ゼノヴィオルの帰郷 ④
「何でこんなことまでうちの仕事なんだ?」
「領主代行様にお前が負けたからだろ、隊長殿?」
「うるせえ。生意気なガキばっかここにはいやがる……。可愛げってのがねえ」
アルブス防衛隊がアルブスに住む男達に訓練を施している。アドリオン邸の裏庭では場所が足りず、多目的広場に15歳以上の健康な男子が全て集められて木製の武器を与えられていた。
「これだけかき集めてもほんの2000人足らず……。領内の男を集めたところで、せいぜいが5000もいかねえような数字だな。いや、4000もいけば上々か? こんなで6万の軍勢が手に負えるわけがねえ」
「だからってセオフィラスが近場の貴族のとこへ交渉へ出てるんだろ? 戻りもしねえで、ヨエルを連れて」
「それだ。あの野郎がいねえから俺が何かと使われる……」
「お前よりヨエルの方がいいんじゃないか? 隊長ってのは」
「うるせー。殺すぞ」
「できるわけねえだろうが」
「チッ、人手不足に救われたな。……おぉい、そこ! そんなへっぴり腰でどうする! ちょっと貸せ!」
「何だかんだで面倒見は悪くねえ、と……」
不良隊長ヤフヤーとよくつるんでいるのが、同じく不良という悪名をつけられているペトルである。行ってしまったヤフヤーを見送ってから、彼は首の骨をゴキリと鳴らす。
「……しゃあねえ、俺も働くか」
ため息を漏らしてペトルは何人かの班に分かれて訓練している人々の中へ気怠そうに歩いていった。
「あーあ、どうしてこんなことになっているんだろう……。本当なら今ごろ、婚前旅行のために荷造りでもしていただろうに。ねえきみ、きみはどう思う? いきなり婚約破棄だとか、どう思う?」
「ええと……ごめんなさい?」
「そうさ、もっと謝罪してもらいたい! それはそれはもう、おでこが赤く擦れ上がるほどには額づいてほしいところさ! ああああっ! でもっ! 1番悪いのは姉上だ、あの人はいつもいつもいつもいつもいつも! 僕の前へ立ちはだかって邪魔をする! 挙句には、あれこれ適当なことを押しつけてしまうんだ! 今だってそう、どうして婚前旅行の準備をしているはずの時間に、戦争の準備なんかをしていなくちゃいけないんだ!」
執務室でサイモスが嘆き始めるが、すでにこの日8度目のことでゼノヴィオルは努めて聞き流す。事務方の手というのはかなり不足をしている。これまではカートが手伝いを申し出ていたが、それだけでは足りずにいたところ、ベアトリスがサイモスを使うようにと言い出したという経緯がある。
クラウゼンの高等教育を受けたサイモスは人柄こそ周囲にはヘタレなどと言われるものの、実際には非常に優秀な人物である。それこそ、ベアトリスが自ら手伝うよりサイモスを使った方が良いと考えるほどに。
「はあああ……。で、このアルブス市民の緊急避難経路使用時における避難完了予測時間とやらの計算は終わったけど、これはどうすればいいんだい?」
「え、もう? ずっとぶつぶつ言ってたのに……」
「口と手は別々に動かせるじゃないか」
「こっち、ください……。終わったなら、今度は防壁補強用資材について……これなんですけど」
「ああ、はいはい……調達に関する諸々だね。おいしい紅茶をもらえるかい?」
「……あ、はい。カート、悪いんだけど」
「かしこまりました」
静かにカートが執務室を出ていく。何かと準備をすることは多いがゼノヴィオルが到着するまでに、必要な資料の準備はベアトリスが済ませてくれていたのでスムーズに仕事は回っている。
しかし、それでも膨大にやるべきことがあった。セオフィラスであれば、ここまでやる必要はないだろうと手をつけぬような点にまでゼノヴィオルは手を回している。
「はぁーあ……10年待てとか言われたけど、10年後に姉上が連れてくるだろう女性を考えると鳥肌が立ってしまうよ……。きみも知っているだろうけどあの人は前に1度、結婚しているのに3日で戻ってきたのさ」
「……そう、言えば? どうしてそんなに早く出戻っちゃったんですか?」
