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五章 想い 四

    ◆ ◆ ◆


 次にセハヤの気が付いた時、そこは森の中だった。

 広大なブナの森。

 時は既に夕刻となり、清涼な夜気が周囲に注ぎつつある。

「み……な、と……」

 憔悴しょうすいしきった想い人のかおが、セハヤの目の前には在った。

 横たわるセハヤの傍らで、湊はセハヤの顔を覗き込んでいる。

「済まぬ……セハヤ、済まぬ……我の落ち度だ……」

 どれだけ自分を責めたのだろうか。この人は……。

 そう、セハヤは思った。

 知るほどに愛しくなる、湊の実直な性格。

「ううん……」

 セハヤはかぶりを振った。既に身体に力は入らず、首を動かすのも辛い。しかし、セハヤは否定する事で、愛しい人の苦痛を和らげてやりたかった。

「勾玉より、はくを戻した。なのに何故……治らぬ……」

 湊の言葉に、セハヤは納得できた気がした。鬼神の如き十支族とて、血を流せば衰弱する。それが過ぎれば死をも迎える。決して、不死身という訳ではないのだ。だが、この刻まで息が有ったのは、湊がセハヤに魄を戻したからに他ならない。

 セハヤは辛い息の中、おもむろに口を開いた。

「心配……いらね……おれなら……大丈夫……だぁ」

 このくらいの傷ならば、以前にも受けた事があった。力が戻っているのならば、ほどなく傷は塞がり始める。血を失ったせいで意識はぼやけてはいるが、どうにか生き延びられそうだ。それに、何より湊が傍にいてくれる。身体は辛いが、セハヤはそれだけで癒される思いがした。

「済まぬ……我は呪禁師じゅごんしだ。本来ならば傷を禁じ、身を癒すかてとする事ができるが……しかし、魂魄の均衡きんこうが崩れているそなたには……下手に使う事が出来ぬ……」

 悔しそうに、湊は言った。

 イサクならば理解する事も出来るのだろうが、術の事は、セハヤには良く分からない。

 しかし、湊がセハヤの身を大切に思ってくれている事だけは理解できた。だがそれだけに、自分を責め続ける湊を見ているのは辛い。

 セハヤは湊を安心させる為に微笑んでみせると、口を開いた。

「湊にも……妹がいたのけ……」

 湊の気分を変えられればと、口にした言葉。だが、セハヤは直後に、考え無しに言った事を後悔した。湊の貌が、さらに深く曇っていたからだ。

「あのような……あのような、酷薄こくはくな娘ではなかった。朔は……」

「……余計な事……訊いてしまったなぁ。ごめん……湊……」

 いや、と、湊はかぶりを振った。

「そなたと共に征東軍から抜け出した理由……実は、もう一つあるのだ」

 ふう、と息を抜き、湊は生い茂る梢を見上げた。

「我を追って、朔は戦場いくさばに来てしまった。……だが、我は朔が人の命を奪う事は望まぬ。ならば……我は、戦場から姿を消すしかないと……そう思ったのだ」

 湊の言葉はどこか、他に何かを含む様にセハヤの耳には聞こえた。

 しかし、セハヤにはそれを追求するつもりはない。色々と複雑な事情があるのだろうが、湊がセハヤを必要とするなら、いずれ聞ける事だろうと思った。

「おれが……いるから……」

 セハヤは、ようやく力が入る様になった右の手を、湊の頬に添えた。無精髭のざらついた感触が、掌に伝わってくる。

「ああ……」

 湊はその手を取ると、優しく両の手で握った。

 セハヤは安心した。ようやく湊が微笑んでくれたから。

 と、不意に、


「ここにおったか」


 どこからかかけられた声と、武具の擦れ合う音が辺りに響いた。

 刹那、湊は顔を上げ、一点に目を向ける。

「兄……上……」

 驚きを含んだ声が、湊の口からこぼれた。

 セハヤもまた、頭をもたげて視線を送る。その先には、大和の兵を率いた、年の頃三十過ぎの方士の姿が在った。

「都にいるはずの貴方あなたが何故……」

 握っていた手を離し、湊は立ち上がって身構えた。

「抗うな!」

 ただ一喝いっかつ。それだけで、時が止まった様だった。

 セハヤの全身が粟立あわだつ。この男は危険だと、セハヤにもすぐに分かった。

「聞けませぬ! 既に我は大和を捨てた身! 今はこの身に換えても、このセハヤヒメを殺させはしませぬぞ!」

――早く……動ける様にならなければ――

 セハヤの中にあせりが生じた。まだ弱々しい身体。この身体がまともに動くのならば、この包囲を脱する事も不可能ではないはずなのに。

「朔は、良く働いてくれておるようだ……」

 冷笑と共に微かな満足を浮かべ、方士はセハヤを一瞥いちべつする。

 ぎり、と、湊の口許からきしみが漏れた。

「……そういう事か……朔をけしかけたのは、兄上……」

「それは違うぞ、湊よ。あれは既に気が触れておる。目の前で蝦夷に母親をなぶり殺しにされ、背の皮を剥がされたというその時からな。我は、朔が望みにほんの少し助力したに過ぎぬ」

「言うな!」

 突如、湊が激昂げっこうした。

「よもやこのような運びとなるとは思いもよらなかったが、しかし全ては朝廷の意志。従わぬと言うならば……」

「黙れ真仁まひと! ならば押し通るまで!」

 そう湊が叫んだ刹那の事だった。方士――吉備真仁の両眼に、妖しい色が浮いた。

 その刹那――

 真仁の兵四人が、電光の如き速さで、手に持った矛を湊の四肢に突き立てていた。

 セハヤには、その速さはまるでセハヤの同族と同等か、それ以上に思えた。真仁の兵は、明らかに尋常なものではない。

しきノ……神か……」

 苦痛に呻きながら湊が漏らした言葉が、その正体を言い当てていた。

「捕らえよ!」

 真仁の命で、兵達は一斉に湊とセハヤに群がってくる。

 それは、セハヤと湊の運命を決定づけるものだった。

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