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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期5 独立戦争
133/279

開花 ①


「寄るな、死にたくないなら……。殺すのは、ユーグランドだけで十分だ」


 振り続けた雨でぬかるみきった地面が、赤く染まっている。

 その赤い池のような水溜まりの中でセオフィラスは今にも頽れそうなほど疲弊している。しかし警告の言葉とともに向けられた眼光だけで取り囲む兵達はたじろがされる。一度は人の山で潰し、動きを封じ込めたはずだったのに、その体のどこにあるのかという怪力で脱して、次々と鎧を着用している兵を切り殺していったのである。


 最早、それは少年の形に押し留められた悪鬼であると誰もが確信して心底から恐怖していた。


退()け」


 剣を片手に持ったままセオフィラスが歩き出すと、行く手を塞ぐように立っていた兵達は距離を取るようにして道を譲る。無防備に見える背中を見て武器を握り直そうとした者もいたが、しかし目の前で一撃で肩から腰までを切り裂かれ、内臓を撒き散らして死んでいった仲間の姿を思い出して腰を抜かす。


「ブモォッ」


 ジョルディが割れた人混みの中を走ってきてセオフィラスの横にくる。

 目をちらと向けてからセオフィラスは鞍に乗り、手綱を手に絡ませてジョルディをまっすぐ歩かせた。蹄が赤い血溜まりを踏む。



 長い、長い、敵兵の中にできてしまった通路のような道の先にユーグランドの馬車があった。

 そこにはユーグランドとヴラスタが待ち受けている。


「……お前を、殺してやる」

「悪魔めが……」

「お下がりを、ユーグランド卿。

 このわたしが、手ずから征伐いたしましょう」


 白い杖を突きながらヴラスタが言うと、セオフィラスは目を細めた。


「……ヤコブくんを、あんなものにしたのはお前か」

「あれこそが、邪悪な魂に魅せられた哀れな被害者の末路。その元凶は、アドリオン卿、そなただ」

「違う」

「何も知らぬ小僧が、わたしを否定するか。嘆かわしいことだ」

「ついでに殺してやる。……今、ここで」


 ジョルディから降りたセオフィラスが剣をヴラスタに向ける。

 トレーズアークの詩に伝えられる相克関係において、人の一式は天の一式を剋する。どれほどの使い手であっても負けるという想像は今のセオフィラスにはないことだった。


「やれるものならば。やってみるが良い――」


 言い終わるかどうかの刹那、セオフィラスは飛び出していた。

 誰もの視認を置き去りに宝剣はヴラスタの頭蓋を叩き割るために振り下ろされている。――だが、その刃はヴラスタには届かなかった。薄い、鱗のような紋様のついた発光する卵型の壁がヴラスタを覆ってセオフィラスの攻撃を防いでいた。力任せに振り切ろうとしたが壁の表面を刃は滑ってしまう。確かに気力は刃を包み込んでいて、ヴラスタが使っているのは霊力であるはずだった。

 にも関わらず、防がれたという完全な誤算はセオフィラスに僅かな思考停止をもたらす。


「俗人が、いかな努力を積み重ねたとて。

 所詮は人力、所詮は儚き人の身に依存したもの。

 奇跡の御業を前には無力というものなのだ、理解したまえ」


 杖をまたヴラスタが地面に突けば、今度はヴラスタを覆っていた壁の鱗のような紋様が剥がれるように浮かび上がっていった。そして無数のそれらが滑空する鳥のようにセオフィラスへ同時に襲いかかる。熱を伴った鋭い痛みに耐えてセオフィラスは、またヴラスタへ斬りかかった。しかしそれより早く、今、セオフィラスを刻んだばかりの光の破片達がヴラスタのところへ戻って剣を防いでしまう。


「生まれてたかだか十数年、その力を得たのは1年前か、2年前か?

 わたしはこの奇跡の御業を得てから60年もの歳月を過ごしているのだ。話にもならぬ」


 攻撃を阻む壁が、強い光とともに反発してセオフィラスを弾き返す。

 杖をヴラスタが振り上げた途端、地面から今度は無数の白い手が出てきてセオフィラスの足を掴んだ。肉のない人――骸骨(スケルトン)が地面の下から虫のように這い出てきて、セオフィラスにまとわりついては体を掴み、押さえつけようとする。


「死体を自分のために利用するお前の方が、よっぽど悪質だ!」


 骸骨の頭を拳で叩き潰しても、動きは止まらない。骨を数本砕こうと、痛みもなく怯むこともなく彼らはセオフィラスに群がり続ける。


「これも全ては精霊の導きによるもの。

 でなければ精霊もこの身を介して奇跡をもたらすことはなかろう」


 筋肉なんてあるはずもないのに骸骨の力は強かった。

 骨だけで細い身体を活かして骸骨は何十本もの腕でセオフィラスを立たせたままに、とうとう身動きを封じてしまう。爪先から首まで、肉のない骨だけの腕が、手が掴み押さえてしまう。


