イグレシアの戦い ②
「ユーグランドが動き出した。でもって斥候を逃した……! こっちの動きは悟られるぞ、セオフィラス!」
大雨でイグレシア城が孤立をする前にセオフィラスは全軍を城から出していた。イグレシア城には兵に食事を作らせるための女などを残している。城をあとにする前にセオフィラスは1つだけ、部下の誰もが首を傾げるような命令を出していた。
そうして城を出た一団は下流の方へ移動し、森の中に野営をしている。その天幕の1つに部下からの報せを受けたヤフヤーが入ってきて、軍議をしていたセオフィラスに告げる。
「構わない。奇襲が使えなくなっただけ」
「では正面からぶつかり合うというのか? 無謀ではないか!」
「手はありますし、準備もしてきました。問題はありません」
「具体的にどうするんだ?」
「斥候を逃したんなら、こっちへくる。森の中へ誘い込めば開けた場所で戦うより有利になる」
「そらそうだが、ユーグランドは乗ってくるのか」
「そうだ! 乗るはず――」
「乗る。あいつは自分が負けるなんて思わない」
「逆に引きずり出されることになったら、どうなる?」
「そんなもの考えるまでもなかろう! 皆殺しにされるだけだ!」
「……それもそうか」
「時間の許す限り、罠を配置して。それから、何かユーグランドの気を逆立てるものが欲しい……。豚って、いたっけ?」
「何するんだ?」
「バカにする」
答えてからセオフィラスは紙を出して、さらさらと拙い絵を描き始める。
ドーバントンが覗き込んで眉を潜め、ヤフヤーは噴き出しそうになったのをこらえたが肩を微かに震わせてしまう。
「で、ここは……こうだ」
余白にセオフィラスはメッセージを書く。
それは豚の腹をさばいて木に吊るしただけの飾りでしかない。
しかし腹を開いて内臓を溢れさせた腹部にはユーグランド宛てのメッセージを張りつける。――『明日のお前だ』というその言葉と、わざと豚を使って醜悪なやつだと侮辱をする飾りである。
「……負ければ命だけでは済まなさそうだ」
遅れて覗き込んだカウエルが苦々しくそう言うと、セオフィラスは流し目で彼を見る。
「命が奪われる時点で、全て台無しですよ」
「……」
「ヤフヤー、これ、作っておいて。それから罠も」
「あいあい。……だがよ、セオフィラス。罠なんか有効なのか?」
「敵を散らせるのが目的だよ。分散させれば勝機が上がる。乱立する木々もだ」
「だが数は違いすぎるぞ」
「数と数でぶつかれば負ける。だけど単なる雑魚3人ずつと、ヤフヤーなら?」
「……まあ、負けねえ」
「それを10回繰り返せばいい。ヨエルも同じ計算。ペトルも。パウエルさんも。ビートとカフカは一度に6、7人。俺は10人ずつ殺す。あとの兵は1人で1人を10回。それだけでいい。行って」
「……了解」
何か言いたげにしつつもヤフヤーはセオフィラスの図面を手にして天幕を出ていった。
「無茶な計算だ……。計算などとは言わん。10回繰り返すだけ? 1度が精一杯だろう?」
「ドーバントン卿なら、2人は同時に相手できると考えていましたが?」
「女性なら別だが、殺し合いではできん」
「俺は逆です。殺すんなら一度に何人でも殺してやる。でも一度に何人もの女性を相手するのは、多分好きじゃない」
「それは経験がないだけだろう? 悪くはないものだぞ?」
「ああー、2人とも。女性もいるんだ。そういう話は夜、盃でも手にしながらするべきじゃないか?」
カウエルがちらとベアトリスに目を向けながら言うと、ドーバントンは咳払いをしてから頷いて話を打ち切った。
「ドーバントン卿、それとも1度もできないほど不全になってるんですか?」
「……わたしは現役だ。舐めるなよ、小僧」
「じゃあ計算に入れておきます。
あとは罠の作成を待って、配置。それから迎撃の際の戦術……。
ドーバントン卿、お知恵を拝借させてください」
「何だ?」
「森の中へ誘い込めたとしても、まだ弱い。出鼻で効率的な一撃を食らわせたいのです。可能な限り敵に動揺を与えて、可能な限り敵を分散させたい」
