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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
幼少期2 ベアトリス・クラウゼン
12/279

ベアトリスの視察 ①


「おはよう、ヤコブ。朝から呼んでごめんなさいね」

「い、いえ。それより、昨日の夜はすみませんでした……」


 ヤコブは朝早くからアドリオンの屋敷を訪れ、オルガの部屋に招かれていた。

 昨夜、遅くまで起きていたこともあって、今日のオルガは少し顔色が優れずにベッドから出てもいない。彼女はベッドに腰掛けたまま、部屋に入ってきたヤコブと言葉を交わしている。


「いいのよ、気にしないでちょうだい。それよりもね、お願いがあるの」

「何なりと。あのお嬢さんとどこそこへ行ってこいとか、そういうのでなければ、この体を自由にしてください。それがアドリオンのためになるってものなら、喜んで」


 快活にヤコブは胸を叩いて見せたのだが、オルガはちょっと目を泳がせるように逸らした。


「……え、あれ?」


 ほほえんでくれるものと思っていただけにオルガの反応にヤコブは少しだけ顔をひきつらせる。


「も、もしかして……?」

「ベアトリスさんを案内してほしかったのだけれど……こりごり、かしら?」

「…………イエ、ソンナコトハ……」

「ムリはしないでちょうだい、ヤコブ。それなら……他に誰か、見繕ってお願いをしてみるから、いいのよ。ええと……誰が適任かしら……? アトスさんは領内に通じているわけではないし……ガラシモスは屋敷にいてくれなきゃ困ってしまうし……」


 考え始めてしまったオルガにヤコブはやるせなくなり、渋い顔をしたまま諦めの境地に達した。


「自分が、行きます……」

「……あら、本当? ありがとう、ヤコブ」

「キニシナイデ、クダサイ……」


 はあ、と疲れたように息を吐きながらヤコブは肩をがっくりと落とした。








 アトスが屋敷の敷地内にある井戸で顔を洗っていると、目をこすりながらセオフィラスとゼノヴィオルがとことこと歩いてきた。


「おはようございます。セオくん、ゼノくん」

「おふぁよ……ふわぁぁ……」

「ふふ、まだゼノくんは半分、夢の中みたいですね。さあ、顔を洗ってシャキッと……セオくん?」


 目をこすりながら、うとうとと歩いてきたゼノに水を汲んだ桶を差し出しながらアトスはふとセオフィラスに目を移す。


「……おはようございます……」

「……ええ、おはよう。……セオくん、何だか、いつもと違ってよそよしくは――」

「かおあらってシャキッと……!」


 不審がるアトスをよそにセオフィラスはゼノヴィオルが使っていた桶を奪い取って、両手を入れてバシャバシャと顔を洗い始める。それを見つつ、アトスは僅かに渋い顔をして思い至った。――怖がられてしまった、と。しかし、それはそれとして、アトスは自分の着ているシャツで顔を拭くセオフィラスの頭にぽんと手を乗せやさしい声を出す。


「きみはお兄さんなんですから、弟のゼノくんからそうやって桶を奪っちゃうのはいけませんよ?」

「えっ?」

「……お返事は?」

「はい」

「よろしい」

「…………はい、ゼノ」

「うん」


 にっこりと微笑みながらアトスは兄弟を見守り、それから屋敷へ目を移す。

 すると丁度、とぼとぼとヤコブが出てきたところだった。しょげている様子に小首を傾げてアトスが手を軽く上げる。


「ヤコブくん、どうかされたんですか?」

「ああ……あんたか……。それに坊ちゃん方も」


 顔を上げたヤコブが辟易としながらも歩いてきて、井戸に腰をかける。


「どうしたの、ヤコブ?」

「セオくん?」

「っ……こ、こんどはなに……?」

「ヤコブくんはあなたより年上なんですから、最低限の礼儀を払う必要があるとは思いませんか?」

「ちょ、ちょっと、あんた……坊ちゃんは将来、ここの領主になるんだからそんなの必要はな――」

「ありますとも」

「い、いや、俺なんかにだな――」

「ありますとも」

「…………」


 何か言い知れぬものを感じてヤコブが苦い顔で黙ると、セオフィラスが難しい顔をしながらヤコブを見上げる。


「ねえ、ヤコブ?」

「は、はいはい、何です、坊ちゃん」

「……れいぎって、どうするの?」

「ああ……うぅーん……」

「とりあえず、セオくん。わたしの言葉をまねることから始めましょうか」

「……はじめましょーか?」

「はい」

「はい……」

「ぼ、坊ちゃんが敬語だなんて……」

「それで、どうかされたんですか? ヤコブくん」

「されたんですか、ヤコブくん」

「あれ……坊ちゃんにヤコブくん呼ばわり……?」


 まあいいか、とヤコブは首を振ってからまたため息を漏らす。


「実は……例の、あのクラウゼンのお嬢さんに領内を案内するようにって言われちゃいまして」

「レディーをエスコートできるなんて誉れではないですか」

「いいやっ、あれは女の皮を被ってイノシシだ。鼻息荒くあれをしろ、これをしろって言いつけてあくせくしてれば遅いだの何だの……。たんまり荷物を持たせて、自分は食器以上の重いものを持たないとか」

