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三章 羅刹とその裔 五


    ◆ ◆ ◆


 気が付くと、病院の屋上で、早矢は夜風に身をさらしていた。

「……私……?」

 早矢は小首をかしげた。

 いつ、どうやってここまで来たものか。病室からここまでの記憶がないのだ。

 しかし早矢は、

「……ま、いっか……」

 そう呟いて、この問題を一蹴した。

 今さら夢遊病になろうとも、ほどなくついえる命であるなら、さして気にするには値しない。大方、昨日から多くなっている考え事のせいだろうとも思う。

 それに、実に久しぶりに、今夜は体調が優れていた。まるで、ごく普通の健康を取り戻したかの様に。それだけに、小さな事にわずらわされるのも、何か損な気がした。だが、体調とは裏腹に、早矢の表情は暗い。

「……どうして……今日、来なかったんだろ……約束、したのに……」

 ふと零れた呟きに、思わず口を塞ぐ。早矢は自分自身の言葉に驚いていた。

「あは……何言ってんだろ、私……」

 思わず早矢は苦笑する。

「きっと、具合悪くて……じゃなくって!」

 更に言葉を重ねて、かぶりを振った。

「来ないなら、それでいいじゃない。……そう、望んでたじゃない……」

 自らの胸の内に抗う様に、早矢は天蓋てんがいを仰いだ。それは、とてもうつむいてはいられなかったからだ。双眸そうぼうから溢れ出そうとするものを、押し留めていたかったからだ。

「水那人……なんで、あんな事したのよ……」

 抱き締められた時の、あの優しい温もりを、早矢はどうしても忘れられなかった。それはまるで、遠い昔からそれを知っていたかの様な、これまでの人生で一番心安らいだ包容だったから。

「……なんて事……してくれたのよ……」

 心の中から切り捨ててしまおうとしていた存在――のはずだった。だが、今となってはもう、そんな事は考えられなくなっている。

「水那人……」

 胸を満たすその人の名を、早矢は呟いた。

 昨日から、早矢の望みは変わってしまっていた。

 残された時間は少ないというのに、大きな苦しみを抱えてしまった。

 死への恐怖を、感じる様になってしまった。

「……私の……そばに、いてよ……」

 呟くと同時に、早矢の目尻から、熱いものが頬を伝い落ちていく。

 キン、と、鋭い音を立てて、琥珀こはくの勾玉が早矢の手から落ちる。身体から力が抜けていく様に、体調が、再び元に戻っていく。早矢は星空を見上げながら、その場にくずおれ、倒れ伏した。


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