01
まさか自分にこのような火の粉が飛んでくるとは思ってもみなかったので、気分を落ち着けて考えてみたい。
まずは、ゆっくりと椅子から立ち上がり、テーブルに背を向けて、コーヒーメーカーが置いてある台所に歩み寄る。ワンルーム8畳程度の狭い家のため、ほんの数歩歩くだけである。
台所の棚からフィルターを取り出し、ドリッパーにセットする。続いて、冷蔵庫を開けて、コーヒー粉の入った小瓶を取り出し、スプーン3杯分のコーヒー粉を入れる。水魔法を用い、空気中の水分をかき集め、水溶器に水を満たす。熱魔法を用い、水分子を振動させ、水溶器の水を十分に温めると、ドリッパーにセットしたコーヒー粉に熱湯を流し込み、コーヒーを淹れる。コポコポと音を立てながら、徐々にサーバーにコーヒーが満たされていく。
水溶器が空になったことを確認すると、サーバーを取り出し、たっぷりとカップにコーヒーを注いでいく。カップから湯気が立ち上り、ふわっとしたコーヒーの香りが漂う。コーヒーを入れたカップを手に、くるりと後ろを振りむくと、テーブルに座っている3人の少女と目があった。
少女たちはじっとこちらを見つめ、微動だにしない。1人1人と目を合わせると、カップをテーブルに置き、少女たちの目の前に座った。コーヒーを一口飲むとその苦味が口の中に広がるとともに、鼻の奥からすっとコーヒーの香りが通っていく。
椅子に深く腰をかける。
さて、今のこの状況について考えてみたい。この状況、とは、王族機関から引退して10年も経つ私のところに、3人の少女が訪ねてきたという、この状況だ。3人の少女―1人は王女、2人はその護衛だ。私はかつて王女の教育係りをしていた時期が一時期あったから、王女とは面識がある。10年前のことだ。私が辞職する前の最後の仕事が、この王女の教育係だった。と、言ってもそう長い期間ではない。たかだか1か月程度のことだ。局長の座を退き、今後の身のふりを考えるモラトリアム期間のようなものだった。
王女の教育係などといっても大したことではない。目の前のこの王女は当時の国王の後妻の末っ子だ。局長を退いた私に対して、聞こえの良さそうな仕事を人事の人間が振っただけにすぎない。あの当時は7歳か、8歳かそのくらいの年齢であったはずだから、今は10代後半くらいだろう。まだ20歳にはなっていないはずだ。
その両脇に座っている護衛の少女も王女と同じくらいの年齢と見える。じっとこちらを見つめているが、どことなく不機嫌そうだ。まぁ、考えてみればこのような小汚い、狭い家の中で同じテーブルを囲ってこうして王女と座っているわけだから、通常であればありえない光景だ。しかも私の方が上座に座っているのだから、彼女たちからしてみれば、無礼千万な人間に見えていることだろう。
しかし、そんな不遜な人間に対して文句の1つも言える状況ではあるまい。不機嫌そうな顔をしているこの幼い護衛たちも、この無礼さに対して激怒することを我慢する程度には身の程をわきまえているようだ。
「それで……」
目の前に座る王女が口を開く。
「先ほどの話なのですが、私たちに協力していただけませんか。」
さっきも王女から事情を聞いているときに感じていたことではあったのだが、年の割に大人びた声である。10年前のことはあまり覚えていないのだが、随分と印象が変わった……様な気がする。昔は何の特徴もない、印象も残らない、ただの女の子だった……様な気がする。覚えていないのだが。そもそもこの王女の名前すら思い出せない。名は何と言ったか。護衛の2人も、「当然王女のことは知っているだろう」というような態度で王女の名すら名乗らなかった。とはいえ、とりあえず、名前はわからなくても、「王女様」と呼んでおけばこの場では問題あるまい。
「それはつまり……」
さっき聞いた王女の話を咀嚼しながら、一言一言ゆっくりと話す。
「王女様は今は、ポート・ディクソン帝国から追われる身となっているため、隣国のテブラウ王国へ亡命したい。亡命にあたって、この私に亡命の協力をしてもらいたい、ということですね?」
そうです、とうなずき王女は言う。
「私は王国の王女としての務めを果たしたい。この国を守り、歴史を守り、国民を守りたい。そのためには、あなたの助けが必要です。」




