◆16◆
「そういう武術もあります。一般に『護身術』と総称されてますね。でも、アリッサさんの場合、それとも少し違っている様に感じます。そう思いませんか?」
シェルシェは少し真面目な表情になり、アリッサの言葉を待った。
「護身術の一種でいいと思いますが。でもウチの場合、たとえば護身術を習いに来た人に、ひたすら逃げることだけを教えたら、『詐欺だ。授業料返せ』って言われるでしょうね。実際、門下生の子供達に教えてるのは、ひたすら逃げることだけなんですからねえ。護身術と言うより、大昔のサイレント映画の追っかけっこに近いかも知れません。特撮技術の無かった頃、俳優が生身の体一つでやってのけた荒業の数々に。主人公が警官や悪漢から逃げる為に、屋根から屋根へ飛び移ったり、自動車の行き交う道をすいすいと横断したり、高層ビルの壁をよじ登ったりする、あれです」
「なるほど。言われてみれば」
アリッサの説明に、シェルシェが思わず膝を打つ。
「あのドタバタ喜劇の俳優達がやっていることを、『護身術』とは言わないでしょう。『逃げ足』としか言いようがありません。映画の中の追っかけっこでは、時に反撃したりもしますが、メインとなるのは『逃げ足』です」
「相手を倒すことではなく、危険から逃げることが、アリッサさんの目指す理念だということは分かりました。でも、あくまで理屈の上です。武芸者の一人としては、是非とも、この身で確かめてみたくなるじゃありませんか」
そう言って、シェルシェはソファから腰を浮かして、アリッサの方へ、ずい、と身を乗り出した。
目が爛々と輝いている。
アリッサは嫌な予感しかしなかった。
「アリッサさん、私とも試合をしてもらえますか? その方が理解が早そうです」
アリッサは、それを押しとどめるように両手を前に出して、
「いやシェルシェさん、試合しないって、約束してくれたじゃないですか!」
「何もしないから」と言い張って、ホテルに女を連れ込もうとする必死な男か、アンタは。
アリッサはそう思ったが、その場にはまだ汚れを知らない純真な少年が同席していることもあり、流石に口にするのは自重した。




