ドーバントン卿
「突然の訪問、大変、申し訳ありません。
わたしの12の誕生日にお招きして以来でしたね」
「まあ、退屈もしていたところだ。たまには珍客というものも悪くはないと思って許してやった」
ドーバントンは58歳になる貴族だった。
ヨエルを先に使者として行かせて訪問を伝えていたが、急すぎて門前払いされる可能性も考慮していただけに招き入れてくれたことを感謝するしかなかった。
「それで? 随分な格好だが、一体、何のために来たのだね?」
「少し前からわたしも私兵を抱えるようになりまして。その道の先達であるドーバントン卿に、是非とも助言をいただけないかと」
「なるほど?」
「練兵はどうされてます? どれほど維持費がかかるのでしょう? 何を削り、何を惜しまなければいいのか。まだまだわたしも手探りなものでして」
「ふっ、随分と健気なことを言う……。そっちの連れは、どうやら戦士のようだな。試すかね?」
「よろしいんですか? まだまだ未熟なので、どれほどの戦いができるか。お恥ずかしいのですが」
すぐにドーバントンの私兵が何人か、屋敷に呼び寄せられた。
いかにもといった武人揃いの大柄な男達ばかりで、捻り潰すとばかりに気合いは充分だった。
「セオフィラス、叩きのめしていいのか?」
中庭で手合わせをすることになり、ヨエルがそっと主に囁く。
少し考えてから、セオフィラスはヨエルに耳打ちする。
「殺しちゃわないでね」
「……いいだろう」
ヨエルの相手に出てきたのは大きな槌を獲物にした上背のある長身の男だ。白いものの混じった顎髭を蓄えている。
「そんな細い剣、玩具にしかならんぞ」
「そんなに大きなハンマー、当たりもしない」
互いに戦意を剥き出しにしたところで、合図もなしに試合は始まった。
巨大なハンマーを振り回し、長身男が頭上から振り下ろす。中庭の地面を衝撃が奔るがヨエルは当たっていない。さっと横へ身を翻してから、相手の胸板へ蹴りを叩きつける。しかし、男はビクともせず、ハンマーの柄を使ってヨエルを遠ざけた。そして力ずくで振るい上げ、ハンマーを鋼鉄のブーツで蹴り飛ばして加速させヨエルにぶつけようとした。
「遅い」
相手の攻撃をまたあっさりとヨエルはかいくぐり、今度は剣を振り上げる。手首につけている鉄製のリストを強打してハンマーを落とさせると、思わずのけぞった男にまた蹴りを放つ。だが今度の狙いはのけぞって下がった後頭部だ。つんのめるように男は倒れかけ、最後にヨエルがまた後頭部を踏みつける。
「本当は手首が落ちて終わりだったな、オッサン」
「さすがヨエル」
ぱちぱちと白々しくセオフィラスが拍手すると、ドーバントンの私兵達が殺気立った。その空気の変わり方でセオフィラスは静かにドーバントンを観察する。まだそう怒りも焦りの色も薄い。
「カフカ、ヨエルと同じように倒せる?」
「あまり器用なタイプではないが……」
「やってみて」
「いいだろう。だが……折る程度は誤差にしろ」
「斬り飛ばさなきゃいいよ」
宣言通りにカフカは、ほとんど同じ内容で相手を下した。
違ったのは利かなかった蹴りをしなかったことと、相手の肘を反対へ折り曲げたことくらいのものだった。
「……強いな、あのカフカという男」
「ヤフヤーより、多分ね」
「一体どこであんな人材を?」
「ユーグランドのところから引き抜いた。ピートもそうだよ」
「……敵じゃないのか」
「金で雇われてるだけみたいだったから」
ヨエルとそんな言葉を交わしていたらドーバントンが用意されていた椅子を立ちあがる。
「なかなか、多少はやるようではないか、アドリオン卿……」
「恐縮です。でも――まだまだ、彼らは弱くって」
「は?」
「……」
ヨエルとカフカがあっさり、軽く言い切ったセオフィラスを睨む。
だがセオフィラスは気にもせず同じように椅子を立ってから中庭の中央まで歩いていき、私兵達を見渡した。
