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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期5 独立戦争
127/279

訃報を受けて ①



 ゼノヴィオルは激務の合間を縫ってレクサと過ごす時間を1日に1度は必ず作っている。

 根を詰めている時のセオフィラスの仕事ぶりと大きく異なるのはその点だった。今日は庭でお茶会をしたいというレクサの希望に従い、屋敷に随分と増えた客人とともに庭へ運び出した卓を囲むこととなった。


「それでゼノったら、顔を真っ青にして逃げちゃったのよ」

「そうなのっ、ゼノお兄ちゃんっ?」

「あ、あのね、あんまりモニカの言うことを真に受けないでいいから――」

「真に受けないでいい? ふぅぅーん? すーぐ人の言うことを真に受けるのは誰だったかしら? ゼノぉ?」

「……も、モニカもね、レクサに変なことを吹き込むのは……」

「変なことじゃなくって、思い出話。違う?」

「もっと聞きたい、教えて、モニカさん」

「いいわよ」

「……ほどほどに、ね?」

「それよりもゼノヴィオルさん、セオフィラス様の小さなころのお話を教えてくださいませんか?」

「ああ、はい、もちろん……。でもどんな話がいいのか……。やんちゃだったから」

「やんちゃなお話でもちろん、構いませんわ」


 女ばかりの卓を厭ってサイモスはここへ訪れなかった。

 あっちでぺちゃくちゃ、こっちでぴいぴいと小鳥の群れが騒ぐかのように賑やかな席を給仕しながらカタリナは束の間の平穏に、彼女にしては珍しくほほえみを浮かべる。


「あ、カタリナ」

「っ……はい、ゼノ坊ちゃん」

「エクトルさんにお茶を」

「まあ、お気遣いありがとうございます。それでゼノヴィオル様、お話の続きを」

「ええと……お兄ちゃんはモグラドリを捕まえるのが上手なんだ。モグラドリは土に穴を掘るんだけど――」


 カタリナがティーポットを傾け、エクトルのカップに茶を注ぎ入れようとした時にいきなり取手が取れて卓にこぼれる。慌ててエクトルが立ち上がり、他の給仕が布を持ってくる。


「申し訳ございません、お召し物は」

「だ、大丈夫でしてよ。ポットがいきなり壊れてしまわれたの?」

「は、はい。ゼノ坊ちゃんも平気ですか?」

「大丈夫だよ。カタリナは平気?」

「少しかかりましたが、大丈夫です」

「熱かったでしょう? 冷やしてきて」

「いえ、それほどでは……」

「いいから。井戸に行こう」


 遠慮するカタリナの手を取ってゼノヴィオルは井戸に向かった。


「あのポット、古かったの?」

「いえ……それほどは。兄が、セオ坊ちゃんに初めてもらったお給金で買ったので粗悪品だったかも知れませんが、お花の柄がかわいいはずだと仰られていました。……オルガ様がお花が好きでしたから、お仕事の間にポットが目につけば安らげるかもと」

「ヤコブくんらしいね……」


 井戸から水をくみ上げ、ゼノヴィオルは桶にカタリナの手を促した。本当に少し飛沫が触れただけの手をカタリナは少しだけ桶に手を入れる。


「……ヤコブくん、ちゃんとお兄ちゃんと一緒にいてくれてるかな」

「兄がいなくてもセオ坊ちゃんは平気です。朝の寝起きに近くへいれば役立つかも知れません」

「そんなことないよ」


 笑いながらゼノヴィオルは言って、カタリナの手をそっと桶から出す。じっとその手を見て火傷の痕ができていないのを見てから、小さく頷いてカタリナを見た。


「ヤコブくんは役に立つとか、役に立たないじゃない」

「そうでしょうか……? 働き者ではありますが」

「遊んでくれたし、いつも気にかけてくれたし、お兄ちゃんからしても……お兄さんみたいな人だよ。だから近くにいてくれると安心するし、戦いや、頭のお仕事で役に立たなくてもいい。ヤコブくんのようないい人がアルブスにいてくれて、手助けをしてくれる。……それがお兄ちゃんにも大事なことなんだよ。あのポットみたいに」

「壊れてしまいましたが……」

「うぅん……それは、ちょっとだけ不吉だね。直して使えばいいよ」

「ではそうします」

「……じゃあ、戻ろうか」

「はい。ありがとうございます、ゼノ坊ちゃん」

「いいんだよ。……カタリナもお姉さんみたいな人なんだから」

「……ありがとうございます。そう思っていただけているなら、カタリナは幸せ者です。きっと兄も。坊ちゃん達が宝ですから」











 放っていた偵察の兵が2組戻ってきたと知らされ、セオフィラスは跳ね橋の広場にまで出てきた。

 戻るにはあまりにも早すぎた。だからこそ、何かを知って戻ったのだと感づいて走ってきていた。


「何があった? 何が分かった!?」

「それが……彼らが、倒れていたのを見つけたのです」

「彼ら――?」


 馬へ乗せられていたのはヤフヤーとヨエルだった。

 それから大きな布に包まれた何かも乗せられていて、城へ残っていた兵がそれを降ろす。


「いいか、セオフィラス……。覚悟を、しているな……?」

「ヤフヤー、何があった? どこにいた? ヨエルも、傷を負ってる……」

「覚悟はしてるなと、聞いてるんだ、セオフィラス……!」


 兵に支えられながら馬を降りたヤフヤーはセオフィラスの胸倉を掴み凄む。

 布に包まれているそれを見ながら、セオフィラスはたじろぎかけたがヤフヤーが許さなかった。遅れてベアトリスが広場へ出てくる。


「……嫌だ、まさか――」

「しているはずだ。お前はそういう戦を起こした。そういう敵と対峙する道を選んだ。目を背けるな」

「やめて、ヤフヤー。それだけは、ダメなんだ……」

「ヤコブが、殺された!」

「……そんなはずない。だって、ヤコブくんを殺す価値なんて、ユーグランドが分かってるはずがない……」

「覚悟はしていたはずだ、違うか。そうだと言え、セオフィラス。そうだろう!」

「っ……」


 腰を抜かしてセオフィラスが尻をつく。そうして這いながら、石畳みの地面に降ろされた包みへ近づいた。端を少し、剥がす。あるべきはずの頭部はなく、首の断面がそこに現れた。


「あ、ああああ……ダメだこんなの、ダメだ! どこまで奪えばいい、俺からどれだけっ、奪えば気が済むんだ、あいつは! 殺してやる、絶対に俺がッ、この手でっ!」

「バカ野郎か、てめえは、セオフィラス!」


 怒りを滲ませて叫ぶセオフィラスの肩をヤフヤーが蹴って倒す。


「覚悟していたはずだ、茨の道と知っていたはずだ。違うか?」

「っ……」

「やっぱガキかよ……。クソ、傷に響く……。いいか、次に顔を合わせた時、目でも腫らせてたら承知しねえぞ!」


 怒鳴りつけてからヤフヤーは肩を貸そうとする兵を押しのけ、自分の足で城内に戻っていった。

 布の上からセオフィラスはヤコブの亡骸へ覆い被さるようにして、歯を食いしばりながら叫んで泣きすがった。


 やがて雨が降ってきて、数日降り注いだ。

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