「……伏兵はどうだね。森へ誘い込み、迎え撃つと思わせておく。両軍がぶつかり合った後、あらかじめ分けて隠れさせておいた軍を敵の背後からぶつけるのだ。前と後ろに対応すべく、最低でも2つには分かれる」
「悪くはないですが、それじゃあ初撃になりません。でも採用。悪くない……」
「ならば……誘き込んだところで、矢を射かけさせる」
「森の中です。矢は木々の枝葉に邪魔されるから遠くからは射かけられないし、近くからなんて奇襲になりません。もっと効果的な、怖がらせて、震え上がらせるような……」
「怖がらせるとか、震え上がらせるとか……野蛮ではないか。まだ罠を大量に仕掛けた方がいい」
「野蛮でいいんです。残虐でいい。……捕虜を、使いましょうか」
「何?」
「数は少ないけど、どうせこっちは負ければ捕虜なんて1人も取られない。だったらこっちも、捕虜を生かしておく理由はない。……敵が見えたら、捕虜に油をたっぷり染み込ませた服を着せて、味方のところへ戻れと開放する。それから火矢を浴びせる。焼け死にながら突撃して、敵を乱してくれる。どう?」
「……お前の立場が単なるガキだったなら、厳しく折檻して改めさせる」
「じゃあ採用だ」
表面上、セオフィラスは元に戻った。
しかし戦の最中ということを差し引いても、明るさや朗らかさを見せなくなり、代わりに冷酷な一面を見せるようになっていた。
あるいはそれは、今は頼もしいものだったかも知れないがセオフィラスの出すアイデアの非情さを聞かされるドーバントンとカウエルは辟易としている。一刻も早い決着を急がないと、自分の頭までどうにかなりそうだという気さえしていた。
「――セオフィラス!」
「今度は何?」
「敵だ、もう敵が来やがった!」
慌てて天幕へ戻ってきたヤフヤーの声で、ドーバントンが飛び上がるように立つ。
「先ほどと違うではないか! 動き出したばかりではなかったのか!?」
「別の軍勢が来てるんだ! ユーグランドとは反対側からだ。どうする?」
「豚、できてる?」
「はあ? いや、まだどの豚潰すか――」
「できるだけ立派なのでいい。すぐに豚を」
「豚なんかいいだろうが!」
「良くない。……油をたっぷり用意して、捕虜の服に染み込ませたのを着せて」
「何でだ?」
「解放してから敵に向かわせて火矢を射かける」
「了解だ。他は?」
「……ありったけの油も、ついでに森中に撒いておこう。明日の野営の心配はいらない。決着をつける」
「撒いて、火でもつけるのか? この森を焼き尽くす? 全滅するぜ?」
「全滅するのは敵だ」
「火を放って、そこからはどう逃れる?」
「火を点けるのは最後だ。ユーグランドを逃がさないために使う。
だけど背後の敵を相手にしながら、誘い込むのは骨が折れそうだ」
「どうするんだ?」
「……ヤフヤー、傷はもう平気?」
「全快とは言えないが、問題はない」
「ドーバントン卿。後方からの敵についての総指揮はヤフヤーに任せます。あなたはその補佐に回ってください」
「俺かっ!? 何の備えもねえのに!?」
「その代わり、今この陣にいる全兵力を預ける」
「は? じゃ、じゃあユーグランドは?」
「俺が引き受ける」
「1人でか?」
「いや……多分、1人じゃなくなる。それにジョルディもいるよ。
それにちゃんと森へ誘い込んで合流する。そこからは俺が指揮する。それまで頼むよ。豚は忘れないように」
「何で豚がそこまで大事なんだ?」
「1秒でも長くユーグランドをバカにしていたい」
「……あいあい」
ヤフヤーを残してセオフィラスは早足に天幕を出ていく。
それを追うようにして出てきたのはカウエルだった。
「少し待ちたまえ。いいかね」
「何です?」
「いくら何でも無茶だ。算段があるのかね? もっと、何か良い方法がないか、今からでも考え直せないものか?」
「……ゼノに手紙を出しておきました。俺の考えとゼノの考えが合っていれば、援軍が来てくれます。数は劣るけど勝算のない戦いにはありません。だから大丈夫です」
「……それは、本当かね?」
「嘘つく必要はありません。失礼」
雨の中をセオフィラスは行ってしまう。
天幕に戻ってカウエルは深々とため息を漏らした。