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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期4 兆候
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天の一式 ①


「エミリオぉっ!」


 拳がエミリオの頬へ、怒りのままに叩きつけられる。

 一撃では終わらなかった。二度、三度と胸倉を掴まれたまま、何度も何度も拳がエミリオを撃つ。しかし砕けていったのは拳の方だった。


「ぐっ……ふ、ふぅっ……! お前のせいだ! ゼノを返せ!」

「僕はただ彼を守ってあげただけじゃないか」


 魔術で守られていたエミリオの体をいくら殴っても岩を叩いたかのような痛みだけがセオフィラスには返っていた。その痛みより、怒りの方が勝っている。


「守った? どこが! お前がゼノを唆して、だからゼノはあんなことをした! もし正気に戻ったって、ゼノはあんなことをした自分がきっと許せなくなる! もう取り返しがつかない! この国にはいられないし、アドリオンにも軍勢が大挙して押し寄せる!」

「こうでもならないと、ゼノヴィオルは壊れていた。そうなる前に発散することを教えてあげただけじゃないか」

「ふざけるな!」


 ぐしゃっと不気味な音がして、モニカが目を瞑り、聞こえてしまった嫌な音の余韻に顔を渋くする。セオフィラスの右拳が、今度こそとうとう砕けていた。奇妙な形に歪み、もう手が開けなくなっている。皮膚が破れて漏れ出た赤い血液の中から白っぽいものが僅かに突き出ている。


「ふっ、ふっ、ふっ……」


 手の痛みを和らげるため、それに収まりきらない怒りのためにセオフィラスは荒い呼吸を繰り返す。エミリオはセオフィラスの傷ついた手を掴み、ぐしゃりとただでさえ骨がバラバラになっている手を握り潰す。


「う、ぎっ――」

「痛いのは今だけさ」


 鼻で笑いながらエミリオが言って手を放せば、セオフィラスの砕けた拳が治癒されていき傷が消えていた。正常な形で骨も戻っている。そんな自分の手を握り、開き、感触がやや鈍いという程度だけ確かめるとセオフィラスはエミリオに背を向けた。


「もう、いい……。俺が止める……」

「ちょ、ちょっとあんた、止めるったってどこにいるかも分からないんでしょ?」

「ゼノを探さなきゃ……。正気じゃない、早く……ゼノを殺そうとする勢力よりも早く見つけ出して、保護して王都から連れ出さないと」

「だからって、無策に――」

「ゼノが捕まったらそこまでだ」


 セオフィラスは足音荒く、尖塔の頂上の部屋を出て行ってしまう。追いかけようとしたが、モニカは途中で足を止めてエミリオを振り返った。


「何だい?」

「……あんたなら、今、ゼノがどこにいるか分かるんじゃない?」

「そうだね。手に取るように分かるよ。それが?」

「っ……教えなさい」

「どうして?」

「心配だからよ!」

「……ふうん? じゃあヒントを1つだけ教えてあげるよ。辿り着けるかどうかはきみ次第だ」

「早く教えなさい」

「ゼノはまだ、敵の居場所を掴めてはいない。でも敵の方はゼノの力を知って、その対抗策を用意しつつある」

「それで?」

「それだけさ。これがヒントだよ」


 全くもって使えないヒントに舌打ちをしてからモニカも部屋を出て螺旋階段を駆け下りた。












「まだ、ですか?」

「急かされたって変わるものじゃあない……」


 マルクースクは社交界を愛してやまぬ貴公子である。自前の劇場を建てて演劇を催すことも大好きであるし、ナルシシズムの気もあって自分が主役となることを好む人間だ。しかしそんな彼にも弱味というものはいくつかある。


 1つは絢爛豪華な劇場の建立費をユーグランドに借り、それ以来、彼に頭が上がらずにどんな悪事だろうとも「やれ」と言われれば実行せざるをえない裏の顔ができてしまったこと。

 そしてもう1つが、その一環としてセオフィラスの暗殺を試みた際に未遂で失敗に終わり、クラウゼンの令嬢に知られてしまったことである。あらかじめセオフィラスと、その弟のゼノヴィオルをすり替えられてしまい、暗殺失敗の事実を兄が知れば社交界での地位が脅かされないという弱味である。


