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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期5 独立戦争
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ユーグランドの反撃 ②


 イグレシア城で戦勝の宴が催されている。

 月が高くに上り、流れの穏やかな大河にもその姿を映していた。

 上げられた跳ね橋の内で戦に参加した大勢の兵士が飲み食いし、遊戯をし、笑い合っている。


 その賑やかな喧噪を遠くに聞きながら、セオフィラスはじっと黙して動かない。手には盃を持ち、葡萄酒が並々と注がれている。ほんの一口だけを舐める程度で、あとは飲んでもいない。

 あまりに静かで、ただ片膝を立てて積み上げられた石の壁に背を預け座っている姿へヤコブは声をかけられずにいた。


「おうおう、愛しの坊ちゃんのとこに行かないのか? ヤコブくんよ」

「っ……何だ、ヤフヤーのおっさんか。茶化すな」


 柱の陰からセオフィラスを見守っていたヤコブはいきなりヤフヤーに声をかけられて腕に抱えていたパンと果物を落としかけた。


「んで、どうしてここで、反抗したがるガキ持った親みてえに眺めてる?」

「……坊ちゃんはよ、生まれたころからそりゃあもう可愛かったんだ。俺はガキのころ、疫病で住んでた村のやつがほとんど死んじまって、親に連れられてアルブスに移り住んだ。最初はよそもんだからってさ、何か疎外感もガキなりに感じてたんだがある日……ミナス様が、坊ちゃんのお父上が移り住んできたばっかの家に来て、畑にしていいって土地をくれた。そこで作物が育てられるまで、雑用でいいなら屋敷で働けって言ってくれて……。そんで食わせてくれた」

「そんな話は悩める坊ちゃんへ言ってやりゃあいいだろうが……」

「カタリナはそのまま、屋敷で働くことになった。俺は自警団の訓練があった時、初めて参加して、ミナス様に筋がいいって褒められて……畑仕事もあったけど、屋敷に行ってミナス様に剣を振って見せると褒めてくれるもんだから、鍬よりも練習の剣を振ってた。そんなミナス様に子どもが生まれて、それがセオ坊ちゃんで、初めて見せてもらえた時……手を近づけたら指を握ってくれて、頬が赤くて、ぷくぷくしてて、だから俺はその時にミナス様に誓った。きっと坊ちゃんは、俺が守りますって……」

「守られるの間違いだろう?」

「そうだよ、その通りだ……。本当にいつ、こうなっちまったか分かりゃしねえ。おっさん、年長者なんだし、俺に教えてくれよ」

「何を? 女の扱いか?」

「だから茶化すな。……あんたは強い。だから教えてくれ。強くなるってのは、何かを失くすことなのか?」


 ヤコブの問いかけにヤフヤーは眉根を寄せる。こんな真面目な話をわざわざ祝勝の宴会をやっている夜にしたくないのがヤフヤーの本音だ。しかし生意気なガキが多い中、ヤコブは一応は年長者として、という理由で助言を求めてきた。その健気さに免じ、ヤコブの腕から果物を1つ拝借して齧ってから答えた。


「違うさ。強くなるのは、強さを得ることだ」

「じゃあどうして、あれほど強くなった坊ちゃんから、何か……よく分からねえけど、何か、なくなってる?」

「なくなってる? 何が?」

「何かだ、俺は分かる。生まれた時から見てるんだから。……よくは分からねえけど」

「ああそうかよ、それ以上は何も知らん」

「薄情者めっ。ろくに働きもしねえで食えてる不良は使えねえな」

「この野郎、本音もらしやがったな……」


 毒づかれてもヤフヤーはヤコブを小突く程度しかしなかった。

 片手でガリガリとヤコブは後頭部をかいて、セオフィラスへ目を向ける。


「きっと俺なんかよか、これからはヤフヤーみてえのが坊ちゃんの役に立てるんだろうなあ……」

「このまま戦乱の世になればな……」

「誰も望んじゃいねえのに、何で戦なんて始まるんだか……」

「そりゃあ違う。望んでるんだ、戦を」

「誰が? あんたが?」

「ま、俺らみたいな腕っぷししか取り柄のねえ連中は当然だな。

 だが平和で得することよりか、戦で得することの方が儲けがデカいって連中もいる。これは本当だ。

 アルブスだってお前は職人のとこを駆け回ってたろ? どんどん剣やら鎧やら作りまくれってよ。まあ一時的には職人連中もくたくたになるだろうが、終わっちまえば金さえ払われりゃあ小金持ちになれる。

 今回は敵さんの侵略を阻止するっつー前提だが、立場が変われば土地が増えるってことになる。土地が増えれば食いものを作る場所ができて、ひいては人が集まる、金が集まる、得ができあがる。

