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一章 鬼塚 二

   ◆ ◆ ◆


 物静かな三階の白い廊下。その床には、数本の色とりどりのテープが延々と続いている。その中の水色に沿って、水那人は進んでいく。人気のない廊下には、ただ水那人のスリッパの音だけが響いていた。

 午陵市立総合病院。それが、この施設の名称である。

 水色のテープの先、入院病棟の一角に、水那人の目指す部屋は在る。

 ナースステーションの前で軽く会釈をし、更に進んだ廊下の一番奥に、その部屋は在った。二人用の病室でありながらも、入り口の横には、『秋田早矢あきたはや』と、一人分の名前だけが書かれている。

 締め切られたドアを、水那人はノックする。が、いつものように返事はない。返事はないが、彼女はそこに居る。それを水那人は知っている。

「入るよ」

 一言それだけを言って、水那人は病室のドアを開けた。

 白で統一された室内に、二つ並んだベッド。二つのベッドの間には、二台の医療機器がえられている。そして、機器の向こう側――窓側のベッドの上に、上体を起こした彼女は居た。

 肩下で切りそろえた黒髪を、左右共に頬の横で束ねた小柄な少女だ。

「毎日毎日……きずに来るわね」

 とげを含んだ声が水那人を出迎えた。

「日課だから……」

 苦笑を浮かべつつ、呟く様にそう返す。

 そんな水那人の声にも、窓の外を見たまま一瞥もくれない少女。それが、もう一人の水那人の幼馴染みなのだ。

「頼まれてた雑誌、買ってきたよ」

 言って、水那人が鞄から紙袋を出すと、少女はようやくその顔を向けた。

 白磁はくじの様に白い肌。

 細く優美な眉。

 薄桃色の唇。

 切れ長の眼差しは端がやや上がり、含んだけんは、しかし彼女の典麗てんれいさを引き立てている。

 秋田早矢。春路と同じ姓の彼女は、春路の従妹いとこでもある。水那人と春路よりも一つ年下の彼女とは、幼い頃、毎日のように三人で遊んでいた。

らない」

 手土産を一瞥いちべつしただけで、突き放すように早矢は言った。紙袋も開けずに、要らないと言う早矢。

「あれ、間違ってた?」

 そんな彼女を見ながら、しかし水那人はその表情を変えはしない。それは、慣れてしまった事だからだ。ここ数ヶ月、早矢はずっとこんな態度を水那人に見せているのだ。

「間違うも何も、頼んだ覚えなんかないよ」

「そうだっけ?」

 水那人は頬をいた。この雑誌が欲しいと、早矢は昨日、確かに言ったはずなのだが。

「そうよ」

 再び早矢は、つまらなそうに窓の外を見やる。

 そんな彼女の様子に、水那人はいつものように、胸の奥に微かなうずきを感じた。

 早矢の視線がとらえている風景は、この九年近く、ほとんど変わってはいない。男の子に負けず、活発だった早矢。しかし、長い闘病生活を経た今の彼女に、その頃の面影はない。

 小学校に上がった頃、早矢は心臓をわずらった。今となっては車椅子が必要なほど、弱々しい彼女の心臓。それを治せる医者は、どこにも居なかった。原因不明だというのだ。成長を重ねながらも、早矢の心臓は日々弱っていく。それでも、彼女はこの歳まで生きてきた。最新の医療機器のおかげで。今も早矢の両腕からは様々な管やコードが伸び、かたわらの医療機器とつながっている。

 彼女の死期は、傍目はためにも見えるほど近づきつつあった。

「じゃあ、欲しいも……」

「何も要らない」

 水那人の声をさえぎり、早矢が言う。

「そっか……」

 水那人は言葉を無くし、早矢の傍らに円椅子まるいすを置いて腰掛けた。

 部屋を満たす静寂せいじゃく。水那人の日課がそこには在る。

「ねえ、水那人……」

 不意に、早矢がつぶやいた。その視線は、相変わらず窓の外を見ている。

「なに?」

「欲しいもの……一つだけ、あるよ……分かる?」

 早矢は振り向いた。問いかけた早矢は、うっすらと笑みを浮かべていた。それは、いつものように水那人を見下みくだし、からかう笑みではない。何かに耐えるため、作ったものの様な、そんな笑みだった。

「えっと……なんだろう。俺が買えるものなら、買ってくるよ」

 そう言って、水那人が微笑ほほえんで見せた刹那、

「……帰ってよ」

 早矢の顔から笑みが失せ、替わりに険が浮いた。

「あぶっ!」

 雑誌の袋に手を伸ばし、早矢はそれを水那人の顔面に叩きつけた。

「帰れ! もう二度と来るなバカ水那人!」

「なっ、ちょっと、ごめん、どうしたのさ早矢っ!」

「帰れっ!」

 手近に在る、あらゆる物を投げつける早矢。

 水那人は訳の分からぬままに、部屋から追い出される羽目はめになった。

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