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一章 鬼塚 四


    ◆ ◆ ◆


 町の象徴でもある、小高い丘の鎮守ちんじゅの杜。その一角に、下道本家の屋敷はある。

 早矢の病室からも見えるその場所は、しかし、実に奇妙な場所だった。鎮守のもりでありながら、その中には社殿もほこらも何もないのだ。いや、鎮守の杜とは、その実、土地の人間が勝手に呼んでいるだけであった。杜の外れには下道家の屋敷が在るが、それはあくまで住宅であり、社務所しゃむしょですらない。だがしかし、確かに杜は、その神域しんいきに神を内包している。

 たたり神、ではあるが。

「はぁ……なんか、ここに来る度に、いいのかな……って、思うよ……」

「なぁに? それ……」

 開け放たれた門の前で二の足を踏む水那人に、月子は苦笑を向ける。雨脚あまあしはいよいよ強くなり、茅葺かやぶきの門の屋根からは、雨垂れが滝のように落ちていた。

「だってさ……なんか、場違いな気がするんだ、俺……根っからの庶民しょみんだし」

 言って、水那人は屋敷を見やる。目の前には、永く風雪に耐えてなお健在な、平屋造りの典型的な伝統建築が在る。檜材ひのきざいをふんだんに使用したこの屋敷は、歴史的にも価値が高いらしく、市の重要文化財指定の話が浮上しているという。ただし、観光地化する事を望まない本家の伯父は、かたくなに拒んでいるという事だが。

「別にうちだって、富豪って訳でもないわよ。水那人だって知ってるじゃない?」

 躊躇ためらう水那人の手を引いて、月子は門をくぐる。

「そうなんだけどさ……なんか苦手なんだよね……この屋敷……っていうか……この丘の雰囲気」

「裏の鬼塚おにづかの事、なまじ知ってるからじゃない? うちはそういう家系だしね」

 屋敷のかげとなって見えないその場所に、月子は視線を向けた。

「そう……なのかな……」

 雨で煙る前庭。夕刻の陽光を遮り、半ば闇を作っている雨雲をあおぎ見て、水那人は下道家に伝わる口伝を思い出していた。

 ここは、かつて大和朝廷やまとちょうていの軍勢と、蝦夷えみしが争った戦場の一つなのだという。

 まつろわぬ――朝廷に臣従しない――民を征討せいとうする為に、大和朝廷は軍勢を差し向けた。

 その戦の最中に生まれた鬼が、このもりの奥に眠っていると言われていた。

 

 そは、蝦夷えみしの怨念より生まれでしもの

 百の怪、千の妖が領袖りょうしゅうなり

 鬼、朝廷に仇為あだなさむと一足に虚空を飛び、一夜にして都に至り

 三日三晩、あまたの公卿と眷属けんぞくを喰らふ

 方士在り、吉備がすえにして方力ほうりき強し

 方士、午陵ごりょうが頂にて鬼と相対し、そのたまを玉石に封ず

 後、塚を造りて鬼を祭らむ

 その塚、鬼塚と名付けられたり


 学校で習った日本史に出てくる『蝦夷えみし』という名詞。

 蝦夷との戦いから生まれたという、怨念おんねんの鬼。

 良くあるただの昔話より、どこか表現がリアルで、水那人はこの口伝を思い出す度に薄ら寒さを感じるのだった。口伝に出てくる吉備きびという名も、遣唐使である吉備真備きびのまきびを指している。吉備真備は唐の国で方術を学んだという。下道しもつみちは吉備真備の本姓であり、嘘か本当か、つまり水那人はその子孫という事になる。

 とはいえ、分家の人間として、呪術から離れた環境で育った水那人には、本家の人間が習得しているような特技はない。以前、興味本位から触り程度をかじった事はあるが、根本の理屈が理解できずに挫折ざせつした。