「おやおや」

「ああ……癒しが足りない。俺はもうボロ雑巾になるしか未来がないんだ……」


 大袈裟に落ち込むヤコブを幼い兄弟はよく分からなそうな顔で見た。すると、ゼノヴィオルがヤコブの膝に手を乗せる。


「ん……何です、ゼノ坊ちゃん?」

「いいこ、いいこ」

「……ゼノ坊ちゃん……いい子はあなたですよ……。ああ、ここに癒しがあったんだな……。ゼノ坊ちゃん!」

「わっ……!?」


 涙ぐんだかと思えばヤコブはゼノヴィオルを両手で持ち上げ、高く掲げるようにしながら腰を上げてその場でくるくると廻った。


「あーっ、ゼノばっかりずるい! ヤコブ、ぼくにも!」

「はいはい、順番ですよ」

「もっとやって、もっと!」

「はいはい、坊ちゃん達のためならばー!」

「ふふ……あなたは元気なのが1番ですね」


 結局ヤコブは兄弟を両肩に乗せて走り回るなどしてきゃっきゃと笑い声を上げさせた。

 それと同時に、やはり自分は怖がられたんだろうかとアトスは静かにダメージを受けていた。




 そんな朝の一時の後、セオフィラスとゼノヴィオルは食事の時間となる。

 ミナスがいたころから2人きりの食卓だった。家族揃っての食事というのはアドリオンの一人娘であるレクサが産まれてからはなかった。オルガが出産からずっと体調を崩してしまっていたし、ミナスは何かと忙しかったので1人でさっさと済ませてしまっていたからだ。

 領主の食卓とは言え田舎の貧乏貴族である。庶民に比べれば立派だが、それでも卓に並ぶのは豆の煮込み料理と野菜が中心で、たまにアルブス村の住民からの差し入れで狩猟された鳥などの肉が少しだけ並ぶ程度だ。


 そんな食事が普通であった――が。



「わたくしを待たせるなんて、子どもとは言えどういう了見をしているのかしら?

 ただでさえ粗末な食事に不満を押し殺しておいてあげているというのに、その上で、このわたくしの時間を奪うだなんて本来は許されざることだわ」


 食堂に兄弟が入ってくると、卓にはベアトリスが憤然として待っていた。

 給仕係を押しつけられたカタリナは彼女に見られないように辟易とした顔をしている。サッと兄弟が一緒に入ってきたアトスの後ろへ隠れると、ベアトリスは使用人に見えぬ青年に目を細めた。


「ところで、あなたは何なの?」

「お初にお目にかかります。わたしはアトスと申します。放浪の剣士――と名乗っていたのですが、すっかりここに厄介になっていまして。逗留中の身の上です」

「あら、そんな余裕がアドリオンにあったなんて初耳ですわ。申し訳ないけれど、財政は逼迫していますの。今日中に荷物をまとめて出て行っていただけるかしら?」

「おや……」


 出て行けと言われたアトスは驚くでもなく、どこか白々しい神妙な顔をした。


「しかし、亡きミナス殿との約束がありましてそうもいかないのです」

「死者の言うことをいちいち聞いていても無意味ですわ。彼らの生きた時間と、わたくし達がこれから生きる時間は切り離されているのですから」

「あなたはとても芯の強い女性なのですね。心から敬服いたします」

「世辞はけっこうよ、聞き飽きてるから」

「いえいえ、そのようなつもりでは」

「はい?」

「あなたに敬服するからこそ、申し上げさせていただきます。

 わたしをここから一方的に追い出すことができるのは、この子だけです」


 言いながらアトスがセオフィラスの頭を軽く撫で、彼女の視線が少年に向けられる。


「……あなたがセオフィラスかしら?」

「うん――」

「セオくん?」


 問いかけられて頷いたセオフィラスが、アトスに食い気味に注意されて背筋を伸ばした。


「……セオフィラス、です」

「そう、あなたがエクトルの……。凡庸ね。やっぱり死者の言うことなんて真に受けるものじゃないわ。どうしてエクトルがあなたの許嫁なのか……。そうでなければそもそも、こんなところまでわたくしが来ることもなかったと言うのに……」


 ぶつくさと文句を垂れるベアトリスを前にアトスが小さく咳払いをし、彼女の注意を惹いた。


「あら、まだいたのね。セオフィラス、その男に出ていけと命じなさい」

「えっ?」

「それはきみの意思で言うべきことです。命令されてすることではありません」

「え?」

「あら、わたくしの言うことが聞けないのかしら? 分かりやすく教えてあげるわ、セオフィラス。このわたくしが、アドリオンを立て直してあげるということになっているの。逆らうのであれば、あなたが治める領地は没収ということになるはずだわ。つまり、お家がなくなってしまうの。それでも、わたくしの命令に背こうというのかしら?」


 冷たい眼差しを注がれながらセオフィラスはちらとアトスの顔をうかがった。やさしく師はほほえんでいるのみだ。それから部屋の隅で露骨に顔をしかめていたカタリナの顔もセオフィラスは伺い、最後にベアトリスに視線を戻す。



「早くなさい。ぐずぐずする子は嫌いなの、わたくし」

「……やだ」

「……はい?」

「と、いうことだそうなので、わたしもここにいさせていただくことにします。

 ああ、説明が遅れましたがセオくんとは師弟という関係です。あまり、わたしのかわいい弟子をいじめないでくださいね、ベアトリスさん。さあ、2人とも。お行儀良く座って食事をしてください。レディーがいらっしゃるんですから、マナーをよく守ってくださいね」


 アトスに促されて2人が食卓の定位置につく。

 不満そうな顔をしながらベアトリスはじっとアトスを睨みつけていたが、当の本人はどこ吹く風で気に留めてもいなかった。

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