会戦前夜 ①
「――な、何だ、これはっ? 一体、何だというのだ!?」
部下からの報せを受けたデールゼンは行進してくる武器を持った一団を見て頭を抱えて叫ぶ。
「これから戦が起こると言いましたでしょう、デールゼン卿」
「っ――何故、このわたしが巻き込まれねばならぬ!?」
先んじて訪問していたセオフィラスに声をかけられてデールゼンが振り返り怒鳴る。神経質そうな痩身の男だった。
「もとより、あなたはそういう土地を任されているのだから必然です、デールゼン侯爵。
戦乱の世、ボッシュリード東部は今の王家と強く対立をし、このイグレシア城が戦いの最先端となっていた。ゆえに、イグレシア城を与えられたデールゼン家は古来より、東部の監視を任せられていた」
行進の先頭で馬に乗っていたヤフヤーがセオフィラスの姿を見て、2人の領主の前でそれを止めた。
「あなたの取るべきは、2つに1つ。
ここで反乱分子を叩き潰すか、迎合してともにユーグランドと矛を交えるかです。
すでにクラウゼン、ドーバントン、カウエルはわたしの旗下にて戦を構える覚悟ができています」
「反乱だと……!? 貴様っ、何を企てているか、分かっているのか!?」
「イグレシア城を差し出せばこの場は見逃します。あなたと、領民の無事も約束します」
デールゼンが素直に協力するとは、最初からセオフィラスは考えていなかった。
協力に応じた貴族も同様の考えを示している。ゼノヴィオルとも同じ考えを共有していた。――ゆえに、強硬策に出てデールゼンがイグレシア城へ訪れるタイミングをはかってなけなしの軍勢を向かわせた。
「あなたが、この城を訪れた理由はユーグランドを迎え入れるため。
すぐそこまで軍勢が迫っていることはこちらも掴んでいます。
みすみす潰されると分かってて、備えないはずがないでしょう」
「し、しかし……どうして、他の貴族までもが!
いや、いいや、ハッタリだな。ハッタリか、卿よ、浅はかだな。
ここには卿の手勢しか来てはおらぬ、他の貴族を炊きつけたなどハッタリに決まっている!」
「――あら、ハッタリなどという言葉で現実から目を背けるとは耄碌されましたのね、デールゼン卿」
柔らかな、しかし棘を含めた高圧的な言葉を浴びせられてデールゼンが目を剥く。セオフィラスの軍勢の中から、ヤコブが手綱を取る馬に乗ったベアトリスが現れてそれを振るえる手で指差した。
「な、なあ、なっ――」
「歯並びが相変わらず、気に入りませんわ。
それに声質もわたくしの好みではありません。
背の高さも、その中途半端に霜が降りた髪も、その髪の撫でつけ方も、何もかも気に入りませんわ。
ま、一応は嗜みと最低限の礼儀として……ごきげんよう、デールゼン卿。それとも、元旦那様とでもお呼びした方がよろしいかしら?」
「えっ?」
「はあっ?」
「っ――あ、ああぅ……」
ベアトリスから発せられた元旦那様なる言葉にセオフィラスとヤコブが揃って彼女に驚愕の眼差しを向ける。そしてデールゼンの筆舌に尽くしがたい驚愕や恐怖の入り乱れた表情もまた、セオフィラスを驚かせる。
そして腰が抜けたかのようにデールゼンがへろへろとその場で頽れるように尻をついてしまった。
「だ、大丈夫ですか……?」
「ふんっ、そんなのはどうでもよろしくってよ、セオフィラス」
思わずデールゼンに手を差し伸べかけたセオフィラスがベアトリスに制されて動きを止める。彼女はそのまま座り込んでしまったデールゼンの前に出てきて、胸倉を掴んで持ち上げて顔を近づける。
「ひ、ぃぃっ……!?」
「まどろっこしいのが嫌いとは申しませんが、今は時間が惜しいので、単刀直入に申しますわ。
デールゼン卿、イグレシア城を明け渡しなさい。ユーグランドの下へ逃げたければ戦の後、お好きになさい。いかなる手段を用いてでも、それまでは拘束、ないしは軟禁させていただきますわ。お返事をどうぞ」
「どうして、わたしが……そんな一方的な命令を受けねばならぬ。思い通りになどはなら――」
「ふんぬぅっ!」
クラウゼンに伝わりし淑女の嗜み――貞淑を守るための淑やかな反撃、こと、ビンタをデールゼンにぶちかました。間近でセオフィラスはそのビンタに凝縮された極上の技術を目撃する。首を抉り折るかのような角度でぶちかまし、その衝撃によって脳を激しく揺さぶる。結果、一撃のビンタで相手を気絶させることを可能としている。
「……あら、害虫と同じほどに忌々しくて、つい。
イグレシア城に閉じ込めておきなさい。行きますわよ」
「は、はい……」
「……あ、ぼ、坊ちゃん、ご無事で?」
「ああ、うん、ヤコブくん、久しぶり……」
「……女ってのは、謎っすね」
「あのビンタ、すごいね……。あれは俺もできない……」
「そこかあ、坊ちゃんの感心しちゃうとこは……」
妙な角度に首を曲げたままデールゼンは完全に気絶してしまっている。
パンパンと手を叩いてからベアトリスは目前に見えているイグレシア城を眺めた。
「行きますわよ、セオフィラス」
「はい、先生。……ゼノは?」
