人の皮を被った修羅
(行軍を分断させるところもセオフィラスの仕込み――だったっけか?
峠道を飛び出してきた敵軍を最初は包囲しながら攻撃、それに気づいた敵軍が飛び出るのをこらえたところで友軍がわざと右翼側へ隙を作ってそこに誘い込む……。その二段階目のためにも2つに分断しておけば、敵を一網打尽にする可能性が上がっていく……)
両側が崖となっている細い道をユーグランドの軍勢が慌てふためきながら駆けていく。
それを崖の上からヨエルは見下ろし、弓を引き絞って矢を放つ。
「当てなくたっていい、浴びせ続けろ!」
「や、矢がもう、ないです!」
「だったら石でいい、足元のを拾って投げつけろ!」
指示を出しながらヨエルは矢を放ち、馬に乗って号令を出していた赤毛兜の戦士の脳天を貫いた。
「よしっ」
落馬したのを見て拳を握り、それからイグレシア城の方角に目を向ける。
「うまくやれよ、セオフィラス。お前の覇道が始まるか否か、見届けてやる」
混乱のままに飛び出てくる軍勢に統率はなかった。
待ち受けて鶴翼の陣を取っていたセオフィラスは飛び出てくる敵兵が近づいてきたら攻撃をするようにと指示を出していた。
「普通、鶴翼の陣で対象が座するのは中心の奥だろう」
「世の中、普通の戦ってあるの?」
「はは、ないかもな」
右翼側にセオフィラスはヤフヤーとともに構えている。
弓の扱いは会得していないので、小さなころから愛用しているスリングの投石を浴びせている。
「合図はまだこないか……」
「気が早いぜ、セオフィラス。やっこさんは3万いるんだろう? まだまだ、こんなもんじゃあねえ。詰まった糞みてえにこれからドバドバ出てきやがるんだぜ?」
「例えが汚いよ、ヤフヤー」
「おお、悪いな。だが戦場ってのは人の皮が剥がれるんだ」
「人の皮……?」
「そうさ、戦場じゃあ普段被った人の皮が剥がれる。
戦場で垣間見た姿が、そいつの真実の姿ってわけだ」
「ヤフヤーはあまり変わらないみたいだ」
「お前はけっこう変わる方だよな」
「……そうかな」
「ああ、だがお前はまだまだ変わりようがある。
呑気に話している間に決壊しちまったらしいぞ、どうするよ? 合図はまだってことは、これからさらに出てくるってえことだ。詰まってたもんがポンっと出てきたんだな」
ヤフヤーの例えには納得いきがたかったが、詰まっていたものが溢れ出たように敵軍がまとまって出てくる。しかしヨエルから上がるはずの合図がまだなかった。ヨエルには敵の全軍の動向を見張らせ、敵が最大に膨れ上がって出てくるタイミングを見計らって合図するようにという命令も出している。
「さあ、どうする? 大将?」
「……伝令!」
「は、はい!」
「ビートとペトルに伝えて。簡単なことだから、間違えずに覚えて」
伝令兵にはかき集めた兵の中で若い者を中心にしていた。それでもセオフィラスからすれば年上ばかりだ。
「陣形を崩さず、右翼側へ移動。復唱して」
「は、はい。陣形を崩さずに右翼側へ移動、です」
「それでいい。簡単だから分かるね。ビートとペトルだ。行って」
「はい!」
すぐに伝令兵は同じ班の3人とともに駆け出していく。
戦場にまで連れてきていたジョルディにセオフィラスは跨り、剣を抜いた。
「ヤフヤー、右翼は任せる」
「どうするつもりだ?」
「俺が惹きつけて押し留める。中央と左翼はこっち側へ寄るから、その分だけ鶴翼の包囲が狭まる形になるよ。ヨエルの合図を確認する余裕はないだろうから、合図が上がれば当初の予定通りに右翼へほつれを作って誘い込んで」
「大将がすることじゃあねえ。俺にやらせろ」
「意見するなら、俺より強くなってからにして」
「なっ――」
まだヤフヤーにはゼノヴィオルにあっさりと文字通り倒された記憶が新しい。元祖にして本元の「生意気なガキ」代表であるセオフィラスにそう言われてしまうと不本意ながら言い返す言葉を失ってしまった。
「前から4列目まで! 俺に続け!」
ジョルディに跨ったセオフィラスが背後にしていた兵を振り返った。
「声を出して、大地を踏み鳴らして走れ! 敵はただ恐慌しているだけの有象無象! 俺の剣から漏れた僅かな敵だけ取り囲んで1人ずつ倒せばいい! 分かったら声を出せ!」
「お、おお……!」
「おおおおっ!」
「まだ足りない、声を出せ! 声がデカければ勝てる、喉が枯れたら家に帰す!」
「うおおおお!」
「うおおおおおおおおおっ!」
「行くぞ、続けッ!」
雄たけびとともにセオフィラスは僅か100人にも満たぬ兵とともに氾濫した川のごとく溢れ出てきた軍勢へ向かっていった。
「ジョルディ、思う存分に暴れろ!」
「ブゥンモォオオオオオオオオ―――――――――――――――ッ!」
猛進するジョルディは雄たけびを上げて、セオフィラスとともに飛び出した兵を置き去りにみるみる距離を放していく。剣を握ったままの左手で手綱を握ったまま、セオフィラスは右手を使ってスリングで石を飛ばして自分に気がついた兵の脳天をかち割りながら倒す。それで怯んだところへジョルディが突っ込み、セオフィラスが剣を振るう。真っ二つに人混みを割り進んだところでジョルディは跳ねるようにして暴れ、さらにまた人をなぎ倒す。
