天の一式 ②
聖名ヴラスタはグライアズローにおける有力者の1人である。
多くの信者の布施によって潤沢な資金を得ており、その金を貴族に貸しつけることでグライアズローのみならず、ボッシュリード王国に深く根を張る権力基盤を手に入れている。
その功績によって精教会という組織内においても最高位の位である大司教の地位にもある。比較対象としてタルモを挙げるのであれば、彼女など聖名を得ただけで一般の信徒に崇拝こそされども、精教会内での権力というのは微々たるものでしかなかった。
聖名ヴラスタとユーグランドは懇意の仲である。そしてユーグランドはヴラスタの持つ天の一式による力――霊力のことも知っていた。精教会では霊力と言わず、奇跡の術だとか、祈りの術――祈術などと呼んでいる。しかしおいそれと見せびらかすような力ではない。にも関わらず知っているからこそ、2人の間柄というものには深いものがあった。
「メリソスの悪魔ほどではなかろうが、魔の力を持った小僧だ。
わたしに激しい憎悪を向けている。
どうかヴラスタ殿の奇跡の御業において、あの悪童へ誅罰を下してもらいたい」
「他ならぬ、ユーグランド卿の頼みごととなれば助力を惜しみはいたしませんとも。
しかしただ裁きを与えるのみでは、あなたの思い描く世情にはならぬのでしょう。
筋書きはあるので?」
「ありますとも。
悪魔討伐の栄誉を得たアドリオン卿は、その悪魔に呪われて弟を魔の手先とされた。
悪魔との縁を持ってしまったアドリオン卿は、今後もその悪魔の呪いによって国に騒動を引き起こしかねない危険な因子である。
よってあなたの口から、悪魔の駆逐を目的としてアドリオン卿の抹殺を提案していただきたい。
呪われた地、アドリオンに住まう人間は全てが悪魔に呪われている。
聖なる炎をもって焼き尽くさねばならないと、そう仰っていただければ万事はうまくいく。
そしてあなたは穢れた地を清めるべくアドリオンを丸ごと精教会の新たな聖地にするのです。
誰もあなたの功績に口は挟みますまい」
「……心得ました。
しかし祈術は秘されるべき奇跡。
卿よ、あなたの手勢を幾人かお借りし、彼らに精霊の御力を一時的に貸し与えましょう。
よろしいですかな」
「何と頼もしい言葉か。
であれば我が手勢においても、これはと目をつけている戦士を呼ぶことにしよう」
「精霊の導きにあらんことを」
「精霊の導きにあらんことを」
大伽藍の一室での密談が終わると、ユーグランドは自前の軍勢から手練れを招集するように命じた。
そうして集められたのは6人の戦士である。活躍する苛烈な戦場と、その活躍に応じた報酬を提供するユーグランドの待遇によって仕えているだけの純然たる武人だった。
「良い頃合いですな、卿。じきに、悪魔に憑かれた哀れな魂が訪れましょう」
「それは僥倖。……良いか、お前達。いかなる殺し方でも良いが、首を取れ。そうと分かるよう顔もぐちゃぐちゃにはするでない。あとはどうでも良い。それと対象は地の一式を使う。ゆえに聖名ヴラスタ殿が加護を授ける。存分に力を振るいたまえ」
大伽藍の絢爛な大きな扉が開き、礼拝の間にゼノヴィオルが入る。
巨大な礼拝の間では国の神事が執り行われることもあり、500人も一度に入れてしまうという広さがある。夜の礼拝の間にはステンドグラスを通して月光が差し込み、美しい光を床へ投げかけている。
しかしゼノヴィオルを待ち受けていたのはユーグランドが認めた実力者ばかりである。一様に彼らは訪れたゼノヴィオルの小さな体に眉根を寄せたが、よもやユーグランドがこういう子どもを脅すために呼び寄せたとは思えなかった。外見の容姿と異なる実力者というものを往々にして知っている彼らは、油断せずにそれぞれ獲物を構えた。
