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残業スナイパー

作者: コオロ

#twnovel この季節、残業はせめて屋根のあるところでしたい。メリットが「眺めがいい」というだけでは割に合わない。それもこれも奴のせいだ。本来なら奴も、俺も、とっくに仕事を終えているはずの時間なのに。俺は奴が帰り道にあのポイントを通るまで、狙撃銃を携えて残業に付き合っている。

  *


 吹き上げてくる風に、膝に力を込めた。


 高層ビルの屋上から見下ろす光景は見飽きているが、仕事柄、観察をなおざりにしておくわけにもいかない。建造物の配置、風向き、それによって発生するビル風。それらの要素すべてが影響する。街そのものに何も変化はなくとも、決行の時間帯さえもが仕事の成否を分けるのだ。


 俺がそのビルの屋上に陣を取ったのが3日前のこと。

 ちょうど、今の仕事を請け負った日だ。


「期限は3日」

 その宣告に、俺は相手にもわかるように眉を顰めた。

「そんな短い期限を指定されたことなどないが」

「都合があるんだ。プロならビジネス相手の意向を組むものだろう」

 そのビジネス相手の俺の意向はどうなっているのだろうか。だが、今更それを口に出すほど俺は上品な人間ではない。依頼する側と、実行する側には明確な壁が存在する。そういう態度を隠そうともしないクライアントというのは少なからず存在する。恥ずかしい話だが。

 だから相手の人間性は、依頼を断る理由には加味していない。必要なのは金を出せるかどうかだ。

 あとは、人のポリシーに口出しをしないかどうかぐらいか。

「ひとつだけ尋ねておきたいことがある」

 おっと。

「なぜ、狙うのは帰宅途中だけなんだ」

 いきなり俺の中のアウトなラインを的確に攻めてくるこの男の才能に驚きを禁じ得ない。

 訊かれた以上は答える。それで受け容れられないようならこの話はなしだ。

「仕事を終えるのを待っているのさ」

 俺は社会の仕組みから外れた人間だ。何もわかっていない有象無象に「歯車」と蔑まれながらも、必死で社会を回している者たちの命を奪うなど、本来ならば許されない。

 だが、依頼をしてくるのも、社会を回す「歯車」の連中だ。そうなると、そいつを殺すと社会がどうなるのか、外側にいる俺にはそれを理解できる頭はない。ならば、と俺はひとつの妥協点を見出した。


 せめて、その日抱えている仕事を終わらせるまで待つ。

 それが俺が標的に払える最後の敬意だと思っている。


 男は得心のいった様子ではなかったが、特に何かケチをつけることもなく「頼んだぞ」とだけ言い捨てて去って行った。俺に依頼したつもりになっているようだ。

 まあ、俺にとっても悪い話ではない。となれば、早い方がいい。俺はその日のうちに行動を開始した。


 *


『初日で終わらせてくれると踏んでいたのだがな……』

 電話越しの苛立った様子の男の声を、俺はコンビニで買ったパンを並べながら聞いていた。

「初日は仕事場所の選定と、観光を楽しむ。いつもそうしている」

『そんな悠長なことを!』

「ひとつ訊いていいか」

『何だ』

「ヤキソバロールとナポリタンロールならどっちが美味いんだ?」

 電話を切られた。憤慨させてそうするように仕向けたわけだが、できれば回答が欲しかったのもまた本心だ。炭水化物に炭水化物を挟み込むという衝撃的な発想にまだ頭が追いついていない。

 朝食の吟味は後回しにして、俺はこの街を眼下に見る。

 一晩かけて選んだビルからは、ターゲットが勤務するオフィスを覗くことができる。俺の流儀を貫くためには、仕事の進捗状況の把握が大事になる。オフィスを直接狙うわけではないにしろ、理想的な環境と言えた。

 贅沢を言うなら屋根が欲しいところだが、もともとビルの屋上というのは、人が寝泊まりをするための場所ではない。それはどこに行っても同じことだ。折を見て、自分でテントを張るしかないだろう。ホームセンターに行けば売っているだろう。あるいはコンビニにもあるかもしれない。

 そう思ったが、すぐに無駄な出費だと気付いて考えを打ち消す。

 今日の定時で決着がつくのだ。ここで一晩明かすことはない。

 俺はすぐさま、ナポリタンロールとヤキソバロールの問題に頭を切り替えた。


 午後5時。

 社会の歯車たちがその役目を終え、いそいそと帰り支度を始める時間。もっとも、その間も他の歯車が社会を回し続けているのだが。今回のターゲットは9時-5時の間が勤務時間の一般的なサラリーマンなので、俺が最も集中すべき時間でもある。

