開花 ③
『ソニアと、エミリオ――。やはり力は、ソニアの方がはるかに強いか。
であれば……本当にこの方法で、力を奪えるものか……。まずはエミリオで試した方が良いな……』
それは森の中――泉のそばに建てられた小屋の主の独白である。
ぶつぶつとその老人はよく独り言をつぶやくのが癖となっていた。
それを幼い日の双子は物陰で聞いていた。
双子は老人の独り言をしっかりと聞き、それから目を見合わせた。
『エミリオの力がうばわれちゃう』
『ぼくの後はソニアの力がうばわれちゃう』
『どうするの、エミリオ』
『どうしよう、ソニア』
双子は森の中で一つの切り株に小さなお尻を二つ並べて腰かけながら相談をする。
『おじいさんは大人だからほしがるんだね』
『大人は何でもきたないからね』
『じゃあぼくらは大人にはならないようにしよう』
『でもどうやって、エミリオ?』
『誓いを立てればいいんだよ』
『ちかい?』
『おじいさんの本にかいてあった。誓いを立てれば力が手に入るんだよ』
『それだけでいいの?』
『いけにえもいるんだって』
『いけにえ?』
『おじいさんにとってのぼくらだよ。
だからソニア、ぼくらがおじいさんをいけにえにして、誓いを立てよう――』
それは昔々のできごとだった。
欲望に溺れた老人が、生贄用に育てていた双子に報いを与えられ、メリソスの悪魔が生まれた時のことだった。
(何、これ――?)
駆けつけた時、エミリオが倒れているのをゼノヴィオルは見た。
必死に兄が泣きすがり、エミリオを死の淵から呼び戻そうとしている光景も見た。
だが次の瞬間にエミリオから莫大なほどの魔力が流れ込んできて、おかしな幻覚を見てしまった。小さな双子が老人を殺して生贄にし、年を取らない呪いを受ける代わりに力を手に入れた時の光景だった。
『――いいかい、ゼノ』
『エミリオっ? 今、あそこに倒れて……』
『今、僕は、僕を生贄にしてきみへ力を与えたんだ。だからこうして、僕の意識がきみの中へ混ざっている。ゆっくりに感じているかも知れないけれど、実際には1秒にだって満ちていない短い時間の出来事だよ、これは』
落ち着き払った、冷静で、どこか嘲っているかのようなエミリオの声にゼノヴィオルは耳を傾ける。
『僕とソニアは繋がっているから、本当は彼女のところに僕の力は流れていくんだ。
でもその途中できみを中継して留めているというイメージでいい。いずれは彼女のところへ、力は還っていくけれど、その時はきみの、きみ自身の力もまたソニアへと流れていくんだ』
『エミリオは……死んでしまったの?』
『消えただけさ。僕はいつもソニアと一緒だからね』
『どうして、僕のところに力が……?』
『きみがどうしようもなく、哀れだから。
僕はそういう子どもを見ているのが、何だか好きなんだ。
きみの寂しい顔が、苦痛に歪んでいる顔が、怒りに震える顔や、泣き顔が、たまらなく。
だから僕はきみが好きなんだよ。好きだから、もっともっと、きみの哀れな様子を見たくて、こうしてお節介をしている』
『本当は、違うんでしょう……?』
『あんまり僕の意識が消えるまでの時間はないんだ。
きみは僕の使える魔術の全てを、少しずつ使えるようになる。コツだけ教えるよ。――憎み、怒り、受け入れることだ。ゼノヴィオル、きみならできるね? 僕がいなくたって、もう』
『エミリオ……』
『さよなら、ゼノ。
あのオバサンを殺すのは難しい。
だけどきみとセオなら、きっと退けるくらいは――』
力とともに入ってきた、エミリオの魂のようなものが薄れていくのを感じてゼノヴィオルは胸を押さえた。だが、その行為も虚しく――力だけが少年の体に残り消え去った。
「エミリオーっ!!」
叫んでも、もう声は聞こえない。
晴れている空から届く光が、じわりとゼノヴィオルに熱を与える。
「犬がまた増えたか……。ヴィオラ、どちらからでもいいから早く殺せ!」
「どーちーらーにーしーよーうーか――な?」
指さしながら決めようとしていたヴィオラは、セオフィラスとゼノヴィオルが同時に動き出したので指を止める。
「両方くるなら、手間が省ける――」
「右からいけ、ゼノ!」
「分かった!」
同時に迫った兄弟が左右から剣を振るう。ヴィオラはセオフィラスの剣を自分の獲物で、ゼノヴィオルの剣を履いていたブーツの裏で受け止めた。見事なY字型の姿勢だったが、にも関わらず彼女は力任せに2人を弾き返した。瞬時に影へ潜り込んで姿を消すと、ゼノヴィオルが剣を地面に突きたてる。大地がめくれるようにして抉れて地表が割れ弾き飛んだ。凄まじい衝撃とともに礫岩が飛び出し、同時にヴィオラも中空へ出てくる。
