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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
幼少期2 ベアトリス・クラウゼン
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ベアトリス、襲来 ③


 暗く、静かだった。

 月と星影のみが照らす丘の上で、セオフィラスは膝を抱えて小さくなるように座り込んでいる。


 胸が押し潰されそうな不安が幼い少年の胸の中で膨れ上がっている。

 闇の静けさはそれを少しだけ癒してくれているような気がし、セオフィラスはただじっと座っていた。


 そこへ、さく、さく、と芝を踏む音がした。

 顔を上げずに、セオフィラスはただじっと顔を伏せている。目を固くつむっている。



「……誉められることではありません。

 夜更けにたった1人で外へ出て過ごすなど、都では捕まえられてしまうことですよ」


 穏やかな声にも耳を傾けずに、セオフィラスはじっとした。

 隣に気配を感じても、やはり動かずにいた。


 やって来たのはアトスである。

 彼はセオフィラスの後頭部へそっと手を置いて、やさしく撫でた。


「ゼノくんが、セオくんがいないと不安そうにしています。

 一緒でないと眠るのが怖いようです。戻りませんか?」


 その問いかけにも、セオフィラスは応じない。

 無言の答えを受け取ったアトスはそっと小さな肩を自分の方へ抱き寄せてやって、また撫でた。


「……今、きみのお母様は必死に戦っています」


 ピクリとセオフィラスの体が動く。

 しかしアトスがそれきり何も言わずにいると、セオフィラスはちょっとだけ顔を上げて目だけアトスの方へ向けた。


「どうやって……?」

「言葉を用いて」

「……なんで?」

「大切なもののために」

「……たいせつな、もの?」

「ええ。たくさんの大切な、かけがえのないもののために」


 セオフィラスが顔を上げてアトスの横顔を見る。アトスは夜空を眺めていた。

 その視線を追いかけてセオフィラスも暗い空を見上げて星を眺めた。無数の星が暗い夜空をステージに煌めいている。その微かな光の数々を、セオフィラスはこの時、初めてちゃんと見たような気がした。


 吸い込まれそうなほどに暗い空で、ほんの僅かな明かりが灯っているのだ。

 キラキラと微かに明滅して見えるそれらが不思議と少年の心を惹きつけた。



 すると何故か、セオフィラスの胸にそれまでこびりついていた不安が少しだけ拭われたような心地がした。



「……ねえ、ししょう」

「はい。何ですか、セオくん」

「おかーさんも……おとーさんとおなじになるの? いなくなっちゃう……?」

「……ええ、いずれは」

「……いずれ?」

「人はいつか、誰でも死んでしまうのです。

 お年寄りになってから死ぬか、若い内に死んでしまうかは誰にも分かりませんが、いつか、人は死ぬ」

「しぬって、なに?」

「動かなくなることです。喋ることもできず、起き上がることもできず、魂だけの存在となってこの世を去ってしまうこと。温もりは失われます。呼吸をしなくなります。どれほど体が切り刻まれても痛みを感じることなく、どれほどの強い意思を持っていたとて、それを自分では成せなくなってしまいます」


 セオフィラスには分からなかった。

 だが、はっきりとミナスが死んだと伝えた初めての相手はアトスだった。もう帰ってくることもなく、言葉を交わすこともできないのだと教えられて、悲しくなって俯いた。



「人の死を悼み、悲しみ、嘆き、ずっと暮らす……。

 そんな人々こそが死者よりも哀れな人々と言えるでしょう。

 でもね、セオくん。あなたのお母様はそうじゃありませんでした」

 自分にできることを一生懸命にやり、己の死さえ身近に感じる中で未来のために今、戦っているのです」


 またセオフィラスが僅かに顔を持ち上げると、アトスがじっと見つめていた。目と目があってセオフィラスは視線を逸らしかけたが、その瞬間にキッとアトスの(まなじり)が吊り上がるのを見て瞳を戻す。


「……いい子ですね、きみは。

 セオくん、わたしはきみの師になってほしいときみのお父さんに頼まれました。

 だからこそ、教えたいことがたくさんあります。今のきみがやるべきことを、たくさんわたしは知っています」

「……うん」

「でも、きみがそれをやりたいと望まない限り、教えるつもりはありません。

 とても大変なことで、きみは途中で投げ出したくなるかも知れないから無理強いをしたくないのです。

 それでも尚、きみがやるべきだと思い、その決意の上でわたしに教えを乞うのであれば――きみを厳しく導こうと思います」


 真剣な表情をアトスが崩し、ふっといつもの穏やかな笑みを浮かべた。


「どうするかは、きみ次第です。

 夜風は冷えますから、もう屋敷に帰りましょうか」



 ゆっくりとアトスが立ち上がって、ゆっくりと丘を下っていく。

 セオフィラスも同じように腰を上げてから、また夜空を見上げた。


「ねえ、ししょう」


 真上を向いたままにセオフィラスが呼びかけ、アトスが振り返って足を止める。


「はい、何ですか、セオくん」

「……ぼくには、なにができるの?」

「……とっても大変かも知れません。それでもやるんですか?」

「うん」

「どうしてかだけ、教えていただいてもよろしいですか?」

「……ぼくのせいで、おとうさんが……いなくなっちゃったから」

「きみのせいではないと、仰っていましたよ」

「ちがうもん」

「……そうですか」

「……うん」


 目を閉じたアトスは逡巡し、それから口元に柔らかい笑みを浮かべた。


「分かりました。では、今日から厳しくしていきますよ。覚悟はいいですね?」

「うん」

「よろしい。

 最初の教えです」

「……うん」

「早く帰って寝なさい。夜更かししていては体が大きくなりません」


 ぴしゃりと、どこか威圧的にアトスが言ってセオフィラスは思わず背筋が伸びた。


「……分かりましたか?」


 また、にっこりとした顔で確認をされてセオフィラスが頷く。と、――


「だったら屋敷まで走りなさい! 1秒でも早くベッドに入って眠りなさい」

「う、うん……!」


 再びぴしゃりと言われてセオフィラスが駆け出したが、アトスに足を引っかけられて少年は芝の上に顔から転び込んだ。


「あと、返事ははい、ですよ」


 むっくりと起き上がったセオフィラスがちょっとだけ鼻をすすってアトスを見る。


「おや、泣虫、泣虫といつもゼノくんに言っているのにきみもそうなっちゃうんですか?」

「……ちがうもん、ししょーがいじわるだから……」

「わたしが意地悪だなんてことあるはずがないでしょう。さあ、早く起き上がって走りなさい。返事は?」

「っ……は、はいっ」


 腕を振りながら、まるでアトスから逃げるようにセオフィラスが走り出す。

 それを見ながらアトスは頷き、ほほえむ。それから、そんな自分にハッとして不安気に眉根を寄せて呟いた。


「わたしとしたことが……。怖がられたりしなければいいんですが……うぅーん……」



 青年は一抹の不安を抱えつつ、ゆっくりとした足取りで丘を下って屋敷を目指す。

 すでに夜闇の中にセオフィラスの小さな体が溶け込むように消えていた。

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