「あの子ならまだまだ準備が必要と言ってアルブスに残っていますわよ」
「……そう、ですか。でもどうして先生が?」
「白髭豚野郎がぎゃふんと言うところを見るためですわ」
「そうですか……。先生、あの、ありがとうございます」
「礼を述べるならば一人前になってからなさい。まだまだ半人前の未熟者にいちいち礼を言われてしまっては、それだけで時間が過ぎてしまいますわ。ヤコブ、早く手を貸しなさい。レディーに自分だけで馬へ跨れと仰るつもり?」
「ああ、はいはい……どうぞ」
きっと直接的に、戦いで役に立つことはない。
それでもベアトリスがいるというだけで、セオフィラスは不思議とうまくいきそうな気がした。
イグレシア城はボッシュリードのほぼ中央を東西に分断する大河リズベットの中州に築かれている。東西の双方に跳ね橋があり、これを上げてしまえばイグレシア城の近辺から対岸へ渡ることは難しい。ここを避けて大河を渡るのであれば南下していったところで川幅も狭くなったところで船を使うか、あるいは北上した険しい山中で跨ぐかしかなかった。
大きな荷物などを運ぶなどといった場合はイグレシア城を経由するか、海へ出て船で大きな港を使うかしかなかった。
「イグレシア城がこちらの手にある限り、ユーグランドは東側へ攻め込むためには、ここを落とすか、あるいは東側で最大の港町でもあるヘクスブルグを使うかしかない。
でもヘクスブルグはクラウゼンが抑え込んでくれるから、陸路から侵攻をしている軍勢はここを目指してくる。デールゼン卿の動きがあったことから、もう近いところまで敵軍は迫ってるはずだ。対岸――西側の道は、このイグレシア城へ辿り着くためには両側が崖になっている峠道になっている。だから、そこでまず奇襲を加えるのが今回の作戦だ」
イグレシア城の一室で軍議が始まり、セオフィラスが作戦を説明し始めた。
この席に集ったのは10人ほどだった。
アルブス防衛隊から隊長のヤフヤー、庶務係という本人には不名誉な――しかし事実上の事務方を取り仕切っているヨエル。
いつの間にやらセオフィラスの側近めいた立場となっているヤコブ。
王都グライアズローでセオフィラスが勧誘した、ピートとカフカ。
遅れてイグレシア城へ参じた、東ボッシュリードでも随一の兵力を持つドーバントン卿と、その私兵軍団をまとめあげているゲラルトという男と、セオフィラスとも手合わせをしたパウエル。
兵站などの支援だけという約束で参戦を決めたカウエルと、その部下であるヴィムという若い男。
そして港を封鎖して海戦によってユーグランドの軍勢を抑え込むという役を担うクラウゼンからは、その令嬢であるベアトリスが参じている。
「ヤフヤー、アドリオンからの手勢は何人?」
「ほんの数日だけ訓練した素人が上は63歳のジジイから下は15歳のガキまでで合計3100人」
「ドーバントン卿、あなたのところは?」
「我が私兵と、領民からの徴兵で1万1400人」
「カウエル卿には直接的な戦いに参加してもらうつもりはありませんが、人を貸してもらえるとのことでしたね。何人になりましたか?」
「1200だ」
「兵站を始め、戦の裏方に回っていただきます。
ですので、戦闘可能な人員としては総勢で1万5000弱。
予想されている敵勢力の合計は6万ということですが、半分は海から――つまりクラウゼンが抑えてくれますので、こちらで相手をするのは3万。戦力差はありますが、2倍程度なら十分に戦うことができます」
2倍の戦力差で戦い、勝利をもぎ取れるのかと中には不安そうな表情をする者もいた。
加えてユーグランドはその下劣なやり口に注目されているが、それだけの強大な力を有した背景には戦巧者の常勝将軍という功績がある。初めて本格的な戦をする14歳の少年が総大将として戦い抜けるものだろうかという不安は誰しもが抱いて当然のものでもあった。
「勝利条件はユーグランドを捕縛すること。
撤退は次に繋げられてしまいます。2度目をこの戦力差で凌ぐことはできません。
同時にユーグランドを殺害するに至っては、ボッシュリードと本格的な全面戦争をすることになりかねません。ユーグランドを欠いたとて、そうなれば戦力差はさらに膨れ上がることでしょう。まず、勝ち目はない。
我々の最終到達点は、この席に集った四貴族のボッシュリードからの独立及び、四国家における同盟をボッシュリードに認めさせることです。これはまだ、そのための最初の戦いでしかありませんが、ここで滅べば未来はない。
1人ずつの決死の覚悟と、尽力がなければ掴むことのできぬ勝利のために、協力を願います」
誰しも不安は尽きなかった。
しかし、ある者はこれから始まる戦の絶対的不利な状況に好戦的な興奮を抱き。ある者はセオフィラスの瞳に滾る光の中へ希望を感じた。
「これより、わたしは貴族としての責任を放棄します。
そしてこの地に新たな覇道を築くべく、アドリオンの黒狼王を名乗ります」
アストラ歴144年水節、下の月。
田舎の小さな領主の息子は、自ら王を名乗った。