「どいてください。……そうでなければ」
「お前のような小僧に後れを取ることはない」
大伽藍に満ちた張り詰めた空気が無数の細かな棘のようにゼノヴィオルの皮膚をチクチクと刺す。それは単なる緊張感というものでなく、この場に満ちた霊力がゼノヴィオルの魔力に反応しているのだ。
呼ばれた戦士達はあらかじめ、順番を決めていた。
一斉にかかっても互いが邪魔で仕方がないという判断である。そうして尖峰を勝ち取ったのは2本の長短の曲刀を獲物にする男である。
何の合図もなく戦いは始まった。男は駆けだしてゼノヴィオルに迫り、長い方の曲刀を振り下ろす。剣で受けると今度は短い方が鋭くゼノヴィオルの首を刈り取らんと迫った。身を翻して避けるとゼノヴィオルの髪が数本切れ落ちる。しかしまだ男は動きを止めず、今度は長い方を振るう。
「っ――」
「ほうら、ほら、まーだだぞ?」
弄ぶように男は長短の剣を振り続けていく。ゼノヴィオルがわざとギリギリ凌げるように、わざと加減していた。
「おぉいおい、旦那がわざわざ呼んでおいてこの程度か。つまらんねえ、つまらんねえ!」
とうとう相手の攻撃がゼノヴィオルの守勢を上回り、浅く傷を作り始めた。強引に反撃に転じようとゼノヴィオルが剣を振り切ったが、それを小回りの利く短い曲刀で受けられて、長い曲刀がゼノヴィオルの足を刈りとろうと振り切られた。刃が黒い生地のズボンを切り裂いたが、足は斬れなかった。しかし衝撃でそのまま姿勢が崩される。手応えに男は目を見張ったが、動きを止めることなく倒れたゼノヴィオルに剣を振り落とす。
しかし一手、ゼノヴィオルは先制した。
魔術で足への一撃を防いだ拍子に剣を振る予備準備をしていたのだ。男の攻撃より早く、力任せに剣を振るって相手の首へ半ばまで刃を食い込ませて叩き伏せる。
「はぁっ、はぁっ……」
ゆっくり起き上がり、浴びた返り血を袖で拭ってゼノヴィオルは残っている4人を見た。しかし切り倒した男の手がピクと動き、半ばまで首を切られていたにも関わらず起き上がった。
「っ……どうして」
「こいつが奇跡の御業ってやつか……。痛みはともかく、こりゃあ便利だ。
それに油断した。そうだったそうだった、魔力とかいうもんを使うんだった……。だからこうしてご加護がついてるってえのに、すっかり忘れちまっていた」
「天の一式……」
「さあて、さてさて……今度は加護ってもんで遊ぶか。おい小僧、お前もつきあえよ。たまには鋼だけじゃなくても――」
「イーラ・イグニス!」
炎が生まれて男を飲み込んだが、それは男の体から発せられた光にかき消されて無傷のまま彼は自分の体を眺める。
「どうやら加護とやらの方が強いらしい。
ああ、つまらんね。これじゃあ一方的になるやも知れん」
ゼノヴィオルが剣を振るい、男が受ける。長い方の曲刀を男が加護の力とともに腕を振るうと霊力が刃となってゼノヴィオルの全身を切り刻んだ。
「ほうら、ご覧の通り。諸君、これはつまらん仕事になったようだぞ。精霊の加護なんてものはない方がよほど楽しかった。だからこれは盾代わりだけに留めよう。……もっともすでに、決着はつきかけているようだが」
にぃぃ、っと男は笑みを浮かべる。
剣を握りながらゼノヴィオルは静かに計算を始めた。
凍てついている思考はいかにユーグランドへ辿り着いて殺すかという煮えたぎる憎悪によって回転している。弾き出す答えが敗北となればすぐに計算式を変える。そうしていよいよ、望む結果を導き出した。