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開会式が終わり、会場内の一万人の観衆は、試合開始の瞬間を、今か今かと待ち構えていた。
すでに、二十メートル四方の枠線で囲まれた試合領域の中心部には、審判の立ち合いの下、アリッサとプランチャが、向かい合って立っている。
アリッサは、どこにでも売っているような、明るいグレーのトレーニングウェアに白い運動靴、プランチャは、胸の所に白い字で「猛犬魂」と書かれた赤いタンクトップと、黒い試合用トランクスに裸足、という格好だった。
傍目には、朝起きたばかりの一般人が、何かの間違いで拳闘の試合のリングに上がってしまったようにも見える、そんなアリッサの場違い感が際立つ。
一礼の後、審判は二人の選手を、四角い領域の対角線上にある、それぞれの自陣へ戻るよう促す。しばらくして、試合開始のブザーが鳴った。
軽く、跳ねるように、舞うように、中央に進み出るプランチャ。
アリッサは、自陣の枠線ギリギリの位置から、一歩も動こうとしない。
プランチャは両の拳を前に構えて、ジグザグにアリッサの方へ進んで行く。
片や、アリッサは構えもせず、立ったまま動かない。
両者の距離が二メートル程になった所で、プランチャは進むのをやめて、右へ左へと、アリッサを翻弄するように、軽い足取りで跳ね始める。
相変わらず、アリッサは動こうとしない。
プランチャは、一歩前に出て、当たらない位置から左右の拳を数回素早く繰り出し、すぐに後へ戻った。それから、再びアリッサの前で左右に跳ねるように動く。
それでも、アリッサは立ったまま動こうとしない。
ついに審判がアリッサに警告を発した。攻勢に出ない場合は減点となり、判定の際に不利になる。
警告後も、アリッサは全く動こうとしない。
業を煮やしたのか、プランチャは一歩大きく踏み込み、右の拳をアリッサのガラ空きのボディに繰り出す。
その瞬間、アリッサの姿は、プランチャの視界から消えた。
驚いて、体の向きを変えようするプランチャの背中を、すでに後に回っていたアリッサが軽く蹴とばした。プランチャはバランスを崩されて、大きくよろめく。
「場外!」
審判が声を発した時には、枠線の外にプランチャはうつ伏せに倒され、アリッサがその上で、プランチャの右足首をつかんでいた。