 まず懸念しなければならないのは、ターゲットが人混みに紛れて出てきた場合だ。

 コンボを狙うなどスコアを稼いでも意味はないため、会社から出た直後のターゲットを銃撃する狙撃手はまずいない。それはテロリストのすることだ。

 初日、一日かけて調べたのは、眺めの良いビルだけではない。ターゲットの通勤経路もだ。帰り道がまるっきり同じになる者などそうはいない。帰宅するのを追いかけていれば、1人になる瞬間は必ず訪れる。俺はそのポイントを数か所ピックアップしていた。そのポイントはすべて、この屋上から狙い撃つことができる。

 準備は万端だ。あとは照準を定めて、引き金を引く。ただそれだけだ。

 俺はターゲットが出て来るのをじっと待った。


 午後8時。

 まだ出てこない。この国が舞台となった時から予想はしていたことだった。

 そう、残業である。

 この国のターゲットを手強いと感じる理由のひとつだ。定時通りに職場を後にする者などほとんどいない。少なくとも、過去に俺が狙ったターゲットの中にはいなかった。頭は下がるが、それは見逃す理由にはならない。

 ハードな残業を終えたターゲットは皆、せいせいしたという顔で、脳天に銃弾を受けて安らかに逝った。

 今日の残業を終えたときが、ターゲットの長い長い休暇の始まりだ。


 午後11時。

 ヤキソバロールを食べ過ぎて口の中がぼそぼそする。せっかく水道水を安全に飲める国にいるのに、なぜこの屋上には蛇口がないのだろうか。

 頭を振る。歯の根が合わないほど冷えてきて、考え方が少し自分本位になってきているようだ。

 さすがにおかしいと思い始める。8時で一旦、完全退社を命ずる放送がなされていたのに、どうしてタイムカードでは退社したことにしておいて再び席について仕事を始めるのか。この国の闇を感じる。

 サービスが行き届いているのも、コンビニが便利なのも、ヤキソバロールが食べ始めたらクセになって止まらないのも、すべてはこの勤務実態に口止めをするためなのか。

 何でもいいから早く仕事を終わらせて、俺のこっちの仕事も終わらせて欲しい。切実に。

 

 午前0時をとっくに過ぎ、1時に差し掛かった頃、ターゲットが大きく伸びをした。

 遂に仕事が片付いたのだろうか。これから殺す相手だというのに難だが、感動すら覚えた。

 席を立ったターゲットは欠伸をしながらロッカーを漁り、あるものを取り出した。


 寝袋だった。


 俺は屋上で一晩を明かした。


 *


『狙った標的は外さないと聞いていたが』

「狙いさえすればな。断った依頼だって当然ある」

 二日目も狙撃がなされなかったということで、電話の向こうでは湯気が出るほど顔を赤くしていることだろう。もしかしたら俺も少し赤いかもしれない。一晩中ビル風に吹かれて何だか熱っぽい。

『引き受けた依頼だろうが!』

「そうだ。だから標的は撃つ。そう心配するな」

 風邪でも絶対に休めないあなたに、というポップを見てとびついた錠剤を飲みこむ。過労を推奨するとは、やはりこの国は恐ろしい。

 それにしてもヤキソバロールはすごい。風邪を引いたせいで味なんかわからないと思っていたが、ソースの濃い味付けと風味がしっかりと口の中に広がるのだ。いずれ、このヤキソバを単体で食べてみたいが、いったいどこに行けば食べられるのだろうか。もしかしたらパンの具専用なのか。分ければもっと売れるだろうに。

「またひとつ訊いていいか」

『何だ』

「ヤキソバ……」

 続きを言う前に切られた。


 午後10時。やはり今日もこの時間まで「普通ですよ」と言わんばかりに残業をしている。

 そもそも帰宅すらしていないのだから残業というレベルでは済まない気もするのだが。

 昨日一晩中観察していたおかげでわかっている。今ターゲットの手がけている仕事が、本日中に決着がつく進捗状況であることは。

 午後11時を回る頃に、ターゲットが勢いよく立ち上がった。

 声にならない歓声を上げているようにも見える。昨日の欠伸をしながら寝袋を取りに行った様子とは明らかに違う。終わったのだ、仕事が。

 携帯電話を取り出して、何事か連絡を打ち込むターゲット。そのはしゃいだ様子とは反対に、俺の心は冷えていく。マインドセットの時間だ。

 俺は今から、あの男を撃つのだ。

 たった3日ではあるが、長い付き合いだったように思える。まさか一晩を共にすることになるとは思ってもいなかった。

 スコープを覗く。照準を合わせる。

 ターゲットの、疲れ切った中に微かに光の差した笑顔が映る。

 引き金に指をかける。


 *


『狙った標的は外さないんじゃなかったのか!』

 深夜0時。3日間のタイムリミットの期限切れの時間。

 俺は失敗の報告を入れた。

「狙いさえすればな。が、引き金を引かなかった」

 携帯電話での連絡を終えたあと、ターゲットは糸が切れたようにデスクに倒れ伏した。そのまま寝てしまったのだろう。会社から出ることなく、日付が変わってしまった。その瞬間、こっちの期限付きの仕事はタイムオーバーが確定した。