(兄の方は天の一式で影に逃がさなかったのに対して、弟の方は潜ったにも関わらず大地ごとわたしをほじくり返した――。とっさの反応じゃない、あらかじめ、そうと決めていた動きか)
セオフィラスが地面から狙いを定め、剣を一閃する。
放たれた斬撃をヴィオラは弾き返したが、ゼノヴィオルが魔術を用いて黒い杭も放っていた。身をよじるようにしてヴィオラは避けようとしたが、足と腹部に被弾してスピン回転しながら地面へ叩きつけられる。
「ヤコブくんの、仇ッ――!」
どす黒い憎悪を殺意に変え、セオフィラスが距離が空いているにも関わらず剣を振るい上げる。
それは全て、少年が感覚的にやっただけのことだった。師には一度として、正しいの剣の振り方など教わった覚えもない。幾千、幾万にも及んだ師や、弟や、敵や、仲間との研鑽の中で自然と身に染みた剣筋である。
そして今、セオフィラスの肉体に叩き込まれた全ての技術がヴィオラという遥か格上の強敵を前にし、失うことは許されないとまで知らずの内に思い込んでいた大切な存在の喪失によって、開花をした。
宝剣から放たれた、その炎はセオフィラスの憤怒の衝動そのものだった。
牙を剥く餓狼のごとく勢いで炎はヴィオラに襲いかかり、そして噛み砕こうとする。炎の中から転がり出たヴィオラは目を見開いてセオフィラスを視線で射抜く。彼女は人の一式と地の一式を用いるし、天の一式についても経験という意味では無知ではない。
放たれた炎が気力によるものであるとは受けて確信した。――だが、人の一式をもって炎を生じさせるという行為が彼女には驚愕だった。
そしてその、彼女が見せた一瞬の驚愕。
その隙をゼノヴィオルが見逃さなかった。
「メルム・ボース――!」
触れたものに破壊を与える魔術を適用した剣を、ヴィオラに渾身の力で叩き込む。
彼女の反応はほんの刹那だけ遅れたが、それが明暗を分けた。攻撃を防ごうととっさに上げた剣は何の力もなく、ゼノヴィオルの一撃に食い破られて彼女の首筋まで剣を届かせたのだ。
「――な、に?」
肉が抉れ、骨が剥き出しとなった自分の体の異常に彼女は困惑さえした。
明らかな格下の――敵とも彼女に言えないはずの実力しかないはずの相手だったのに、どうして自分がこんな手傷を負うのかという困惑だ。そしてそれがさらに、追撃を受ける呼び水となった。
腹部から、剣先が突き出てきてさらに瞠目する。
セオフィラスの宝剣だった。
「……油断した。……次は、油断しない」
ぼそりと呟くとヴィオラは己の体から業火を発して兄弟を吹き飛ばす。その炎が収まるとヴィオラの姿は消え去っていた。
「な、何……? ヴィオラ、ヴィオラっ、殺せ! 殺すのだ!」
ユーグランドが怒声を発して命令するが、彼女は姿を見せない。
「気配は消えましたな……。体制を建て直すべきかと、ユーグランド卿。ひとまず足止めをいたしましょう。消耗は目に見えていますゆえ――」
ヴラスタが骸の兵団を呼び出してセオフィラスとゼノヴィオルを襲わせる。
ユーグランドは馬へ飛び乗り、ヴラスタも手綱を取って置き去りにされていた兵達の方へ駆けていく。
「いかがするのです、ユーグランド卿」
「っ――軍団だ、我が方にはまだ数で勝る軍団がある! あんな子犬どもの牙などっ! 全軍、進め! 川沿いに下流へ向かい、援軍との合流をはかるのだ! 森の中にいる敵軍を挟み撃ちにし、蹂躙をするのだっ!!」
――骸の兵を全て叩き潰したセオフィラスは、絶え絶えの息でエミリオの遺体を土に埋めた。それからゼノヴィオルを見て、縋るように無言で抱きしめる。
「お兄ちゃん……。エミリオは、僕に――」
「聞いた……。まだ、戦いは終わってない、行くぞ。次で、この戦いは終わる……」
「アルブスから率いてきた軍が合流するよ。僕だけイグレシア城から張られてたロープで渡った」
「お前が来てくれたから……ヴィオラは退けられた。あとは、ユーグランドの軍を全て、殲滅するだけだ」
「うん……。痛いよ、お兄ちゃん……」
「ゼノ、お前は……死ぬな……。絶対だぞ……」
放されたゼノヴィオルは、背を向けてしまった兄を見つめる。
歩き出してすぐジョルディが走ってきたので、兄弟は頼もしい雄牛の背に乗ってユーグランドを追いかけた。