表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期5 独立戦争
109/279

立志 ③


「……モニ、カ」


 起きたゼノヴィオルは彼女の顔を見て静かに驚きながら、確認するように名を呼ぶ。


「ゼノ……」

「ひ、久しぶ、り――ぐえっ!?」

「このおバカぁーっ! 何が久しぶりよ、もうっ! あんたねえ、あたしがどれだけ心配したと思ってるの! 人の気も知らないでぐうすかぐうすか寝てっ、ていうか、あんたねえ、何してたのよ!? エミリオってあれ、よくあんなのと一緒に暮らせてたわよね! 大体、あんたは1人で頑張りすぎって言ったでしょ!? 本当にどうして都合の悪いことばっか聞かないのよ、バカ!」


 荷台で響く罵倒で居心地の悪さを感じ、セオフィラスは御者台へ割り込んで座った。


「仲良しなのか、あの嬢ちゃんと、お前の弟」

「そう、みたい……?」


 ビートがほほえましいとばかりに言うと、セオフィラスも首を傾げながら答える。


「……気が気でなかった弟くんが目え覚ましたとこでよ。大伽藍で話したろう? 好きに力を貸してやるって。お前さんの今後のことを教えてくれ」

「そう言えば、そうだった……。多分、しょっぱなから、戦になると思う」

「ほおう?」

「ユーグランドはどれくらいの兵なら集められるのかな? 知ってる?」

「野郎が総大将として、王都を出る時に多くても4万か……。どれくらい本気で潰すつもりだ?」

「片手間……だけど、見せしめ」

「3万か、だったら。その上で、目的地が西の果てなら、行軍の最中に膨れて……ま、4万か。到着時点では。だが、もし、片手間じゃあねえってんなら、2倍にはならねえにしろ……それに近い数字にはなるだろうな」

「兵站が長くなりすぎると思うけど、どうするつもり?」

「お前も知ってんだろう、そこは。アドリオンなら、俺も一度は土を踏んだぜ? けっこう前になるが……」


 なるほど、とひとりごちてセオフィラスは顔の左側にできた傷跡の疼きを感じて包帯の上から指でなぞった。十字に刻まれた傷跡は深く、傷としてはずっと残り続けるだろうというのがビートの見立てである。


「……略奪、か」

「そういうことだ。ま、敵国に攻め込まれて皆殺しにされることと、一時的に作物全てと働き手を奪われるのと、どっちがマシかってえ話だな」

「それって……ユーグランドが王命だからって、やってることだよね? 陛下がそんな指示するのかな」

「知らんね、王様の顔なんぞ見たこともねえんだ」

「……何も知らないんならユーグランドだけが悪いけど、そうじゃないんなら……」

「国盗りでもするつもりか?」

「ユーグランドとどう決着をつけるかによるよ。後ろ、落ち着いたかな――あっ」


 そう言えば声が聞こえなくなったと思ってセオフィラスが振り返り、固まる。ビートが同じように荷台を向くと、短く口笛を吹いた。


「っ……!?」


 ゼノヴィオルが見られていることに気づき、ぎょっと目を見開く。しかし、御者台に背を向けたまま接吻真っ最中のモニカは気づいていない。目を動かし続け、しかしゼノヴィオルは熱烈にキスされていて身を引くこともできずただ兄に見つめられる。


「……ま、まあ、ゼノも年頃だもんな……」

「なーにを目え反らしてんだか……。まだまだガキだな。弟に先越されたってかあ?」

「越されてないし。……可愛くて美人で気立て良くて教養もあって美人で可愛いフィアンセいるから」

「美人と可愛いが2度ずつ出てるのは?」

「それくらいの女性ってこと。お互いにもう愛し合ってるし」

「……愛なんぞ、まやかしだがなあ」

「汚いこと考えるからじゃないの?」

「いやいや、ねえんだよ。愛なんか。なあ、カフカ?」

「……知らん」

「それはそれで……」

「こいつはなあ、謎だからなあ……」


 ごとごとと馬車は揺れながら道を往く。日が沈もうとしていた。

 御者台3人の会話が一度、途切れたところでゼノヴィオルがちょんちょんとセオフィラスの肩を後ろから指でつついた。


「あの……お兄様」

「お兄ちゃん」

「……お兄ちゃん」

「話そう。……色々と、俺達は話し合わなきゃいけない」


 夜になる前に馬車を停めて野営することとなった。

 馬の世話や食事の支度は任せきりにし、兄弟は焚火のための小枝やらを集めて火を点けるとそれを挟んで差向いに座って長い話を始めた。












「――お前の5年間は、分かった。辛い思いをさせて、悪かったと思う」


 クーズブルグで別れてから、自分の身に起きた全てをゼノヴィオルは話し終えた。失った左手は布で覆われているが、あるべきものがないという違和感は見ていて強く、しかしセオフィラスはそこにあるべき弟の手を考えながらずっと見つめながら聞いていた。