「俺の負けだ」

『そんな言葉一つで済む問題だと思っているのか!金は一切払わんぞ!』

「構わない。俺にとっては特に損はない」

『なんだと』

こっちの(・・・・)仕事とは別に、もう一つの依頼を同時に受けていたからな。あんたよりも高い報酬で。そのターゲットは、」


 あんただ。


 その仕事を受けたのは3日前。

 裏情報のリークをみすみす止められなかった、懲戒処分予定の男を1人、消して欲しいというものだった。よくあるトカゲの尻尾切りだ。切られるのが末端ではなく管理職側ということは、組織全体としては情報の流出を止めるのは諦めたということなのだろう。これは今までに受けた仕事からの経験則だ。

 始末屋としてはこんなに楽な仕事はなかった。依頼を引き受けたばかりのターゲットが自分から近づいてきたばかりか、連絡を取り合える状況を自らセッティングしてくれたのだから。

 彼は、3日間のうちに自らの障害になる男を消せば汚名返上の目があると見ていたようだったが、勝負に出たその日に切り捨てられることが決まっていたのだ。


 語られたわけではないが、すべてを察した「ターゲット」は息を飲む。

 乾ききった口で、どうにか次の言葉を絞り出した。

「な、なら……なぜすぐ私を殺さなかった」

 殺すはずの男の依頼を受けて金を引き出すことができれば、いい小銭稼ぎになる。そういう思惑もあったのだが、やはり人生そううまくはいかないものだ。それにもうひとつ、大事な理由があった。

『あんたにも仕事が残っていただろう。ビジネス相手――俺から、依頼した仕事の成否の報告を受けるという仕事が。俺は自分の流儀を守っただけだ』

 返事ができなかった。

 アウトローがこちらの常識では測れない行動をとることは知っていたつもりだったが、ここまで頑なに守るものだとは思っていなかった。二の句が継げないでいると、電話越しのスナイパーはしびれを切らしたように言った。

『そろそろ切ってもいいか。仕事中の私語は好きじゃない』

「ま、待て。金ならある。いくらでも出すぞ!」

 返事はない。

 きっと周囲からこちらを狙っているはずだ。必死にその姿を探す。

「今からお前を抱えのスナイパーとして雇ってもいい!」

 やはり答えない。

 恐慌状態に陥った男は、拳銃を隠してある懐に手を入れた。


「どこだ!どこにいる!」


 その問いには銃声で答えた。

 もっとも、サイレンサー仕様だ。

 仮に即死していなかったとしても、聞こえなかっただろう。

 騒ぎになる前に、俺は陣取っていたビルの屋上から退散する。2つのターゲットを両方狙える場所を探すのには苦労した。初日のうち、観光に費やそうと思っていた時間を潰してしまったが、その甲斐はあったということだ。

 山のように積もったヤキソバロールの包み紙も回収した。ポイ捨ては良くない。


 *


 目が覚めると、自分のデスクに突っ伏していた。

 締切ギリギリに原稿を納めたことで気が抜けて、寝落ちしてしまっていたようだ。

 実に大きな仕事だった。とある大手の企業の内部からリークされた不正の証拠。それをもとに書き上げた記事は、この国の労働問題に一石を投じることになるに違いない。願わくば、サービス残業を減少させる一助にならんことを。

 記事の内容、情報の出所が出所だけに、どこかから邪魔が入るかと懸念して気を張っていたが、何事もなく拍子抜けしてしまったことも寝落ちの一因だろう。

 寝ぼけたまま徐に手をさまよわせると、カサリと封筒に手が触れる。自分では置いた覚えのないものであった。警備の人が時間外に届いた書簡を置いて行ったのだろうか。だったら起こしてくれてもいいのに。内心ぼやきつつも、緊急の内容だったら困るなと書面を広げる。


『拝啓。この3日間、あなたを見つめていました。

 働き過ぎかと思います。お体に気を付けて。

 先に上がらせていただきます。』


 朝の光を感じて、窓際に立って、大きく伸びをする。

 自分を祝福するように昇りゆく太陽に、込み上げる歓声を聞かせた。

「……モテ期、キタァァァァァァァァァ……!」

 窓から覗く大空を、一台の飛行機が飛んでいく。

 その中に、機内食にヤキソバロールがないことを知って気落ちしているスナイパーが乗っているなど、一介の社会の歯車に過ぎない彼には知る由もないことだ。

お読みいただきありがとうございます。

前書きにあるものは「ついのべ(140字小説)」というもので、

この拙作は以前に書いたついのべから膨らませて短編化したものです。


『ついのべ集』にまとめてある他のついのべも、閃きと機会があれば短編にしてみたいと思っています。

その時も、どうぞご贔屓によろしくお願いします。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 悲しいモテ期ですね。 [気になる点] 返事ができなかった。 のあたりで、主観の切り替えが分かりにくかったです。
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