ゼノヴィオルの帰郷 ③
「――っ!?」
「おやおや、成長しましたね、ゼノくん」
「……し、師匠……?」
寝込みにいきなり、恐ろしい気配が杭のように刺さってゼノヴィオルが飛び起きる。
するとそこにはにこやかにほほえむ懐かしい師の顔があった。
「ちょびっとだけ、刺してみました。
けれどね、そこまで過敏な反応をするというのは……いくつか、死線を抜けたという証拠です。たくさん、大変な思いをしたのですね、きみも」
寝起きに言い放つ言葉ではないのでは、とゼノヴィオルは心に思ったが口にしないでおいた。
「おはよう、ございます……」
「はい。おはようございます。久しぶりに稽古でも、と思ってお誘いに来ました」
「……じゃあ、折角なので」
すぐに身支度を整えてからゼノヴィオルはアトスとともに森へ向かった。
朝のアルブスを道すがらに少しだけ眺めて、ゼノヴィオルはかなり景色が変わってしまったのだと思った。昔は屋敷から地平線を見渡すことができた。しかし今は内向きに建造された大きな壁が、その稜線の一部を切り取ってしまっている。
しかし森の中へ入ると、その清浄な空気感に懐かしさがこみ上げた。
朝の森の香りは瑞々しく、それでいて深い土と草の香りも孕んでいる。アトスの修行が始まってからは、毎日ここでセオフィラスとともに走り回った。
「さて……今さら鬼ごっこというのも面白くはありませんね」
「僕はそれでもいいですけれど……」
「弟子の力を、少し確かめてみましょうか。セオくんと比べ、どう成長をしたのか。何を身につけることができたのか。――修行をサボってはいなかったか、とかも」
「……はい。お願いします、師匠」
「……そう素直にこられてしまうと、何だか意地悪すぎたかと思ってしまいますね。これは一本取られました」
変わらぬアトスの飄々とした笑みにゼノヴィオルもつられて笑った。
だが持ってきた練習用の懐かしい木剣を右手だけで構えると、アトスは変わらぬ笑みをたたえたままに雰囲気だけを変えた。アトスがすっとゼノヴィオルに向けたのも、同じくただ木から削りだしただけの木刀である。しかしその剣こそが、この世で1番強いものだとゼノヴィオルは信じている。
「では、どこからでもどうぞ。何をしてもよろしいですよ」
「はい。――行きます」
土を蹴ってゼノヴィオルは体を回転させるようにして遠心力を乗せながら木剣を振るった。アトスは軽くそれを受けてから払いのける。しかしゼノヴィオルは踊るように、独楽が回るようにそのまま小さく跳んで蹴りを放つ。それを木剣の柄で受けながらアトスが押し返すと、ゼノヴィオルは身を低くしながら着地して前へ出る。
「ミーセル・クラウィス」
無数の自然物ではない杭が出現し、アトスに迫る。目だけ動かしてそれを見たアトスは後ろへ跳んで距離を取る。見透かしたようにゼノヴィオルはさらに地面を踏みしめながらアトスの着地を狙って木剣を振るいにかかった。左手がないというハンデから、ゼノヴィオルが考えるまでもなく実践している戦法は相手を自分の意のままに動かし、移動させたところを叩くというものだった。
しかし、アトスが着地してくるはずのところへ、ゼノヴィオルの木剣は空振りした。
木剣を握っている右腕を高枝に引っ掛けてそのままくるりと回って木に登っていた。体重に耐えられずに枝は折れ、そのままアトスは真下に――ゼノヴィオルの頭上へ落ちながら木剣を片腕で振り下ろす。かろうじて防いだゼノヴィオルだったが、そのまま木の葉が散らばる地面を受け身を取りながら起き上がると鼻先にアトスの木剣が突きつけられた。
「――成長しましたね」
「っ……師匠も、相変わらずのようで……」
「まさか、きみが魔術を使うとは。少し気配が異なっているのは分かっていましたが、ハッキリ突き止められて良かったです」
「師匠……わざと、右腕しか使ってなかったんですか?」
「ええ。きみと同じ条件です」
ヴィオラとの戦いは、死の脅威が次から次へと襲い来るような恐怖の連続で無我夢中だった。しかしアトスはただただ、純粋に立っている場所が違うと思わせられる。これほどに性質が違うものだっただろうかと少し不思議に思いつつ、ゼノヴィオルは木剣を杖のようにして立ち上がった。
「……師匠、ヴィオラっていう女性は知っていますか?」
「ヴィオラ? ……はて、そのような名前には心当たりがありませんが」
「僕の左手を落として……お兄様の眼も、奪ったかも知れません。師匠と同じくらい圧倒的に感じられました。……でも、今、師匠と手合わせしたら、それも違うような、気がしました。剣の技量も、魔術の力も、圧倒的で……僕とお兄様が2人がかりで挑んでも、まるで蟻と巨像みたいな……」
「ほう。それほどの手練れがいるのですか」
「やっぱり……知り合いじゃ、ないんですよね……」
どことなく似ているような気はしたが――勘違いだっただろうかとゼノヴィオルは少し考えてしまう。もし、あの女が今度の戦に出てきたらどんな戦術も意味をなさないかも知れない。魔術で陣内に忍び込まれ、そこであの力をもって暴れられれば太刀打ちできる者は自軍にはいないのである。
「……こう、陰気な瞳で」
「え……?」
「髪型など変わるものかも知れませんが、すとーんとした長い黒髪で……」
「はい……」
「なるほど。今はヴィオラと名乗っているのですねえ……」
「え? し、知り合いなんですか? やっぱり?」
「……ま、害のある性格ではありません」
「いや、えっ……ゆ、ユーグランドの、手下だったんですけど……」
「まあまあ。しかし、なるほど……彼女が、ほうほう……。では、今日はここまでということで」
「師匠っ?」
取り合わず話題を避けるようにアトスが歩き出し、ゼノヴィオルはどんな関係なのかと首を傾げる。それに害のある性格ではない、などという言葉も理解に苦しんでしまう。
「あの、師匠? もっと詳しく……」
「きっときみとセオくんが本気でやれば、互いに決定打をかいた消耗戦となるのでしょうね。しかしやはり、競い合うには実力の近い者がいてこそとわたしは改めて感じました。あなた達、兄弟は良い相性なのですね、きっと」
「露骨に話をそらしていませんか……?」
「そうそう、聞いていますか? セオくん、許嫁のエクトルさんにそれはそれはぞっこんなんですよ?」
「あのう……」
「いやはや、若さというのは眩しいものです」
話す気はないのだろうなと悟り、ゼノヴィオルは食い下がるのをやめた。