「暴れ続けろ、疲れたら離れたところで休んでいいからな」
「ブモォォォオオオオオオオオオオ――――――――――――――――――――ッ!!!」
疲れるはずがないとばかりにジョルディが鳴き、セオフィラスは頼もしく感じながら鞍から飛び降りた。混乱しているままのユーグランドの兵は地面へ降り立った少年に剣を向けたが横からジョルディの突進を受けて吹き飛ばされた。
まったくもって頼もしく、得難い相棒に巡り合えたものだと思いつつセオフィラスは左側から襲いきた敵の剣を弾いた。スリング用の紐を振るって首を絞め、引き寄せてから胸を貫く。絶命した死体をその背後にいた敵へ押しつけるように倒すと、反対側から迫っていた相手の剣にスリング紐を叩きつけて巻きつかせて引っ張ってから延髄を折り砕くような蹴りを見舞った。
「弱い――弱い、弱い、お前も、弱いッ!」
次から次へとセオフィラスは一撃か、あるいは二度だけの攻撃のみで敵を切り倒し、あるいは蹴り倒し、殴り倒していった。強い敵と、弱い敵がセオフィラスには両極端に感じられる。それがどうしてか、奇妙な激情をセオフィラスにもたらした。
「弱いなら出てくるな、死にたいやつは自分で死ねッ!」
兜ごと脳天をかち割り、セオフィラスが叫ぶ。
たった1人で四方の敵を相手に、一方的に蹂躙するセオフィラスの姿に友軍は畏怖を抱かせられるが、それ以上に希望を抱いた。あまりにも強く、嵐のように敵をなぎ倒す様は圧巻でしかないのだ。
牙持たぬ羊の群れへ放たれた餓狼のごとく、セオフィラスは敵陣深くへと駆けていく。獲物の喉笛を噛み砕き、肉を噛みちぎり、腹が満ちるまで止まろうとしない獣の姿そのものである。
「頭の上からの石ころにはうんざりしていたところだ! ガキぃ、俺の盾――」
「豚はすっこんでろ!」
大きな重い鉄の盾と手槍を備えたその大男は、無敵と誇っていたはずの盾を3つに切り分けられて驚愕した直後に永遠に意識を失った。漲る激情はセオフィラスの気力を研ぎ澄まし、刃は鋼鉄さえ容易に切り裂くほどの力を発揮させている。
(何で、俺、怒ってるんだ――)
刃を振るいながら、セオフィラスは一方で冷静に頭を回転させている。
アトスに鍛え続けられ、体は考えるまでもなく最適化された動きをし続ける。それゆえに体の動きと思考を分割することができる。
(強い敵が欲しい、あの女と同じほどの力を持った強い敵――いや、いない。
大伽藍にいたビート達が個人の武力ではユーグランド配下のトップだったんだから、もうそれ以上の使い手なんてどこにもいない。
だったら――何だ、こんな、戦。
俺が3万全て、皆殺しにすればそれで済む)
『――ルプスとは、その全てが血に飢えた修羅どもの異民族だ。
連中が己を何者だと名乗らなかったがためにグラッドストーンでは、餓狼を意味するルプスという言葉を蔑称としてあてがった。
剣の振れる年の男子であればそれはもうルプスであり、修羅だ。
ルプスの縁者とは、ルプスに関わったがゆえにその闘争について知り、惹かれ、自らもまた修羅になる者を言う。
強敵を求めて流離う理由は最強を目指すためではない。
ルプスが求めてしまうものは、生と死の狭間にのみ存在する絶頂の感覚。
その遥かな頂の果てに手を伸ばし続け、殺し続け、戦い続けていく悪魔の異民族を――ルプスという』
不意にセオフィラスは、カフカから聞いたルプスという存在について思い出した。
『――ごくごくまれに、到底、人間じゃあねえような化け物じみた力を持った野郎を見ることがあるが、ああいう連中は総じて飢えている。てめえの実力を発揮できるような相手との殺し合いにな。てめえの血が流れ、傷ついて、死ぬかどうかっていうような命のやりとりに飢えてる。そういう連中を、悪魔だなんて揶揄することがあるんだ』
いつか、ローレンスの語った言葉も、またどうしてか、このタイミングで思い出してしまった。
『一度、その道に踏み込んだら戻れなくなっちまうぞ』
ああ――と返り血を頬に受けながらセオフィラスはまた剣を返し、別の人間を切り伏せる。
頭を失った首から噴出した血が雨のように少年の体へ降り注いで赤く染め上げていった。
「――俺はとっくに、修羅だったんだ」
その悟りが、セオフィラスの中で滾っていた激情を鎮火した。
割った薪を数えるように敵兵を切り伏せ、蹴り倒し、四方からの同時の攻撃さえも身を低くして躱してしまう。地面へ這うような姿勢から、次の瞬間には2人が喉笛を掻き切られ、その次にはさらに2人が絶命した。
(ヤフヤーの言葉が正しいなら、俺は人の皮を被った修羅だったってことかな)
盾を密集させながらセオフィラスに迫った兵士の動きは、混乱も薄れて指揮系統の立て直しがされている証拠だった。しかしその戦法さえもセオフィラスは意に介さずに真正面から叩き切ってしまっていた。