七章 魂の因果律 五
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熱く胸を焦がす思い出。湊を貪った、あの夏の日々。
だが、
ぎり、と、朔の口許が軋みを上げる。兄が何を恐れていたのか。朔を女と見る事を、どうしてあそこまで恐れたのか。それを、朔は後に知ることとなった。
あの後、朔は子を産んだ。望んだ様に、兄の子だった。完全で、崇高で、神聖なる存在。そんな我が子。
父はいない。母が殺した。だがそれでも、この子ならば父の復活を待てる程に、才能に恵まれている筈だった。
だが……。
苦しみ抜いた末に産まれたのは、まるで蛭の様に手足の無い、いや、頭までもが欠けた、骨と肉の塊でしかなかった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
朔は、自らの吐息が荒くなっていくのを耳にした。
自らの胎より生まれ落ちた『モノ』。それを思い返す度に、朔は吐き気を堪えなければならない。
何かの間違いだ。そう思う傍らで、あれが何なのかを、朔の身体は識っていた。その事が、朔の心を更に更に追い詰めていったのだ。
しかしその時だった。傍らに立つ者の存在に、ふと気づいたのは。
「真己……」
その者の名を呟く。今でも思う。それが、朔にとって、ただ一つ不可解な存在であると。男とも思えず、しかし兄の様な安らぎも感じず、それでいて、心から拭い去れない者。
――真己――
胸中で、もう一度その名を呟く。
あれから三日。もうそろそろ、兄と水那人は来てくれるに違いない。この身と共に、朽ちる為に。
「因果……そう、まさに因果なものね」
ふと、朔はこれまでを思い返す。
真仁を殺した後、陰陽寮を率いる陰陽頭は、賀茂家に嫁いだ吉備真備の娘、由利の子である吉備麻呂が継ぐ事となった。陰陽寮は真仁が望んだ様に、典薬寮から祭祀の一切を奪ったが、しかし陰陽寮そのものは、真仁のものにはならなかった。
その後の千と数百年。そんな刻を、朔は移ろってきた。命などとうにない。いつ失ったかも覚えていない。ただ、今のこの身体が三体目である事だけは憶えている。そんな命とも呼べない年月の中、朔は幾度か真己とセハヤの転生体と邂逅した事がある。
真己は湊の塚守となり、吉備姓を捨て、下道姓に戻した。妻を娶り、子を儲け、七十まで生きた真己は、晩年に編み出した秘術を使って、ただ一つの意志を後世に伝えた。それは、生まれ変わったセハヤを守護し、湊の魂に巡り合わせ、その二人の魂を救う事。
「ふふ……まさか、今生では水那人がそうだったとはね……」
呟く朔。改めて因果というものを考えさせられる。
雅征に子が生まれた時、湊の復活を間近に感じていた朔は、その依代とする為に、その子に水那人と名付けた。だが、それがまさか、真己の転生だとは。そして、セハヤがその幼馴染みの早矢だと知ったのは、つい先日の事。
しかし、今となってはそれも納得出来る。水那人が真己だというのならば、その近くには、必ずセハヤがいる。輪廻の中で、真己はある時はセハヤの母となり、ある時はセハヤの姉であり、ある時はセハヤの隣人であった。蝦夷の血筋にて、生まれながらにして琥珀の勾玉を持つ者。そんな者の傍らに、必ず守護する者として、真己もまた幾度も生まれ変わってきたのだから。
これまで、セハヤの転生を知ることがあったとき、朔は幾度かその者を殺そうとした事もある。だが、その度に真己の転生による妨害を受けた。一度などは、二人諸共に殺した事もある。
しかし、そうするうちに、朔もまた、放っておく事を覚えた。生まれ変わる度に深まる真己とセハヤの絆。そのうちにセハヤが真己を選んでくれるのなら、その方がいい。そう思ったからだ。無論、湊の復活まで刻を要したという事もある。
だが、まさか一番肝心な時に、このような結果になろうとは。
「因果応報……かしらね。皮肉な事……」
湊と真己。二人の魂が合一し、セハヤは愛する者二人を手に入れてしまった。湊を諦める事もなく、真己までをも。
ふと、朔は人の気配を感じた。視線を送ると、昇り始めた赤い月輪を背にして、山道を登ってくる者がいる。
人影は二つ。だが、魂は三つ。
朔は立ち上がり、笑顔と共に出迎えた。この先、結果が望むものでないとしても、これでようやく永い苦しみから解放される。
先日、もう心の内は告げた。あとはただ、因縁の果てを見届けるだけ。