「僕も……わざわざ、クラウゼン卿に働きかけてまで、アルブスに敵を引き込んでしまって……ごめんなさい。精教会の対応は大丈夫だった?」

「現状は。……貸しは作ったままで、返させてはいないから。伽藍だって建てる許可は出した」

「熱心な信者は荘厳な伽藍に弱いから、評判になればわざわざ巡礼にも来るしね。人が増えれば、都市の力にもなる」

「うん。……すぐ分かるんだな、お前は」

「だって同じことを教わったもの。僕らは、先生から。

 本当は先生に、王都まで行くことを静止されたんじゃないの?」

「まあ、当然だろ。……それでもモニカが持ってきてくれた、お前の出せなかった手紙を見たらいてもたってもいられなかったから。やっぱり間違いだった。……間違いにしちゃったことが、悪いけど、でもゼノヴィオルは……あの時、王都に残るべきじゃなかったと思う。一緒にアルブスへ帰ってたら、今ごろは――」

「ううん、全てが悪かったんじゃないよ。だからそんなこと言わないで、お兄ちゃん」

「……そうか?」

「うん。……モニカに会えたし、この1年は満足に通えていなかったけど勉強もできた。入りたてのころはね、本当に嬉しくて、楽しかったんだよ。アパルトマンの暮らしも、ちょっと気に入ってたしね」

「そっか」


 ひとしきりのことは、もう話し終えた。

 セオフィラスはまた顔の傷を包帯の上から指でなぞりながら、ゼノヴィオルの左手があるべきだった場所を見ながら口を開く。


「これからのことだけど」

「……うん」

「戦だ」

「うん」

「ユーグランドの差し向けた、あの側近の暗殺者……。ヴィオラだったか。あいつは強すぎる。もしかしたら師匠と同等かも知れない。今すぐじゃあ、絶対に勝てない相手だ。エミリオが助けてくれなかったら死んでた」

「うん……。そのエミリオの安否も心配だけど」

「死なないよ、エミリオなら。だって悪魔だ」

「……そうだね。やさしくて、卑怯で、嘘も事実も都合良く使い分ける、悪魔だよ。でもね、エミリオは悪いことをするけど、それだけじゃないんだ。だから……許してあげて」

「条件がある」

「どんな?」

「お前がエミリオをぶん殴って、痛い目に遭わせたら許す。じゃなきゃ、許さない」


 セオフィラスの出した条件にゼノヴィオルは小さく笑った。それから、星影の瞬く夜空を仰ぎ見る。


「戦は――どう、持っていくつもりなの?」

「きっと口実は精教会にでっち上げさせた悪魔退治だ。相手は俺の首を獲って、アルブスだけじゃなくてアドリオン全てを蹂躙するつもりでくる。兵站は通過する町や村からの略奪で賄うつもりだ」

「ほとんど万全の状態でアルブスに押し寄せてくるんだね……。地理的に外向きの防御は、森や岩山があるけど内向きにはアルブスは開きすぎてて弱いよ」

「壁はできてる。最悪、森は掌握してるからそこに市民は逃がせばいい。だけどそれじゃあ、父さんから受け継いだもの全てをなかったものにされる。それは、ダメだ。だから徹底的に戦って、勝利する。ユーグランドを殺せば本当に国の全てが敵となるし、精教会が悪魔だって決めつけてきたことを裏づけちゃうからできない。ユーグランドは撤退させて、生かさなきゃいけない」

「……生かすの?」

「ゼノ、人は……殺すために殺しちゃいけないんだ」

「……お兄ちゃんは、やさしいまんまだね」

「違う。そうじゃない。……命を奪うなら、独善でない理由がないといけない。それじゃあユーグランドと何も変わらないんだ。いつか、ユーグランドの血縁がまた牙を剥いて、殺しにくる。そして俺達の身内が、また復讐をしようとする。そんな連鎖はなくさなきゃいけないから……正当に罰して、裁いて殺すしかないんだ」

「法は、ユーグランドの盾だよ」

「いいや、法に頼らずとも裁くことはできる。

 これまでユーグランドに虐げられ、泣き寝入りを余儀なくされた貴族は穿いて捨てるほど、この国にいるはずだ。これまでユーグランドのせいで略奪されて、大事な人を奪われた民は、俺達だけじゃなくてたくさんいるんだ」