 そういう理屈で戦ってのは求められることもあるんだよ。覚えとけ」

「……意外と、小難しいこと知ってるんだな」

「これでも俺は不良とつくが隊長だぜ?」


 冗談めかしてヤフヤーが笑うと、ヤコブもつられて口の端を緩ませた。


「けど……坊ちゃんは、そんな理屈で戦はやらねえよ」

「そう信じたいのは勝手だが、個人的にはそりゃ違うと思うぜ」

「いいや、坊ちゃんはそうなんだ。

 血の気が少ないとは言わねえけど、自分だけなんてみみっちいことは考えない。

 いつだって坊ちゃんは皆のために一生懸命で、皆のために誰より辛い道を進むことを選ぶ。

 だからこの戦もそうだ、例え誰が死んだとしても……きっと坊ちゃんは、皆のために決断をする」

「そうかよ。……まだまだガキんちょなとこは多いがな」

「だってガキなんだからしょうがねえだろ。そこは大人の俺らが、見守ってやらなきゃ」

「……つくづく、お前の坊ちゃん愛には感服するぜ」

「一晩じゃあ語り尽くせないからな。何なら全部教えてやろうか?」

「ああ、いい、いい、いらねえよ。俺はもう行く。そんじゃあな」


 面倒になってヤフヤーは果実をかじりながら歩いていく。

 ヤコブはまたセオフィラスへ目を向ける。するとうつらうつらと頭を振っていた。慌ててセオフィラスの方へ走っていき、ヤコブは主の肩へ手を添える。


「坊ちゃん、こんなとこで寝ちゃあ体を冷やしますよ」

「ん……ヤコブくん? ふわあ、あああ……眠くなっちゃった。ありがと、もう休むよ」

「ええ、はい、坊ちゃん。手を」

「うん」


 手を貸されて立ち上がったセオフィラスはヤコブの肩へ手を回して体重を預けるように歩き出す。


「……ねえヤコブくん」

「何です、坊ちゃん?」

「歩きたくない、おんぶして?」

「いいですけど……珍しいですね。というか、久しぶりかも知れませんね」


 しゃがんだヤコブの背にセオフィラスがおぶさる。

 立ち上がってからヤコブは想像以上に重い体に驚いて、それでもしっかりした足でセオフィラスの寝室へ歩いていく。


「今日は大活躍だったんすね、坊ちゃん」

「……うん、まあ」

「まあ、って……」

「ヤコブくん、今日、死んだ味方の数を知ってる?」

「え? いやあ、数は分からないっすけども……大勢」

「うん、大勢、死んじゃったよ……。俺のせいだ」


 きっと疲れているのだろうとヤコブは背の主の胸中を慮る。

 ぐっすりと眠ってもらえば、明日にはきっとこういう弱気も身を潜めるだろうとヤコブは知っている。

 どれほどに腕が立って、頭が良くなったとしてもヤコブからすればセオフィラスは可愛い坊ちゃんに他ならない。そこには当然のように弱さがあって、気の迷いが生じてしまって然るべきと思っている。


「大丈夫っすよ、坊ちゃん。大丈夫、大丈夫ですから」


 何の根拠もなくヤコブは言い聞かせるように言う。そうしながら背負い直し、セオフィラスはヤコブの首に回している腕へ少しだけ力を入れてしがみつく。


「ありがと、ヤコブくん……」

「俺は何も役に立ってないもんで、こういう時に稼いでおかなきゃ」

「役に立ってくれてるよ」

「よっし、そんならカタリナにもカートにもバカにされない」

「ふふっ……眠いや。あと、よろしく……」

「ういっす」



 やがて寝所に辿り着いたころにはセオフィラスはヤコブの背で寝入っていて、ベッドに寝かせると欠片の緊張感もない寝顔をしていた。


「……坊ちゃん、おやすみなさい」


 主人にそう声をかけた直後、ヤコブは背後に何か冷たいものを感じて振り返る。


「お前は――武人ではないな」

「なっ、誰、何が――」


 ぞっとしながら振り返ったが、あるのはただの壁だった。

 セオフィラスを起こすべきかとヤコブは主人へちらと目を向ける。



『守られるの間違いだろう?』


 ヤフヤーの言葉を思い出し、ヤコブはじっと身構えながら何か気配の欠片でも感じられないかと周囲を観察する。何かがいるならば、そしてセオフィラスの寝所にまで侵入してくる存在であるならば自分が立ち向かわなければならない。

 感じたことのない悪寒のせいで体は強張り、神経が嫌に尖る。


「――だが、懐いてるなら良しか」

「っ!?」


 次の瞬間、ヤコブは意識を失う。

 そしてイグレシア城から彼の姿は消え去った。

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