 ゆえにゼノヴィオルはマルクースクの下を訪ねた。

 そしてユーグランドの居場所を突き止めるように()()()をした。魔術の片鱗を見せただけでマルクースクはすくみ上り、屋敷の人間にそうと悟られぬようにユーグランドの捜索を命じたのである。


「……そ、それより、きみは、本当にあのゼノヴィオルか? もしや、メリソスの悪魔じゃ……?」

「違います……。でも似た力があります」

「それは見た。だから尋ねたのだ……。悪魔、悪魔か……。きみも悪魔となったのか」

「……悪魔は僕じゃない、人間だ……」

「悪魔は悪魔本人でなく人間?」


 神妙にマルクースクは呟いて顎に手を添える。演劇好きのこの男は、仕草や言葉の1つずつがどこか仰々しいものである。


「……と、とにかく、今は待つしかできない。子ども用の衣装もあるからそれに着替えるのだ。いつまでもそんな風体でいられても困る」


 用意された服にゼノヴィオルは渋々、着替えることにした。

 舞台用の衣装だけあってどれも派手なものばかりだった。その中からできるだけ目立ちにくそうな黒い衣装を選んで身につける。


「着替えました……」

「ああ、それでい――い」


 着替えを済ませたゼノヴィオルを見たマルクースクが、その姿を見て呆気に取られた。

 皮膚についた返り血の滲んだ汚れが、ただでさえ不健康な白い肌を汚している。しかしその汚れが純真な少年をかえって際立たせているかのようにマルクースクには見えた。黒い衣装は邪悪よりも純粋な闇を象徴する。


「……素晴らしい。きみ、きみはきっと舞台に立てば千両役者になれる。ああ、ああああっ! 創作意欲がわいてくるようだ! 次の舞台の構想が浮かび上がる! 鉈なんてものは現実味はあれども舞台映えがしない、そうだ、もっと良い剣を持った方がいい!」


 勝手に舞い上がったマルクースクが部屋を出て行ってしまい、ゼノヴィオルは眉根を寄せる。すぐに舞い戻ってきたマルクースクは剣を1本持ってきた。

 峰はまっすぐであるが刃は緩やかな曲線を描いていた。振るえば遠心力も乗り、切れ味に優れるものだった。この剣をゼノヴィオルに持たせるとマルクースクは角度を変えて少年を眺める。


「いい、実にいい! ああ、よし、それでは肝心の舞台の物語であるが――」

「旦那様、ユーグランド卿の向かった先が分かりました」

「邪魔だ、出ていけ!」

「えっ」

「どこですか?」

「ゼノヴィオル!?」


 興奮しきっていたマルクースクに報告にきた使用人は戸惑ったが、すぐに主人は我に返って不承不承といった様子で報告を聞いた。するとすぐ、ゼノヴィオルは渡された剣を鞘に納めて出ていこうとする。その肩をマルクースクが掴んで止める。


「待て、待ちなさい」

「何ですか……?」

「いいかね、これは貸しだ。確かに……きみに後ろめたいところはあるが、それでもあのユーグランド卿に牙を剥こうとしているきみを匿ったのだから、この件については貸しを作ったということにしてもらう。そして貸しがあるからには、きみはわたしにそれを返さなくてはならないのだよ」

「僕に返せるものなんて……」

「ある」

「……何ですか」

「わたしの劇に協力をすることだ! ふふ、ふふふふ……いつか、このグライアズローで語り継がれることとなる巨大興行をしてやる! だから帰るのだ、ふははははっ!」


 大笑いをするマルクースクに閉口したまま、ゼノヴィオルは出ていった。

 ユーグランドが逃げ込んだのは精教会の大伽藍ということだった。さすがに一国の大将軍と呼ばれる男であり、ゼノヴィオルの魔術を見ただけで地の一式と見抜いて、対抗策として天の一式を扱える人間がいるところへ避難した。

 居場所を聞いただけでゼノヴィオルはそこまで看破したが、かと言って負ける気はなかった。魔術は強大な力をゼノヴィオルに与えてくれはしたが、もっと昔からアトスに剣を習っている。曲りなりにも人の一式を振るえるという自信がゼノヴィオルにはあった。

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