終章 かみゆきて 三
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水那人にもまた、夏休みを目前にして、慌ただしい日常が戻っていた。
無期限の停学も、水那人の両親の学校側への反撃があり、体育教諭の『指導』にも問題点があった、という事が認められ、一週間に短縮されたのだ。そして、あれだけの惨事となった病院の事件は、半ば有耶無耶となっていた。
あの朝、朔――月子によって破壊された施設や怪我を負った人々は、湊の禁呪によって元の状態に戻っていた。死者が出なかったことが不幸中の幸いで、負傷者が流した血もそれぞれの身体へと戻り、惨事はすっかりとその痕跡を消してしまった。
そうなれば自然、誰の証言もつじつまの合わないものとなる。結局、意識を取り戻した医者や患者、看護師や警官の証言などから、ストレスや、院内で扱っている揮発性の麻酔薬などによる集団幻覚説という事に落ち着いていた。とはいえ、無論それでもつじつまは合わないのだが。
「……おは……ふわ……ああああぁぁぁ……」
リビングのドアを開け、入ると同時に大あくびを放つ。
「……やぁね水那人。しゃんとしなさい? 今日から早矢ちゃんと学校行くんでしょ?」
母が、苦笑とともに出迎える。
「だからさ、こんなに早起きしたんじゃないか」
リビングの時計を見ると、まだ七時前である。水那人にしてみれば、もっとゆっくり寝ていたかったのだが、そういう訳にはいかなかった。それもこれも、早矢が『迎えに行くから、ちゃんと早起きしててね~っ!』と、昨日電話で元気一杯に言っていたからだ。何時頃に、と訊く間もなく早矢は電話を切ってしまい、こちらからかけ直してはみたものの、ずっと話中になっていた。おそらくは、登校日を伝えたい相手が大勢いたのだろう。
「……母さん」
不意に、父が水那人を食卓に促しながら、母に目配せをする。
母は頷くと、水那人の朝食を用意して、そのままリビングから姿を消した。
「……何? 父さん」
父の様子を訝しげに眺めながら、そう一言問うた時、
ざわり、
と、湊の心がざわついた。湊から溢れ出る憎悪がある。それだけではない。畏怖と並存する、敬意も。
「……真仁……」
──なんだって?──
意図せず口をついた言葉に、水那人もまた身を強張らせた。
真仁──吉備真仁。その名は、水那人の前世──吉備真己の実父である。
だが父は、自らに向けられた敵意を真正面から受け止め、しかしそれでもなお──
「……そうらしいな。吉備湊」
──そう呟いて、にこやかに微笑って見せた。
刹那、気が抜けたように──いや、言葉通りに気が抜けたのだろう。湊の敵意が静まっていく。
「まさか兄上、貴方までが生まれ変わっていたとは……」
複雑な想いと共に、湊が呟く。
「大叔母の咲──月子となる前のあの人から聞いたのさ。若い頃に。大叔母は見抜いていた様だ。俺が──いや、俺の前世が何だったのかを。それにまつわる話を、今これから話そうと思う。──水那人も聞いておけ」
父のその言葉は、水那人と湊。両方の意識を釘付けにした。どちらも、父の話に口を差し挟もうとは思わなかった。
「幼い頃から、夢に見ていた記憶の断片が俺にはあってな。うなされて、夜中に目が覚める事はしょっちゅうだった」




