カウエル卿
カウエルという貴族は、貴族にしては人が好い。
と、表現するよりも、貴族にしてはやたらに小心者であるとも言える。
「――と、いうことですので」
だからいきなり訪問し、いきなり戦に協力してほしいと要請してきたセオフィラスの言葉には渋面せざるをえなかった。しかも少年がドーバントン卿の書状を持参し、さらにはクラウゼンも噛んでいるとも話の最初に伝えられている。
「カウエル卿、どうか、お力添えを」
「……そ、そうは言ってもだな、ユーグランド卿の手勢とことを構えるなど、そんなこと、できるはずがなかろう……。逆らった挙句に、我が領土までもが焼き尽くされてしまっては……」
「8年前。クラウゼンとオーバエルの国境沿いにユーグランドが進軍した折は、運よく、卿の領土を通らなかったようですが、今度はどうでしょうか。我が領土とカウエル領は隣接しています。ここへ陣を置き、食料を備蓄している分まで全て食い散らかし、あまつさえ、人民さえも徴兵していくかも知れません」
「だ、だがそれはっ、元を正せば卿の行いによる結果であろう……! で、あれば、わたしにとっての敵は――」
「わたしは構いません。あなたがわたし達の連合軍と敵対し、食い尽くされることを由とするのでしょう?」
「っ……!」
「ユーグランドに食いつくされ、去ってもまたいつ、同じことが起きるか分からぬ日々を過ごすか。
我々とともに立ち上がり、侵略を許さぬ平和な時代を築くために戦うか。
あなたが選ぶのです、カウエル卿。どうなさいますか?」
安易に招くのではなかったと、今さらの後悔にカウエルは苛まれる。
12歳の誕生会に招かれて以来の珍客で、カウエルとしてはこんな話を持ち出されるなど夢にも思っていなかった。むしろセオフィラスはカウエルの息子とも年が近いので、勝手な親近感を抱いて招いたのである。
「……わたしは、賛同できん。卿もそのような考えはよすのだ。懇願すれば、きっとユーグランド卿とて許してくれるだろう……」
「許しを乞うた父は死にました」
セオフィラスの見せた瞳は冷たく、しかし烈火のごとき情念があった。
もう、この少年は戦をする他に選択することができない――そうカウエルに悟らせるだけの光があった。
「卿は良いかも知れません。
しかし、あなたの息子はどうなりますか。
ここで変わらねば、ユーグランドと似た輩が未来永劫に脅かし続けるのです」
「……だがそれも、ここでわたしが死ねば同じこと。
残された民は、家族は、またユーグランド卿に虐げられるであろう。
それこそ、卿と同じ境遇になりかねないのだと思えば……手を貸せぬ」
「同じになりません! そのために戦うんです!」
「ええい、そんな保証はどこにもなかろう!」
カウエルが声を荒げてテーブルを叩く。
最初から、難関はクラウゼンとカウエルだと考えていたセオフィラスには想定内のことだった。
しかし実際に交渉をしている今になって、引き入れることができるだろうかと顔に出さぬまま不安を抱く。
「お父様、どうかしたんですか……?」
「っ……下がっていなさい、ミース!」
「アドリオン卿……ですよね? はじめまして、お噂はかねがね聞いています! ミース・カウエルと申します!」
ミース・カウエルは13歳だった。セオフィラスとは1つ違いで、顔つきもまだ幼い。なかなか怒ることのない父の荒い言葉が気になって覗きにきてしまっていた。顔を覗かせたのを見たセオフィラスは、それがいつかの自分とも重なった。
無茶な要求をつきつけるユーグランドに必死に許しを乞う父の姿を目撃してしまった。
「ミース、今、大切な話をしているところだ。部屋へ戻りなさい」
「でも、父上……」
「いいから、戻るのだ」
促されてミースはセオフィラスに会釈をしてから、渋々といった様子で出ていく。
もし、まだ父が生きていたら自分もああいう普通の子どもだったのだろうかと不意にセオフィラスは考えてしまう。きっとベアトリスに教わるということはなく、心穏やかに過ごせていれば母も存命だったかも知れない。
家族で5人揃って、屋敷で平穏に暮らすことができていた。
しかしその夢想はあまりに甘すぎて、すぐに、そんなものは現実的でないと断じることができた。
「……カウエル卿」
「……何だね。わたしは意見を変えぬ」
「いえ。……わたしの方こそ、申し訳ないことをしました」
「い、いきなりしおらしくなって、どういうつもりだね……?」
「わたしが、こうして……ユーグランドと戦う決意をした原体験は、父を虐げるユーグランドの姿を見たためだと思います。……父が、知らない男に平伏する姿を認めたくなかったのだと思います。
協力していただけないのは理解できます。全てを終わらせかねない危険へ挑むより、いつ来るか分からないけど一時で終わる危険の方がマシなはずです。……分かります」
「……な、泣き落としのつもりか?」
「いえ。……わたしも領主とはどうあるべきか、日々、政務とともに考えていました。父はその点、凡庸であったと思います。発展ではなく、現状維持。それでは永遠に辺境の片田舎のまま。……けれど父親としては、わたしは今でも尊敬しています。だから……カウエル卿、あなたも父親として家族を守りたいのだと思いました。それを邪魔することはできません」
「……わ、分かってくれるのであれば、良いが」
「……ですが、1点だけ。我々の動きをユーグランドへ密告することだけは、しないでください。そうなれば、この土地を蹂躙しなければならなくなります。……では、失礼します」
椅子を立ったセオフィラスが部屋を出ていこうとし、カウエルも立ち上がる。
「ま、待ちなさい」
「何でしょう?」
「一晩だけでも、泊まっていきなさい。客人を無碍にはできぬ。
それに……息子は、きみに興味を抱いているのだ。同じほどの年だというのに、きみはすでに領主として立派に政を治めている。いずれ、わたしの後を継げばきみにも何かと相談をするやも知れぬ。そう考えればこそ、今の内に卿との親睦を深めさせようという親心だ」
「……では、お言葉に甘えさせていただきます」
広大な小麦畑を有するドーバントンの食卓は、急な晩餐の支度でも客人に一切の不満を与えないものだった。その食料自給率についてセオフィラスは質問し、そして同席したミースとも色々な話をして過ごした。
セオフィラスが連れてきたヨエルとカフカもまた、晩餐の席には出なかったがたっぷりと飲み食いさせられた。
「突然の訪問だったにも関わらず、盛大なご歓待を受けましたこと、まことにありがとうございます。
忙しないですが、先を急ぐ事情がありますので、これにて失礼をさせていただきます」
朝食の後、セオフィラスはカウエルに挨拶をした。
結局、カウエルを引き入れるのは諦めたが、かと言って敵に回した形でもない。上々とは言えないが最悪は回避できたと、脳内で計画にまた修正を加える。
「アドリオン卿」
「はい」
「……わたしは負け戦など、経験したくはない。提供できるものは食料程度、それも我が領に万一があっても持ちこたえられるだけの備蓄を残しながら、である。……それでも、よろしいか?」
「え……」
「不服かね?」
「い、いえ。……ありがとうございます。
心より、感謝いたします。きっと、望む未来を手に入れます」
残るは、戦場となるイグレシア城を領土内に有するデールゼンのみである。
そしてユーグランドの軍勢がイグレシア城へ辿り着くのも、もう間もなくのことであった。