一章 鬼塚 五
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夕食時、古い屋敷の居間で、水那人は本家の家族と共に食卓を囲んでいた。
畳敷きの居間。幾世代にも渡って磨かれ、黒光りする檜の大黒柱には、大きな振り子時計が据えられていて、時折懐かしい音を聞かせてくれる。
夕刻頃、水那人は本家に泊まる事となった。未だ雨が止んでいない事もある。だが、理由としては、月子が勝手に水那人の実家へと連絡を取ってしまった事が挙げられる。水那人は泊まっていくそうです、と。
――水那人は一言も、そんな事は言ってなかったのだが。
どことなくおっとりしている感のある月子は、困った事に、意外と強引な面も併せ持っているのだ。
「さぁさ、いっぱい食べてね、水那人ちゃん」
丸顔の伯母は、水那人の茶碗に白飯を盛りつけながら、嬉しそうに言った。
「いやその……もう、あんまり入らないよ……」
いつもの事ではあるが、この屋敷を訪れ、食事を振る舞われる度に、水那人は四苦八苦する羽目になる。料理上手な伯母は、自分の息子達が食べ盛りを過ぎた事が残念でならないらしく、一族の中で最年少の水那人に『大いなる期待』をかけているのだ。多分、春路ならば自他共に大歓迎されるのだろうが、水那人には荷が重すぎる。
「何言ってんだ、水那人。俺がお前くらいん時なんてなぁ、もっといっぱい食ってたぜ?」
従兄の和征が、引きつった笑みを浮かべる水那人の背を何度も叩いた。一見して、和征は父親似で、長髪の似合う細面の優男である。とはいえ彼を侮ってはいけない。体格的には大柄で、しかもこの家の血筋として、一人前の方術を身に付けた生粋の呪術者でもあるのだ。
「和兄、痛いって……」
「兄さん、その辺にしてあげて? ……水那人、無理して食べる事ないわよ」
月子が出した助け船に、水那人は救われた思いがした。
「相変わらず水那人には甘ぇな、月子は」
一つ舌打ちをして、和征は味噌汁の椀を口に運ぶ。
「当然でしょっ? 可愛い可愛い弟なんだからっ」
「うぶっ……」
不意に、月子は水那人の顔を自らの胸に抱いた。
「お、嬉しいか水那人。男だもんなぁ」
うひひひ、と、いやらしい笑声が耳に届く。
「兄さん、それ、セクハラ……」
月子は頬を朱に染めて、どこか憤然とした声で言った。
水那人もまた、月子の胸の柔らかさを頬に感じながら、自身の顔が紅潮していくのを感じていた。
「飯時に、水那人をおもちゃにするなよ。まったくお前らは……」
不意に呆れ声で口を挟んだのは、威厳を湛えた髭面の、この屋敷の当主である。つまりは、水那人の伯父だ。
「へいへい」
「……だって、可愛いんだもん」
和征はしらけ気味に頭を掻き、月子は口を尖らせて水那人を解放した。
「水那人も少しは怒れ。男だろ、お前……」
箸で指し示しながら、伯父は言う。
「って、言われても……」
ただ苦笑いしながら、水那人はそう言うしかなかった。春路ならいざしらず、この従兄妹二人に怒ったところで、どうなるものでもないのは既に立証済みだ。
「いいじゃない。雅征叔父さんに似て、穏やかな人間関係が好きなのよ、水那人は」
背後から水那人を抱きすくめながら、月子は言った。
「世間じゃ一般的に、事なかれ主義っつーけどな、そういうの」
くっくっく、と、和征は意地悪く笑う。
「……まぁ、それも生き方ではあるがな。……八方美人はいかんぞ?」
「……はぁ」
伯父の言に、水那人は、ただそう返事をするしかなかった。
なるようになるだろう。と、普段から人間関係に対して、水那人はそう考えている。伯父の言葉も分からない訳ではない。しかし、その生き方は、自分には合っていないような気がする。
気のない水那人の返事に、伯父は苦笑した。
「まぁ、いいか。とにかく腹一杯食っておけ。今夜は豪雨だ。何かあるかも知れん」
伯父のその言葉で、唐突に、和征の顔からふざけた気配が掻き消えた。
それを見て、水那人の胸中を、何か昏いものが駆け抜けていく。
「まさか……鬼塚……?」
「そればっかじゃねえけどな」
顔色を変える水那人に、和征はそう言って苦笑を見せた。
「近所で土砂崩れとか、あるかもしれねえからさ。もしもの時は……俺と親父が出張るから、お前には、お袋と月子……それから、妖怪ババァを頼む」
「こらっ、和征! 大叔母様でしょっ!」
間髪入れずに伯母の叱咤が飛ぶ。だが、和征はそれに対し、流す様に軽く手を挙げて応えただけだった。
刹那、気のせいか、水那人には外の雨音が激しさを増した気がした。