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一章 鬼塚 三


    ◆ ◆ ◆


 水那人を追い出した早矢は、激しくき込んでいた。この程度、少し癇癪かんしゃくを起こしただけで苦悶にあえぐこの身体。それが早矢には恨めしい。

「なんで……毎日来るのよ……」

 荒い息の中、早矢は呟いた。

 幼い頃のようには戻れないと知った日、早矢の中で何かが変わった。いや、何かが生まれたのだ。

 それは、死への渇望かつぼう。死が救いとなる。そのおもいだけで、早矢は日々を生きている。死ぬためにこそ、早矢は生き続けている。みんなそうじゃないか、と、日々繰り返し早矢は思う。すべからく、生有るものは死へと向かっているのだ。ただ単に、生まれ持った時間に、わずかな個人差が有るというだけの話だ。だから早矢は、死を迎える覚悟はとうに出来ている。いつ死んだとて後悔はない。

 そのはずなのに――

 幼いあの日に倒れてから、これまで毎日見てきた顔が、早矢の覚悟を鈍らせる。

――この夏は乗り切れないかも知れない――

 数ヶ月前、そんな看護師達の噂話が耳に入った時、早矢は見慣れた顔を遠ざける決心をした。心を閉ざし、生意気な事を言って、嫌われようと思った。お前なんか死んじまえ、と、そう言われるくらいに。

 しかし、それでも彼は通ってくる。病を持った当の本人が、すでに投げ捨てた希望をたずさえて。

「残酷なほどの優しさなんて……要らないよ……」

 早矢の頬を、瞳からあふれ出た熱が伝い落ちていく。

 早矢は、ベッドの傍らに据えてある机の上に手を伸ばした。そこには、いつものように早矢の宝物が在る。琥珀こはくでできた、黄色い勾玉まがたま。本当かどうかは判らないが、母親が言うには、早矢が産まれた時に、その手に握っていたという代物だった。

 早矢は勾玉を手に取り、それを胸元で握りしめた。氷の様に冷たく固い感触が、てのひらから伝わってくる。

「早く……楽になりたいよ……」

 その呟きだけが、病室をいろどる唯一の音だった。


    ◆ ◆ ◆


「やれやれ……」

 病院の玄関で、水那人は溜め息をいた。自動ドアの開く無機質な音が、水那人を家路いえじに急き立てているかの様だ。

 と、その時のこと。

「おっと……」

 小さな二つの影が、水那人にぶつかりそうになりながら院内へと駆け込んできた。

 人影を追って振り向いた先で、二人分──計四本の長いツインテールが目前でおどる。

『あ、水那人クンだ、やは~』

 オルゴールの様にひびくステレオ音声と共に、小さな手が二つ、こちらに向けて大きく振られる。

 水那人の目の前には、双子の女の子が快活な笑顔を満面に浮かべていた。

さくらちゃんに、かえでちゃん……」

 まるで悪戯いたずら好きの猫みたいな印象を受けるこの双子は、春路の妹達だ。年は離れているが、春路や早矢同様、幼馴染みと言える存在である。

「むむ、今日のお見舞いは、水那人クンに先越されちゃったみたいだよ、桜ちゃん」

 あかい髪留めの子が、ピンクの髪留めの子に耳打ちする。もっとも、水那人に聞こえる様に言っているのは一目瞭然いちもくりょうぜんなのだが。

「いいよいいよ、楓ちゃん。今日は因果いんがの日なんだから、気にしちゃダメ」

「あ、そっか」

 言って、双子達は、今度は水那人の顔をじっと見詰めてくる。

 ──毎度毎度、この子達がよくワカラナイ──

 水那人は双子に向けた笑顔が引きつっていくのを感じた。

 実は、猫みたいな印象の他に、水那人はこの二人にもっと別な印象も持っている。

『不可思議』というものがそれだ。たびたびこの子達の思考回路が読めない──というのも大きな理由ではあるが、その他に、産まれたその日すら思い出せるこの二人が、たまに、もっと以前からの知り合いであるかのように思えてくる時があるのだ。

 勿論もちろん、春路の妹達である以上、他の友達に持っている以上の親近感も感じている。しかしそれでも彼女達を見ていると、『年下の女の子』という見た目そのまま以外にも、幾つかのイメージが自然といてくる事がある。