 今となっては、完全にごく普通の高校生なのだ。

「大叔母様。水那人を連れて参りました」

 雨戸を締め切った縁側えんがわを通り、月子によって通された六畳ほどの部屋。そこが、この屋敷の長老が在する室だった。

 屋敷の造り同様の、純然たる和室。室内は衝立ついたてで仕切られ、その奥にくだんの老女が居る。

 老女は、病のとこについていた。よわいは、百をとうに超えている。大叔母と呼ばれながら、その実は水那人や月子の曾祖父そうそふの妹に当たる人だった。

 子のない彼女は、曾孫ひまごに等しい水那人をことに目にかけている。だが、ここ十年来、水那人は彼女の姿を目にした事はなかった。

 大叔母は、長く病に伏せっていた。特定された病ではない。老齢(ゆえ)の様々な合併症がっぺいしょうであるという。姿が変わってしまったか、それとも病気の感染をおそれての事か、この十年余り、大叔母は水那人と会話をするに当たり、常に衝立の向こう側だった。

 それでも、水那人の記憶にある大叔母は優しい人だった。駆け寄る水那人を、いつも暖かな包容で迎えてくれる。そんな人だった。だがしかし、水那人は最近になって彼女との距離を置いている。

 意識しての事では……ないと思う。とはいえ、その実はどうであるのか。

 理由は幾つもある。

 そう永くない人が、水那人の身近に二人もいる。それもまた、理由の一つではあった。その二人を、同時に気にかける事はそうそうできはしない。顔を合わせられない人と、まだ顔を見る事の出来る人。時が限られるなら、必然的に――

 そこまで思いをせ、水那人は暫し思案した。

 比べられないほど大切な二人の存在に、どうして差がついてしまっているのか。今更ながらに気付いた矛盾。その答は、判っているようでいて、どこか曖昧あいまいだった。

「よく……来たね、水那人……」

 優しい声が、衝立ついたての奥から耳に届いた。弱々しいが、その年齢を感じさせないほどに、はっきりと響く声だ。

 水那人は月子と共に、衝立の前に正座した。

「大叔母様は、お具合、いかがですか?」

 気遣いながら、水那人は穏やかに声を返す。

「ええ、今日は気分がいいわ。……水那人の顔を見て、頭をでてあげたいけれど……でも、無理ね」

 水那人は大叔母の物言いに、気恥ずかしさを感じた。

「俺……もう高校生ですよ」

「ふふ……そうだったわね。昔なら、もう立派に一人前……」

「一人前……だったら、いいんだけど……」

 水那人は苦笑した。一人前だというのなら、早矢の事でも、もっとましな解決方法が浮かぶだろうに、と、胸中でそう思ったのだ。

「何か……悩みがあるのね」

 胸中を見透かしたように、大叔母の声が響く。

「……まぁ、その……悩み……無い事もない……です……」

 水那人は頬を掻きつつ、躊躇ためらいながらも、隠すことなく胸の内を告げた。どういう訳か、大叔母の前では心を偽る事ができない。それは今に始まった事ではなく、遠く揺籃ようらんの刻からの事だ。

「ふふ……正直ね、水那人は。……悩みなら、月子に相談なさい。本当なら私が……聞いてあげたいのだけれど……ごめんね、水那人……」

 大叔母の言葉に、水那人は微笑んだ。勿論もちろん、笑顔が届くはずはない。衝立によって仕切られているのだから。だが、それでも心は幾ばくかの形となって、大叔母の元へと届く様な気がする。

「いいえ、気にしないで下さい。俺は、大丈夫ですから……ですから大叔母様は、ゆっくり休んで下さい」

「……ありがとう。本当に優しい子ね。水那人は……」

「そうでも……ないですよ」

 照れを隠しながら、水那人が言う。心が届いただろうか。微かに笑っている気配が、衝立の奥から感じ取れた。

「それじゃ、今日はここまでにしておきましょう……水那人、大叔母様」

 不意に、横から月子が口を挟んだ。水那人が視線を向けると、穏やかな微笑みが、月子の貌には浮かんでいた。月子もまた、どこか嬉しそうに見える。

「そうね、月子……水那人、また来てね……」

「はい。大叔母様、また来ます」

――ゲンキンだよね、俺も――

 立ち上がりながら、水那人はそう思った。普段はなんとなく来づらいこの部屋も、こうして大叔母との話を終えると、来て良かったと心から思う。そして、そんな自分に、微かな罪悪感を感じるのだった。


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