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「はじめっ!」
ヴォルフの掛け声を合図に、ミノンが木刀を中段に構え、少しずつ前進して来た。
アリッサは、ミノンが近づくのと同じ速度で、後歩きで後退する。
二人の間合いは全く変わらない。
不意にミノンは木刀を大きく振りかぶり、気合の声と共に、アリッサめがけて全速力で突っ込んだ。
アリッサは、ミノンに正面を向けたまま、全く同じ速度で後退した。
それは、相対する二人が、間合いも向きも変わらないまま直線移動しているという、奇妙な光景だった。
ニ十メートル程後退した所で、アリッサは急ブレーキをかけたように、ぴたりと止まり、正面をミノンに向けたまま、右へすうっと滑るように移動した。
ミノンは、その突然の動きに反応しきれず、そのまま三メートル程オーバーランし、二、三歩つんのめるようにしてから、アリッサの方に素早く向き直る。
アリッサは、突っ立ったまま特に構えもせず、ミノンの様子を眺めていた。
ミノンは、再び木刀を振りかぶり、アリッサに突進する。
アリッサはミノンに正面を向けたまま、全く同じ速度で後退する。
それから、しばらくの間、ミノンが追い、アリッサが後退し、時々アリッサが急に直角に曲がり、ミノンがその動きに追い付かずにオーバーランする、の繰り返しが続いた。
もはや、武芸者同士の試合と言うより、闘牛に近い。
ミノンが息を切らしつつ全力で追うも、木刀の間合いに捕らえることが出来ないアリッサ。
その姿が、不意にミノンの視界から消えた。
ミノンはわずかな音を聴き取って、アリッサが自分の左側面に回ったと判断し、全身の力を込めて、木刀を鋭く左になぎ払う。
と、突然、木刀のコントロールが利かなくなった。
アリッサがミノンの振るった木刀に飛び付き、片手でその刀身をつかんでいたのだ。
その姿は、投げられた円盤を空中でキャッチした犬のようにも見えた。
ミノンは驚愕の表情を浮かべ、それでも木刀を握る左手に力を込め、体勢をくずすまいと足を踏ん張った。
地に足が着くと同時に、アリッサは木刀の刀身を両手でつかみ、宙に円を描くようにそれを軽く一回転させる。ミノンの左手が不自然な方向によじれ、それにつられるように、ミノンの体が床に仰向けに倒れた。
「そこまでっ!」
ヴォルフがそう叫んだ時、アリッサが逆さまに持った木刀の柄は、大の字に倒れているミノンののど元に、ぴたりと付けられていた。
試合を見守っていた門下生達の間から、感嘆のどよめきが起こり、やがて稽古場は盛大な拍手に包まれた。