 例えば、どういう訳か、年上の男の先輩。

 あるいは近所のオバチャン。

 または大昔の──

「悩んでるよね?」

「うん、悩んでる」

「何でかな?」

「そりゃ、因果律いんがりつがそうさせるんだよ」

 ──ふと気が付くと、またしても双子達が、ひそひそと『聞こえる』声で、ちらちらと水那人を見ながら話している。どうやら最近の彼女達の流行は『因果律』のようだ。

 ──どこで憶えたんだか──

 耳慣れない言葉を発する桜と楓に、苦笑を浮かべた時、

「水那人クン、気を付けなきゃダメだよ?」

 不意に真顔で、ピンクの髪留めの──恐らく桜がそんな事を言った。

「え……?」

「水那人クン、女難の相が出てるからっ」

 そう言ったのは、楓。

「ええ?」

 突然の事に面食らい、当惑とうわくする水那人。だが、

「きゃはっ! んじゃね~っ!」

「春にーの分も、お見舞いするのだ~っ!」

 騒がしくせわしなく、双子達は早矢の病室へと駆けていった。


 小型で強い勢力の双子台風が去っていくと、水那人はふと我に返った。女難。言われなくても分かっている。双子達はきっと、早矢の事を言っているのだ。

 ふと、水那人はついさっきあったことを思い出す。

 今日の早矢の荒れ方は、いつもと違っていた。

 どうすれば、早矢を元気づけられるのだろうか。と、そんな想いが脳裏を巡る。春路の様に、離れた所から見守ればいいのか。それとも、今のままが正解なのだろうか。通えば通うほど、早矢の心は閉ざされていく気がする。しかし、今の自分に出来るのは、ただ早矢のそばにいてやる事だけ。そんな逡巡が、日に日に水那人の中で強まっていく。

「あぁもぅ……どうしたらいいんだよ……」

 頭をきながら見上げた空。それは、いつの間にか黒雲に覆われていた。

「うわ……一雨来るよ、これ……」

 そう呟いて駆け出した直後、それまでの想いを押し流すかの様に、滝のような雨が水那人を打った。

「うひーっ!」

 一瞬で現れる水溜まりを飛び越しながら、水那人は通りを走る。だがしかし、二十メートルほども走った所で、諦めて歩き始めた。全身は既にずぶ濡れとなり、手近なコンビニまではまだ距離がある。そこに着くまでには下着まで濡れているはずだからだ。

 と、その時。背後から自動車のクラクションが鳴った。

「……お?」

 振り向いた先には、見慣れた赤い軽自動車があった。

 小走りに駆け寄ってみると、助手席のウィンドウが開き、その奥に若い女性の顔がのぞく。

「水那人、乗りなさい」

月姉つきねえ! ナイス!」

 車のドライバーに笑顔を送ると、水那人は助手席のドアを開けて乗り込んだ。

「助かったぁ……ありがとう月姉」

「感謝しなさいよ? 探してたんだから」

 ドライバーの女性は、そう言って悪戯っぽく微笑わらう。水色のブラウスと、白いロングのフレアスカートという出で立ちの女性である。

 左肩の前で一つに括った栗色の長い髪。

 穏やかに曲線を描く眉の下には、秀麗な眼差しがある。

 整った顔立ちは、微かなあどけなさと同時に大人の香をもまとい、どこかつかみ所のない性格と相まって、彼女という存在を魅力的に仕上げていた。

 下道月子しもつみちつきこ。彼女はこの町でも古い家柄である下道家の本家筋の娘で、水那人の従姉いとこである。

「探してたって……俺を?」

「ええ。大叔母様おおおばさまがお呼びなの」

「ふぅん……どうしたんだろ」

 れて冷えた二の腕をさすりながら、水那人は疑問を呟いた。月子の言う大叔母とは、名実共に下道一族の長老である。大長老と言っても過言かごんではない。それだけに、一族の者から崇敬すうけいされる存在でもあるのだ。

「声が聞きたくなったんだって」

 エアコンを弱めにしながら、月子は言った。

「なんだ、それだけ」

 水那人の素っ気ない物言いに、月子は呆れ顔で一つ溜め息を吐く。

「それだけって……まったく、呼ばれなくても、たまには顔出しなさいよ。キミが一番可愛かわいがられてるんだからね?」

 とがめる様に言いつつも、月子の呆れ顔は一瞬で消え失せ、直後には柔らかな微笑みが浮かんでいた。

 大叔母もそうだが、月子もまた、水那人を弟のように可愛がっている。昔、訳あって母親の実家で暮らしていたそうで、月子と初めてったのは、水那人が小学校に上がる少し前だった。

 その時の気持ちは、今も忘れてはいない。水那人に兄弟はなく、それだけに姉ができた様で、嬉しく思った事を。そして、ほのかに芽生えたもう一つの気持ちも。

 水那人は月子の横顔に視線を送る。今は二十代半ばのはずだが、月子は初めて逢った時と変わらず、いや、肌などはその時よりもなお、瑞々しく美しかった。

「……なぁに?」

 ふと視線が合い、水那人は慌てて前を見る。

 くすっ、と、月子が笑った様な気がした。

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