」
ベアトリスが騎馬兵の身につけている鎧を見て呟く。
騎馬隊の突撃で両軍が散り散りになっていた。それまで密集していた戦場は広がり、敵が分散する。そして騎馬隊に遅れ、本隊である歩兵隊が突撃をしてきてユーグランドの軍勢へ攻撃を仕掛け始める。森から必死にこの戦場まで辿りつけた、ヨエルが率いてきた兵達は混乱はしていたが援軍が来てくれたのだと分かり始めているようだった。
「これ、援軍か……。てっきり、突破してきた軍がこっちに駆けつけてきたのかと……」
「ゼノヴィオル様っ!」
ヨエルが呟くと馬に乗ってきたカートが彼らのところに来た。馬を降りたカートにヨエルが目を丸くする。
「カートっ? お前まで来たのか?」
「ヨエルさん、無事だったんですね」
「あ、ああ」
「そ、それよりゼノヴィオル様、指示を」
「この援軍の指揮は誰?」
「クラウゼンのドーグ様です」
「分かった。負傷者を離脱させて、先生も安全なところへ。馬を借りるよ。ヨエルさん、先生をお願いします。あなたも離脱してください。もうボロボロです」
「逃げられるか……。立ってるだけしかできなくても、俺はここに残る」
「じゃあカート、先生をお願い」
「ゼノヴィオル様は?」
カートの乗ってきた馬へ跨って、ゼノヴィオルは応えずに行ってしまった。
まっすぐ、馬はユーグランドが逃げた方角へと走った。