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かもしれない

作者: 千葉



 やっぱり音楽は素晴らしいのかも知れない、と彼女は言った。どこかで聞いたことのある台詞だが、”かも知れない”というのは新しい気がする。

 彼女はタイだかバリだか、とにかくその辺りの地方のビールを瓶のままラッパ飲みしていて、それで少しいつもより多弁になっていた。自分は本当はお喋りなのだと彼女は言っていたが、それは人見知りの彼女が心を許したごく一部の人しか対象になっていない。

 彼女は先日あるバンドのライブを見に行くかどうか、当日の昼過ぎまで悩みに悩んで、結局見に行って、結果そのライブがものすごく良かったらしい。女子高生の時の気持ちを思い出したのだと、彼女は言っていた。彼女は高校生の頃、バイト代のほとんどが様々なバンドのCDや、ライブのチケットを買うために消えているような生活をしていたそうだ。ライブハウスが一番楽しい遊び場だったのだと彼女は言う。大人になってからはすっかりそれも治まっていたが、久しぶりにその頃の気持ちになったらしい。


「何ていうかね、すごく心が充実したのよ。一日家に閉じこもって、ほとんど誰とも口を利かなくても寂しくないっていうか。私にはここがあるから大丈夫って思えたの」


 彼女曰く、彼女が学生の頃足しげくライブハウスへ通っていたのは、友達が居なくてやることが無かったことが大きな理由なのだという。一番楽しい遊び場は、話し相手も遊び相手も居ない彼女の孤独を受容してくれる場だったのだ。


「音楽が無ければ私はこんな性格にはなっていなかったかも知れないけど、もっと悪い性格と悪い状況になる可能性を摘んでいたのかも知れない」


 彼女は酒に強いようで、確かに多弁になってはいたが、その酔いを顔色や表情の上に出したりはしていなかった。もしかしたら私に慣れてきただけの話で、少しも酔ってなどいなかったのかも知れない。或いは、酒を飲んでいるという状況自体が、彼女を多弁にさせるのだろうか。


「ライブに行く回数が減って、CDを買うことも少なくなって、家でもあまり音楽を聞かなくなって。私は本当はそんなに音楽が好きじゃないのかも知れないと思っていたけど、違ったみたい。いい出会いが無かっただけなのね」


 音楽を作るのも、演ずるのも人なのだ。彼女自身が変化していくように、かれらもまた変化を拒めない。そうして少しずつずれていって、ある時ふと、かれらの提示するものと自分は、もう合致しないのだと気付く。そうしてずれて、去っていくものばかりが多くて、彼女は勘違いを起こすところだったのだ。


「きっとこの充実感を絶やさないために、あの頃私はあんなに必死だったのかもね」


 彼女は駅までの道すがら、小さな声で歌をうたっていた。知らない歌だった。ひょっとして、これが彼女を女子高生の気持ちに立ち返らせた歌なのかも知れない。音楽は孤独を癒さない。音楽は寄り添ったりしない。しかし孤独であること、独りであることを否定しないのだ。


「今はまだ探している途中だけど、また見付けられたら、その時は一緒に見に行きましょう」


 彼女を震わせたそのバンドは、奇しくも彼女の行ったその日を最後に解散したそうだ。会場での突然の発表で、客は泣いたり、怒ったりしていた。彼女は泣いたそうだ。怒ったり泣いたりすること。それだけ、音楽は人の心に潜り込むことが出来るということ。かけがえのないものになれるということ。何かにそれだけ心を傾けられるということ。滑稽だという人も居るだろう。しかしもしかしたら、そうして怒ったり泣いたり出来る我々は、幸福な人種なのかも知れないなどと、彼女の後姿を眺めながら、ぼんやりと考えているところだ。





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