五章 想い 一
浜風が、潮の匂いを穏やかに運んでいた。
もうじき、この北国にも梅雨が訪れる。
行く宛のない二人にとって、それは夏の予兆であると共に、この先の命運を暗示しているかの様にも思えた。
だが、それでも海は、穏やかに二人を迎えてくれている。
果てしなく広がりゆく、青空と共に。
「待たせたな、セハヤ」
浜人から魚を分けてもらった湊が、木陰で火を焚くセハヤのもとへと戻ってきた。
笹をエラに通した四尾の魚を、セハヤは湊から受け取る。
「したら、焼くか。なんだか魚も久しぶりだぁ」
くぅ……。
言った傍から、セハヤの腹が鳴った。
「あ……」
セハヤは、自らの頬が上気していくのを感じた。
「ははっ、きっと美味いぞ」
言って、湊が優しく微笑む。
「……うん……」
セハヤは半ば無意識に、指先で自らの唇に触れる。湊と唇を重ねたこの朝から、セハヤの中で何かが変わった。それまで気にしたこともなかった事が、妙に気になってしまう。きっと、あの時に、湊は自分に呪いをかけたのだとセハヤは思っている。
「ん……どうした?」
耳に届いたそんな呟きに、ふと気付くと、セハヤは湊の顔を見詰めていた。
だが、どこか照れくさそうに、湊が視線を外す。
知らず、セハヤは微笑んでいた。
――これが呪いなら――
そんな思いが、過ぎる。
大和の方士、吉備湊。戦に疲れた、一騎当千の男。
殺したいと思っていた筈だった。この男のせいで、数多くの仲間が黄泉路へと旅立ち、広大な土地を奪われたのだから。
だが今は、まるで真逆の感情を目の前の男に抱いている。
切なく湧き起こる、
暖かく、
柔らかく、
そして、力強い感情。
似た様な感情を、昔、兄であるタケミカヅチに対して抱いていた事もある。しかし、これはそれに似て非なるもの。セハヤが初めて抱く感情であった。
共に暮らそう、と湊は言った。それだけではない。
美しい、と、
心奪われた、と、
湊の言葉の一つ一つを、セハヤは忘れられないでいる。
「湊……」
魚を串に刺しながら、セハヤは呟いた。
「どうかしたか?」
「おれの……ずっと……傍に、居てて……けれな」
震える声で、セハヤは言った。頬はもう、それ以上ないほどに上気している。呪いでもいい、と、セハヤは思う。今感じているこの気持ちが、このままずっと続くのならば。
ふと、包まれる様に抱かれるのを、セハヤは感じた。優しく、しかし力強く抱き締める腕。頬に感じる、広い胸。
「セハヤ……我が妻に……なってくれ」
耳元に囁かれたその言葉に、
「……うん……」
セハヤは、微かに頷いた。




