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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期4 兆候
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白髭豚野郎! ①


「虫というものは、殺したと思っても沸いて出る……。手間のかかるものだ」


 聞こえてきた足音にヴラスタが辟易としながらそう呟き、蹲っているゼノヴィオルの腹部へ杖を突き落とす。軽い、足元を確かめるかのような程度の力でしかなかったにも関わらず、霊力によってゼノヴィオルは剣山を深く腹部に叩きつけられたような痛みを与えられた。


「げほっ、げほ……ごほっ……はぁ、はぁっ……」


 起き上がろうとして這いつくばり、だがゼノヴィオルは全身に刻みつけられた痛みのせいで動けなかった。階段を駆け下りてくる音がそこでようやくゼノヴィオルにも聞こえてくる。


「ゼノ!」

「っ……」

「ほおう、これはこれは。アドリオン卿ではないか」

「っ……」


 倒れていたゼノヴィオルを見て、セオフィラスが駆け寄って抱き起こす。しかしユーグランドが白々しく声をかけると、セオフィラスは顔に緊張の色を濃くしながら固まった。それからゆっくり、背筋を伸ばして立ち上がってユーグランドに向き合う。


 顔を合わせるのは父を失ったころ以来のことで、記憶に焼き付いている男でもある。軍勢を率いて突然、アルブスの屋敷に来ては無理な要求を父に突きつけた。それを偶然にも目撃したセオフィラスは、大好きな父を守るためにこの男の前へ出て行き、――そして父を奪われた。

 時を経て、この男へ差し出す人柱としてゼノヴィオルを王都に残した。

 何もかもが、セオフィラスがユーグランドに幼い正義感から、前後を考えることも知らずに噛みついたことが始まりである。



「……ユーグランド侯爵」

「おお、覚えていたか。わたしも卿の噂はいくばくか聞き及んでいるぞ?」


 初めての感覚がセオフィラスを襲っている。

 とても言い表すことのできない、無限の光ない闇へ今まさに落ちようとしているような恐怖心。それでいて胸の底から凄まじい勢いで滾ってくる憎悪を感じ、必死に理性で踏みとどまっている。


「この小僧……貴様の知り合いかね? 我が家へいきなり押し入り、愛しい姪を惨殺した凶悪な殺人者で、人智を超えた途方もない邪悪な力を持て余している悪魔とも言える。ゆえに聖名ヴラスタ殿の御力を借り、悪魔祓いの儀を執り行っていただいていたのだ」


 ユーグランドの説明は実に分かりやすい響きで、セオフィラスに伝わった。

 白を切ればこの場ではセオフィラスだけを見逃そうという意図が透けている。そこから分かたれる2つの未来と言えば、あとになってからゼノヴィオルが血を分けた兄弟だという事実を突きつけてアドリオンに攻め込む口実を作り上げるか、その上でセオフィラスに助命を求めさせるか。後者を選んだところで未来永劫、ユーグランドに怯え続ける未来が待ち受けている。


 そしてもう1つの選択は――この場でゼノヴィオルを庇い、敵対する姿勢を見せることだ。

 そうなれば王都から出ていくことさえままならないことも考慮される。


「畏まることはない。分別の知らぬ、愚かな子どもではなかろう? 今や貴公はアドリオンの領主であるのだ。どうなのだ、どこか何か、面影を見て取れるものかとも思っていたのであるが……?」

「……っ」


 答えに窮していたセオフィラスは足首をいきなり掴まれて振り返る。ゼノヴィオルがセオフィラスの足を掴み、睨み上げている。どす黒く濁った感情がその瞳に蠢いていた。


 うるさいほどに自分の鼓動が聞こえ、セオフィラスは口を開いたまま震えて動けなかった。


 保身はアドリオンを守ることに繋げることができる。

 だがゼノヴィオルを差し出せば、そもそもここへ来た理由がなくなる。

 また、大事な家族を失ってしまう結果になり、それでは領主となった意味がなくなる。



「――アドリオン卿よ、いかがした?」


 ユーグランドの言葉が鋭敏な神経を逆撫でするようだった。

 鼓動が強く、速くなって脂汗がにじみ始める。


 永遠のように長く感じた時間の中で、セオフィラスはそっと膝をついてゼノヴィオルの頭をやさしく撫でた。それから手を貸して立ち上がらせると、肩を貸したままユーグランドに向き合う。



「ユーグランド卿。

 この少年は俺の弟です」

「そうか。悪魔の兄とは、なるほど、愚かな理由が実に腑に落ちた」

「俺の大事な弟を悪魔と言うなら、俺だって悪魔になってやる。

 撤回しろ。さもなくば、お前が悪魔だ。この白髭豚野郎!」


 白髭豚野郎と口にし、セオフィラスは少しだけユーグランドへの恐怖が薄らいだ。蔑称を用いることで敵を敵として否定する。実に安易で古典的な精神勝利の方法ではあったが、それでも僅かに生み出された余裕がセオフィラスの心身をほぐした。


