五章 想い 三
イサクの背後に、霧の様に現れた一人の少女の姿が在った。浄衣に身を包んだ、方士の様な風体。彼女の周囲には、剣の形に連なった符が、幾本も踊っている。
「朔っ!」
その存在に気付いたか、湊の声が響いた。
と、それと時を同じくして、
「イサクっ!」
セハヤは、目の前の少年に覆い被さった。
刹那、
「あぐっ!」
セハヤの背から胸にかけ、熱い物が貫いた。
蝦夷の戦士が少女に気付く。
しかし、気付いたその時には、彼らの数は半減していた。
上下左右。半身を分かたれた戦士達の身が虚空に踊る。
「セハヤああぁぁっ!」
それは、怒りと憤りを帯びたものか。湊の叫びが響く。
「ひ、姫……」
狼狽するイサクの声が耳に届く。
最中、セハヤの喉を、血の臭いが遡ってくる。
「かふっ……」
咳と同時に、血の塊が口から漏れ、イサクの額を、それが深紅に染め上げていく。
「持節征東将軍の命にて、お迎えに参じました……兄様」
不意に、凛と響く、美しい声が聞こえた。
次いで場を満たすのは、無骨で無粋な、武具の擦れ合う音。
周囲に視線を巡らせると、いつの間にか、この場は大和の兵によって囲まれていた。
「なぜ……朔、お前が……」
少女と相対する湊の声は、狼狽える者のそれだった。
「兄様に取り憑いた悪鬼……私が祓って差し上げます」
「なぜ……セハヤ……を……」
湊の声に、怒りの色が滲んだ。
「これは異な事を……元々、朝敵なのですよ?」
輝く様な無垢な笑顔で、少女は言った。
刹那、蝦夷の戦士が一人、少女に撃ちかかった。
「ええい! 無粋な!」
複数の符剣が戦士の打撃を受け、いなしていく。
羅刹の如き蝦夷の戦士と、少女は互角だった。
その周囲では、蝦夷の戦士と大和の兵の戦いが始まっていた。
「お、のれ……」
セハヤの下から、少年の怨嗟が響いた。
「イ、サク……怪我は……?」
喉から遡る血で、セハヤはそれだけを訊くのが精一杯だった。四肢からは、次第に力が抜けていく。
「怪我はねぇす。したっけ、姫……姫が……」
「良……かった……」
セハヤは荒い息を吐きながら、上体を起こした。ただそれだけの事で、体力が激しく失われていく。セハヤはそのまま、傍らの木に身体を預けた。視線は、少年へと向けたままで。
セハヤは安堵した。本当に怪我が無かったか、自身の目で確かめたのだ。
「姫……くっ」
イサクは立ち上がり、湊に視線を送った。
湊もまた、自身を捕縛しようとする方士二人を相手にしている。
「ヘライの王に仕えし……大公爵……我に……応じて……姿を現せ……」
憎しみの籠もった少年の声。
『がっ! ああああぁぁぁぁっ!』
刹那、湊を囲む二人の方士が炎に包まれた。
「吉備湊! 何をしている! 姫を連れて逃げろ!」
言って、イサクは湊の元へと疾駆する。
大和の方士達は落命した訳ではない。炎の中で符を翳し、鎮火を試みている。
「済まぬ!」
そんな、切羽詰まった湊の声が聞こえた様な気がした。