「卿の耳にも多少は入っているかとも存じますが、毎年、1000人斬りという催しをしていまして。今年で3000人になるつもりでしたが、卿の抱える私兵ほど練度の高い者はなかなかいないんです。ですから、どうかわたしにも稽古をつけてはくださいませんか?」
「……ああ、いいだろう。パウエル、やれ」
出てきたのは長い剣を持った男だった。腕利きらしい雰囲気がある。
「ヨエル、剣貸して」
「自分のがあるだろ」
「いいから。これは特別なの」
宝剣を預けてヨエルに剣を借りてセオフィラスは自分の体の傷を確かめる。多少の運動ならば問題ない。軽く体を伸ばしてから剣を構えると、パウエルと呼ばれた男が無言で構えを見せた。
「寡黙キャラ……」
「黙ってなさいって命令なの、うふふっ」
低く野太いものが出るはずの声帯を不自然に高くしたような声でパウエルがセオフィラスに返す。ぎょっとした、初めて出会うタイプの相手にセオフィラスが気を取られた瞬間にパウエルは仕掛けていた。鋭い一振りが鼻先を掠める。そのまま後退してセオフィラスはパウエルの剣を受けていく。
「あら、かわいいわねえ、近くで見ると」
何でか心臓が嫌に跳ねるのを感じ、セオフィラスは力任せに相手の剣を振り払って踏み込む。しかし体がしなるように柔軟にパウエルは受け流し、長い脚でセオフィラスの腹へ蹴り込んだ。
(さすがに強い、ちょっと舐めてたかも――?)
包帯で塞がっているセオフィラスの左側からの攻撃をパウエルは集中させてくるが、そちらに気を取られれば今度は別の意識の外から仕掛けてくる。それでいて太刀筋はブレず、鮮烈に刃を操っている。
「だけどちょっと、大人の世界には早すぎるかしらねえっ!?」
「生憎っ、もう大人のつもりだよ!」
パウエルの振り下ろした剣を、その手首をセオフィラスが押さえて組み付いた。体ごとパウエルの腕へしがみつき、そのまま足をパウエルの首にひっかけながら体を捻る。体重をかけながら揺さぶり、パウエルの背へくみつくと足を首に引っ掛けたままに背中側へグンっと体重をかけながら両手を地面についた。
「でええいっ!」
「キャアッ!?」
体のバネを最大に使ってとうとうセオフィラスは、パウエルの頭を地面に叩きつけた。曲芸のような動きに一同は目を見張る。倒したパウエルの胸へ座り、剣を首筋に当ててセオフィラスはふうっと息をつく。
「これで終わり」
「……やぁん、いいお尻」
「っ……!」
尻を撫でられて思わずセオフィラスは立ち上がる。
今ので勝ったという気が完全に失せてしまい、セオフィラスはパウエルから距離を取る。
「それで……本当は、何をしにきた?」
「折角の私兵、戦に使わないんじゃもったいないのではないかと思いまして。
戦争をしませんか。敵はボッシュリード王国。クラウゼン、それにデールゼンもこちら側につきます」
「これをわたしが密告すれば、どうなるかは分かるのだろう?」
「分かりますよ。その時はカフカが、ここにいる全員を皆殺しにする。一族郎党、使用人、領民まで」
「何……?」
「でもこんなやり方、本当はしたくありません。暴力で言うことを聞かせるなんて、許したくもない」
「……先代のことか?」
「別に父の無念を晴らそうというわけではないです。けれどあの男は、俺から大切なものを奪い、傷つけすぎた。だから許せない。……どうせ、いつかは戦が起きていました。だから――その時、逆らうような芽は早めに摘むし、力になってくれるのなら、ともに新しい未来を築くために歩みたいと思います。
個人の武力がいくら高くても、所詮、戦は数を使わざるをえないのですから。ドーバントン卿、力を貸してください。あなたがいないと俺の理想は達されない」
皆殺しにするという過激な言葉で私兵には緊張が奔っている。その気配にカフカは剣の柄へ手をかけている。ヨエルもいつ襲いかかられても良いようにと重心を低くしている。だがセオフィラスは剣を鞘に納めたままドーバントンに手を差し伸べていた。