「……ヴラスタ殿。この神聖な伽藍において、この者を使うのは冒涜と考えていたが、実に腹立たしいことがありましてな。修羅を呼ばせていただきますぞ。――来い、ヴィオラ」


 ユーグランドの呼びかけへ応えるように影からそれは這い出るようにして出てくる。

 長い髪の女だった。柄もない剣のような、ただ一本の長い刃を思わせる美しい強さを(たた)えた女だ。手には長剣を抜いたままに握り、ユーグランドの一歩前へ出てくる。



「ヴィオラよ。殺せ。

 圧倒し、無力さを与えて殺すのだ」

「はい、ユーグランド様」


 ヴィオラと呼ばれた女が剣を構え、セオフィラスはゼノヴィオルを放して構えた。しかし直後にすでにヴィオラが剣を振り下ろしていた。まるで距離を飛ばしてきたかのような速い動きで、セオフィラスは虚を突かれる。一撃で剣を振り払われ、すでに彼女は次の動作へ移っていた。


(速すぎる—―何だこれ、師匠と同等――まさか!?)


 ぶぅんと剣が自分の喉笛を掻き切るかのように振られた。

 しかし皮1枚も切れてはいない。確かに鉄の冷たい感触と、殺されたという直感があったのに微動だにできず、ただ彼女は見逃すように剣を振り切っていた。


 あまりにも強すぎる、赤子と大人どころではない異次元の強さを感じてセオフィラスは言葉も出なかった。



「……ヴィオラはわたしの収集品の中で、とびきり役に立つものだ。いかなる相手にも殺されはせず、一方的に死を与える。ゆえにわたしの身辺警護に常に当たらせている。アドリオン卿よ、わたしに逆らった時、すでに命運は尽きていたと知れ。貴様の全ては、わたしのものにし、その上でガラクタとして捨て去ってやろう。……ヴィオラ、もう殺して良い」

「お前が……死ね! ミーセル・クラウィス!」


 ユーグランドの周囲に漆黒の杭が出現する。ユーグランドは動じることがなかった。ヴラスタが一度、杖を床へ突けばそれだけでゼノヴィオルの魔術がかき消される。


「――そん、な」

「ゼノ、逃げろ! 走れ!」


 力の差は正しく圧倒的の一言に尽きた。

 それまでのセオフィラスやゼノヴィオルの死闘など、ヴィオラの力の前には児戯に等しいものだ。ゼノヴィオルが復讐のために行使した魔術など、ヴラスタにとっては幼子の火遊び程度のものでしかない。


 だから逃げるという選択をセオフィラスは即座に下した。

 ヴィオラに背を向け、ゼノヴィオルの腕を掴んでセオフィラスは地上への階段へ向かう。その下の方の段は半ば崩れていたが踏めるところはあった。ゼノヴィオルを先に行かせるように押し上げたら、背中に熱い痛みを感じて膝から倒れる。ゼノヴィオルが振り返ると、セオフィラスがヴィオラに斬られていた。


 倒れたセオフィラスの背に、ヴィオラが剣の切っ先を向ける。ギラと刃が光を反射して輝く。セオフィラスは逃げようともがき、腕を伸ばしていた。その手にゼノヴィオルが自分の手を伸ばすが、届かない。



「――お兄様っ!」

「ゼノ、逃げろ!」


 刃がセオフィラスの背へ埋まる。

 ゼノヴィオルが目を見開いた。


「ああ、あ、ああああああ――ああああああああああああっ!」



 悲痛な絶叫の直後、バッとセオフィラスが起き上がった。

 それでハッとゼノヴィオルが半狂乱の叫びを止める。ヴィオラも呆気に取られていた。己の剣を見て、セオフィラスに突き刺したと思った部分が丸ごと途中から削り取られたかのように消えているのを見る。




「この僕を差し置いて、悪魔だ云々ってやめてもらえないかな?

 ほら、逃げなよ、セオ、ゼノ。――思っていたよりきみらがまだまだ子どもだったから、助太刀くらいはしてあげるからさ」


 すかしたような声がし、影が駆け巡る。ヴィオラが何もないところへ剣を振るうと、そこからはじき出されたようにエミリオが姿を出して地下の石壁へ叩きつけられた。


「ああ……ハイブリッドだ。ゼノ、きみ以上の人の一式と、僕以上の地の一式を備えてるらしい。本当に早く逃げることを勧めるよ」


 ちらとエミリオがゼノヴィオルへ視線を送り、口元だけ笑った。セオフィラスは振り返らず、ゼノヴィオルの腕を掴んで階段を駆け上がる。兄弟が地上まで出てきた直後、ひと際強い衝撃が起きて地下への階段が崩れ落ちていった。


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