「所詮は、やはり子犬でしたな」


 どれほど力を込めても腕も足も、首さえ動かせないセオフィラスにユーグランドが短剣を抜きながら近づく。


「……貴様の父親の最期を、教えてやろうか」

「っ――何?」

「貴様がわたしに盾突いた報いの結末のことだ。

 オーバエル国境地帯にて、最初に突撃をしていったものだ。

 だが敵の矢に射られ、そのまま雑兵どもと同じように伏して死んだ」

「お前、がっ……!」

「その後の両軍のぶつかり合いで屍は踏まれ、死体は見たが使い古しの雑巾より酷い有様だったのでな。そのまま捨て置いてやったわ。貴様の親父は意味もなく、何の貢献もなく、ただ死んだ。そしてお前は、それ以下だ。案ずることなく死ね。お前の土地は全て、焼き尽くす。民の全ては等しく苦痛を与えて殺してやる」


 短剣の切っ先をセオフィラスの腹へユーグランドが告げる。


「ユーグランドォォオオオオ――――――――ッ!」


 肋骨(あばらぼね)の下へ短剣を刺し入れ、そのまま真横にユーグランドは刃を斜め下へスライドさせていく。開かれた肉の中から血とともに内臓が溢れ出してセオフィラスの叫びが途絶える。


「ふん……まったくもって、気は収まらぬが、これで子犬の駆除は終いか。

 内臓(モツ)を旗のように揺らめかせて持っていくとしよう。残りの犬どもの牙も抜けやすくなる」

「ユーグランド卿、確実に息の根を止めるべきでは?」

「この状態ではもってあと数十秒しか生きてはいられぬのですよ、ヴラスタ殿。そのようにしたのです。声さえ出せぬ苦しみを味わいながら、あとはただ死ぬのみなのです」

「しかしまだ、羽虫が近くをうろついてい――」

「それって僕のことかい、妖怪ジジイ?」

「貴様っ、メリソスの悪――」


 いきなりエミリオがユーグランドの背後、ヴラスタの目の前へ現れる。

 その体が黒いもやと化してユーグランドを通り過ぎ、かと思うと骸骨に囚われていたセオフィラスの体が消えていた。離れたところで横たえられたセオフィラス、そして膝をついているエミリオを見てヴラスタが杖を振り上げる。同時にユーグランドが叫ぶ。


「ヴィオラ、殺せッ!!」

「命令を破れ、約束だ、おばさん!」


 ユーグランドの声にエミリオの声が重なる。

 ヴィオラは現れなかった。ヴラスタの杖から発せられた青白い稲光がエミリオ目掛けて駆け巡ったが、大地の泥が津波のようにうねり起き上がって稲光を飲み込んで消してしまう。


「こりゃあ酷い、あと数秒で死ぬね。でも、死ぬつもりはないらしい――」


 すでにセオフィラスは息をしていないが、目だけは見開いている。

 憎悪と憤怒に彩られた、その瞳の色をエミリオはニヤつきながら覗き込んでから、少年の腹から溢れ出ている臓物を片手で無造作に押し込むように戻す。


「荒療治だ、命を繋ぐ代償としては安いものと思っておくれよ?

 ここまでやってあげる義理なんてないんだからね――なんて言ってる間に死んじゃいそうだ。仕方ないなあ」


 ヴラスタがまた杖を大きく振るうと今度は何もないところから、杖の先端へ水が集まって球形を成した。そのまま杖を振り切ると、その先端から凄まじい勢いで水流が放たれてエミリオに向かっていく。だがその水流が、今度はエミリオに近づいたそばから凍結して氷となっていく。


「起し、求めよ。

 汝の白き欲望を、汝の黒き冀望(きぼう)を追想せよ。

 汝が血涙が尽き果て、憤懣(ふんまん)嗔恚(しんい)悲憤(ひふん)を宿すとて、覇道を驀進せよ――!」


 魔術は地の一式である。

 大地深くに眠る魔力を源に、あらゆる自然現象、あるいはそれさえ超越した現象を顕現させる術理を超えた術。しかし巨大な現象ほど、自然からはかけ離れた術ほど、術者の力量・才能・技術が問われる。

 蘇生にも近い、瀕死からの回復などは卓越した魔術師であろうとも匙を投げだす大魔術――あるいは、それ以上のものだ。精教会が祈術と呼ぶ奇跡の御業をもってしても、少なくともヴラスタには実現のできないものだった。


「有り得ぬ――」


 ヴラスタが瞠目する。

 足元の大地が枯れ、一体の生命が根こそぎ消え去っていくのがヴラスタには感じられた。

 目に見える範囲の分だけの魔力が全てエミリオの支配化に置かれ、そのエネルギーがセオフィラスの蘇生に使われているのだ。


「おはよう、セオフィラス。気分はどうだい?」

「……お腹が、気持ち悪い……。あるべきとこに、いちゃいけないものが、ある気分……」

「ちょっと間違えたかな、場所」

「は?」

「まあいいさ、一度きりのとっておきはもうないってことだけ、新しい肝に銘じておいておくれよ」


 差し伸べられたエミリオの手を取ってセオフィラスは起き上がり、口の中に込み上げてきた古い血をペッと吐き出した。変に体が鈍く重いが、戦えないことはなかった。


「協力してくれるの?」

「まあね……。舐められたままは嫌いだし、大人はもっと嫌いだから。

 それにゼノヴィオルも、もう来るよ」

「……お前がゼノにしたこと、許してないからな」

「許されなくたっていいさ」

「それじゃあ、殺そう。――とりあえず2人。邪魔者は、無制限だ」

「うん、いいよ」


 セオフィラスがユーグランドとヴラスタを睨みつける。


「やはり――虫が沸いていた」


 大司教・聖名ヴラスタはそう吐き捨てた。

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