「……何を、考えてるの?」

「敵軍が4万なんて、よく考えれば物の数じゃない。アドリオン全ての領民を合わせても1万には届かないけど、東ボッシュリードにはきっと、ユーグランドに反感を抱いてる貴族がいる。あとはそれを引き込めればきっと全ての風向きが変わるんだ」


 目を細めてゼノヴィオルは兄の言葉の真意を探ろうと努めた。

 しかし行きつく結論は大それたもので、とてもそれが正解とは思えずに口をつぐんでしまう。


「今、決めた。俺は王になる。

 腐ったボッシュリードから独立するんだ」

「……これまで、そんな内乱は何度か起きたよ。でもボッシュリードは存続し続けてる。歴史が、それは無理だと証明しているよ」

「過去は、な」

「貴族が協力してくれることが前提になってるけど、アドリオン卿がただ1人で要請しても密告されれば終わりだよ。協力するふりをして寝首を掻かれることだって考えられるし、それに……お兄ちゃんはもう色んなものを背負ってるんだ。仮に成功したとして、王様になって、国を率いるなんて……きっとボロボロになっちゃう。僕はお兄ちゃんが傷ついて倒れるくらいなら、アドリオンがなくなってもいいと思う。父さんも母さんも、許してくれるよ。……レクサも入れて、3人で森を抜けて誰も知らないところへ逃げればいいんだよ。……不要に戦火を広げるのは、反対だよ」

「不要じゃない。ゼノだって俺に話して教えてくれただろう。ユーグランドの姪が、お前に何をしたか。大勢の子ども達に、どんなことをしてきたのか。どんな末路を迎えたのか。……俺はもう、ボッシュリードには期待すべきじゃないと思う。国を興すんだ。いつか、皆が幸せになれる国を作る。そのためなら、不要な戦火にはならない」


 セオフィラスの目を見ながら、ゼノヴィオルはしばらく考え込んだ。

 パチッと焚火が弾けた音を立てる。


「まずは、東ボッシュリード貴族との交渉だね。

 その中で絶対に協力を漕ぎつけないといけないのは、最低でも4つの貴族だ。

 クラウゼン、デールゼン、カウエル、ドーバントン。経済力、地理的有利、食料生産、武力をそれぞれに持ってる。クラウゼンは先生の件や、お兄ちゃんの許嫁の件もあるけど……交渉に失敗すれば、失くしちゃうかも知れないよ。いいの?」

「もし婚約が破断になったら、エクトルは略奪する。だから関係ない。きっと、エクトルは俺を選んでくれるから」

「……そ、そう」

「領主として俺はその四家との交渉をしなくちゃいけない。一度、アルブスに戻ってからじゃあ間に合わないから、この帰り道で立ち寄っていかないと。でも同じくらい、早くアルブスに戻らなくちゃいけない。早ければもうユーグランドは軍を編成して行軍を始めてるだろうから」

「そうだね。……でも」

「うん?」

「どうせなら、お兄ちゃんと一緒に、帰りたかったな……。お兄ちゃんは交渉を優先して。僕は先に帰って、戦の備えをするよ」

「ちゃんと、できるか? 先生には軍事のことは教わってないだろ?」

「うん、大丈夫。……だって、僕はお兄ちゃんのために勉強してたんだから。

 お兄ちゃんは王様になって皆を幸せにする国を築く。

 僕はそれを手伝って、どんな泥でも被って影に徹するよ」

「はっ? 何言ってんだよ?」

「この戦を起こした原因は僕だから。これから死ぬ人々の命を間接的に奪うのも、そのせいで悲しみ、怒る人々の恨みを買うのも、僕じゃないといけないんだよ。幸せな国の王様になった時に、戦争で家族を失ったのはお前のせいだって言われたら元も子もないから……。これは僕が引き受ける罰だよ」

 

 罰も何も、罪など犯してはいないとセオフィラスは叱りたかった。

 だが半狂乱であったとは言え、ユーグランドの屋敷で大勢を手にかけたゼノヴィオルの姿を思い出すと言えなかった。この罰をゼノヴィオルは望んでいて、強引に取り上げたとしてもきっと頑固に、自分の身を危険にさらし続けることにしかならないのだと感じた。


「建国の王様は、格好いい異名がいるよな」

「え?」

「ゼノ、何か考えろよ」

「……格好いい、異名?」

「うん」

「じゃあ……お兄様の伸ばしてる黒い髪が綺麗だから、黒狼王(ルプス・レギス)

 アドリオンの黒狼王――」


 奇しくもそれは、セオフィラス・アドリオンの14歳の誕生日であった。

 襟髪から首の裏、背中の方にまで伸びている自分の髪に触れ、セオフィラスはすぐにそのネーミングを気に入った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