「何でも元旦那に欠点を200個ほど並べ立てて、1つ残らず改善できなければ帰るとか言ったらしいんだ。中には顔が気に食わないとか、歯並びが悪いとか、そんなことまで挙げ連ねちゃってて、そんな女はこっちから願い下げだということになったらしい」
「そ、そうなんですか……」
「家柄も良くって国内の有力貴族にもコネクションを持っているほどだったのにもったいないことをするなと思ったよ。だけどきっと、最初からその気だったんだろうなって後から思ったね。あの姉上が、大人しく嫁いでしまうなんて考えそのものが誤りだったんだ。僕は男だから別にいいけど、そろそろ姉上も行き遅れだし、自分の結婚をどうするつもりなのか……。出戻りの行き遅れで、あの性格じゃあ貰い手が怪しいね。申し出があっても怪しいし、姉上を気に入ったなんていう人間がいたらその相手こそ頭が心配だ」
「だけど……僕は、好きですけれどね……」
「ふうーん、きみって物好きなんだねえ。じゃあきみが大人になったら、是非とももらってあげておくれよ」
「……でも、僕なんて」
「ああ、それ。僕なんて、って言葉は、僕もよく使ってしまうけど、使うほどに自分の価値が下がっていくよ。だから使わない方がいいだろうね。ましてほら……きみは、きみが思う以上に優れた人間だと思うよ。賢いだけの人間は探せばいくらでもいるけど、きみのように剣も達者で、兄妹に恵まれる人は少ないからね」
「……ありがとう、ございます」
「いいのさ……。どうせ、僕なんてただ喋ってクソして寝るだけしかできないからね……ハハハ……」
「ええええ……?」
人に助言をしておきながらすぐに卑下するサイモスにゼノヴィオルが思わず呻く。この掴みどころのなさは一体何だろうかと首を傾げざるをえなかった。と、コンコンとドアがノックされて顔を向ける。
「失礼いたしますね。お兄様、ゼノヴィオルさん、お仕事は捗られていますか?」
「やあ、エクトル。きみも退屈してるんなら手伝ってくれていいんだよ?」
「それはちょっと……」
「あら、わたくしはお手伝いできることならと思ったのですけれど……お邪魔になってしまいますか?」
「助かるとは思うけど、お兄ちゃんは多分、嫌がるだろうから……」
「まあ……」
「彼、なかなかエクトルに骨抜きにされてるみたいだね。その調子で大事にされるのがいいよ」
「けれど……皆さん、慌ただしくされているのにわたくしだけ、というのも。何でもいいんです、ゼノヴィオルさん。お力になれることはありませんこと?」
「そう言われても……お、お兄ちゃんが帰ってきた時に、一緒にいてくれれば――」
「そんなのお飾りですわ。これでもクラウゼンの淑女です、何でも言いつけてもらって構いませんのに……」
拗ねるように言うエクトルにゼノヴィオルは弱ってしまう。確かに何でもできるのかも知れないが、それと何かしてもらうのは別の話だった。
「もう、セオフィラス様もゼノヴィオルさんも、皆さん、わたくしのことを何だと……」
「まあまあエクトル、いいじゃないか。僕なんてこき使われてばっかりなんだから……はぁぁ……」
「そうですわっ。でしたら、お兄様と交代して――」
「いやいや、あの、僕が怒られちゃうので……」
「むぅぅ……。それなら、わたくしはわたくしのできることを、させていただきますわねっ」
ぷいっとそっぽを向くように入ってきたドアをくぐってエクトルが行ってしまう。
一体、何をするのだろうかと不安になってゼノヴィオルはお茶を持ってきたカートに、彼女につくようにと頼んだ。
「エクトルさんって……先生と違ってすごく、可憐な女の子って印象ですけど、お兄さんとしてはどうなんですか?」
「うーん、姉上ほど強気じゃないだけで根っこは同じだろうね。何せ、間に僕が挟まれちゃいるけど姉妹なんだから。姉上のできることの9割はエクトルもできるだろうし、姉上が考えつくことの9割はエクトルも思いつくだろうね」
「……そ、そんなにですか?」
「クラウゼンの淑女の嗜み――って言って、英才教育法が我が家には伝わっているのさ。ある意味、あれも剣術と同じだろうね……」
人柄としてはゼノヴィオルも、エクトルならば兄の支えになってくれると思える。
しかしサイモスに聞いてしまったことを考えると、大丈夫だろうかと妙な不安を抱いてしまった。