四章 今は昔 四
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怨霊に身を委ねても、水那人の意識はまだ残っていた。
それは、ひたすらに不可思議な感覚。
まるで、幾重にも重なった硬い殻に覆われている様に――その隙間から、覗いているかの様に、水那人は小さな視界のみを得ていた。
ただ、それでも五感は残っている。
肌に触れる夏の夜気の蒸し暑さ。
鼻孔へと漂う、護摩壇の薪の焼ける臭い。
耳に届く、伯父と従兄が紡ぐ修法の文言。
最中、水那人の身体を呪縛る鉄の鎖は麻糸の様に――
「阿龍! 吽龍!」
――何者かを呼ぶ叫びの前に、砕けて飛散した。
水那人を中心に、瘴気が風を巻いて広がり去っていく。
瘴気に吹き飛ばされ、意識を失った伯父と従兄の和征。音を響かせて護摩壇は崩壊し、周囲の木々は、瘴気によって幹が爛れていた。
と、それと時を同じくして、次第に、辺りに霧が立ち込めていく。気温は急激に下がり、一転して震えるほどの寒さを水那人は感じた。しかし既に、水那人は指の一本をも動かす事が出来ないでいる。
そして、その口は勝手に開き、
「急急如律令! 我が身を運べ!」
霧の中へと、命令を発した。
刹那、霧に巻かれた水那人の足許から、何かがその身を現出させた。浮き上がっていく水那人の身体。地面から姿を現したのは、巨大な白蛇の頭だった。
――蛇? いや、こいつらは――
水那人の二本の足を、大地の様に支える二つの蛇頭。しかし、それは大蛇と呼ぶ事も叶わない、異形の存在だった。蛇身にして、四つ足を持つ妖物。龍とも呼べず、蛇とも言えず。蛟と呼ばれるそれが、怨霊が呼び出した眷属の姿だった。
水那人の身は、蛇頭に支えられて中空へと舞い上がる。
目指すは、ただ一つ。午陵市立総合病院。
早矢の、その傍へ。




