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終章 かみゆきて 四

    ◆ ◆ ◆


 水那人の父・雅征まさゆきは、若いころ兄と共に、方術の修行を行っていた。師は父。そして大叔母の咲。

 雅征は、兄よりも方術の素質があった。兄より要領が良く、飲み込みも早い。そんな雅征に、大叔母はことに目をかけ、可愛がっていた。

──あの夜までは。

 その夜、雅征は大叔母に相談に行った。内容は、幼少からこれまで、一晩も欠けることなく見続けている夢。

 それは、日本史の教科書に書かれている史実とも、深い関わりを持つ夢。


 藤原氏の独裁と、それに対抗した吉備氏。そして、祖父である吉備真備きびのまきびの意思を継いだ一人の男。卑劣な手段で朝堂を我が物にしようとする藤原氏に対し、その男は自らも非情な手段を使うと決めた。律令──『法』を手中に収めた藤原氏に対して、自らは陰陽道──『方』で対抗しようと。

 それにはまず、大陸や、自国で培われた方術や祭祀の一切を、一箇所いっかしょにて管理する必要がある。男はそう考え、陰陽寮以外では唯一祭祀を行っていた典薬寮に、腹違いの弟を推挙した。

 それからの、男の政治的な駆け引き。面従腹背めんじゅうふくはいを旨とし、弟の導きで典薬頭てんやくのかみと懇意となり、祭祀方術の知識を我が物とした上で、男は典薬寮をおとしいれた。東国にて鬼となった弟。その責任を、典薬寮と、その総責任者たる典薬頭になすりつけたのだ。

 結果、典薬頭は処断され、呪禁師じゅごんしは廃止の運びとなった。だが、あと少しで強大な力を手にする事が出来る、そんな場面で──

──男は、詰めを誤った。

 策謀さくぼうに利用した弟と妹。元より半分しか血の繋がりが無く、兄弟として過ごした刻すらも希薄な者達。哀れではあると思っていた。だが、それ故に自らの手で葬ってやろうと思った矢先、まさか自らの実の息子が間に入ってこようとは。

 禍根を断つ為に屠らねばならなかった者──自らの妹──朔。彼女の妖しげな笑顔と、息子の泣き顔を見ながら、男は首を刎ねられた。


 毎晩のように見る、そんな夢。まるで我がことのように──それを体験してきたかのように見るそんな夢の話をした時だった。

 大叔母の貌が、一瞬鬼女のそれに変わり、刹那には、まるで夢に見た妹の様な妖しい笑顔に彩られたのだ。

 大叔母は告げた。穏やかな口調で。

 雅征よ、家を出なさい、と。このままでは、私はいつかお前を殺してしまう。夢の中の少女は、この私なのだから、と。

 あまりの事に、雅征は驚きを禁じえなかった。あまりに突飛な話。あまりに理不尽な命令。だがそれでも、雅征は不思議と腑に落ちた。それは、類稀たぐいまれなる方術の才能が、警鐘を鳴らしていたからに他ならない。

 その翌日、雅征は家を出た。父にも兄にも何も告げずに。下道のこの家が、この先どんな運命にさらされるのかも分かった上で。大叔母は、連綿と続いてきたこの家を、この血脈を、自らの傀儡かいらいとして操ってきた。だからこそ、過ぎた才能に恵まれた雅征に、傍にいてもらっては困るのだろう。それになにより、家から離れた雅征にしか出来ない重要な役目もあった。

 呪術とは無縁な環境で子を作り、ごく普通に育て上げるという事。二十何年か後の、嵐の晩に間に合うように。


    ◆ ◆ ◆


「……じゃあ、父さんは知ってたんだ……月姉つきねえが、朔だ、って事……でも、なんで今更いまさら? 月姉の事なんか、今じゃ本家の人達ですら憶えてないのに」

 話を聞き終えた水那人は、そんな疑問を口にした。正直に言ってしまえば、傍観していた父には幻滅している。もっと早くに知らせてくれれば、月子だってどうにかできたかもしれなかったというのに。

 しかし、水那人とは裏腹に、湊の心は落ち着いていた。

「俺は大叔母が怖かった。下手に動けば何されるか分からなかったしな。だがその前に──俺も、大叔母が好きだったのさ。小さい頃の俺を可愛がってくれたあの人は、いつもどこか悲しげなのに、微笑みだけは本物だったから。だから俺は、大叔母が輪廻に戻れる事だけを、祈ってた。……それに何より、俺は何かをしていい立場じゃないと思ったしな。そうだろう? なんせ俺の前世は──」

 それまでの笑みを掻き消して、父は水那人の顔を見つめた。いや、水那人には分かった。父が見つめているのは、水那人ではない。

「……貴方あなたはもう、真仁──兄上ではない。下道雅征──水那人の父だ」

 不意に、そんな湊の言葉が零れ出た。そして、その言葉を待っていたかのように、父は再び微笑んだ。

「ああ、分かってる。だがそれでも、けじめだからな。俺が知っている、俺の前世の最期の気持ちを伝えておこう」

「……是非ぜひにも」

「前世の俺は……自分の行いに後悔はなかったようだ。だが──息子の泣き顔を見て、迷いを感じていたよ。そして、これより先の因果を見届けたい、と強く願った。だからこそ──俺がここにいるのかもな」

「──そうやも……知れぬな」

 そんな呟きを残して、湊は眠りに落ちていく。残されたのは、父と対面している水那人だけだった。

「悪かったな、水那人。情けない親父で」

 一転して、ふて腐れた様に父が言う。

 だが、

「……ぷっ! く、くくく……」

 途端、水那人は可笑おかしくなった。

 ありえない、と思う。この父の前世が権謀術数けんぼうじゅっすうの策士だったなんて。ふて腐れたように見えるのは、父の威厳を保とうと必死なのだろうから。きっと、今のこの父ならば、湊ともうまくやっていけると思う。

 湊はもう、真仁の魂に恨みを抱いてはいない。それは、この父の口から、謝罪の言葉が一つも出てこなかったからだ。自分の心を偽ることなく、ただありのままを伝えた父だったからこそ、湊の心から、最後に残った恨みの心を消す事ができたのだろう。

「いいんじゃない? 俺、そんな小物な父さんで良かったと思うよ」

「んなにぃっ? お前、言うに事欠いて、小物とはなんだ小物とは!」

「んまぁ、朝っぱらから大声出して! 終わったんなら呼びなさい! 朝は忙しいんですからねっ?」

 突如リビングに戻り、そうまくしたてる母の剣幕に……

『……す、すみません……』

 父と息子は、声をそろえて平伏した。

最終話『かみゆきて 五』 は、2/11 20:00掲載予定です。

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