一章 鬼塚 一
夏。
海と、そして鎮守の杜に覆われた小高い丘の風景がそこには在った。その丘の麓までは、ゆったりとした刻の流れる、閑静な住宅街が広がっている。
碁盤の目に整地されたこの街――午陵市は、さほど人口も多くなく、住みやすい街だ。
遠く霞んだ青空と、照りつける夏の日射し。蝉の声は街中いたる所で響き、学生達には、もうすぐ始まる長い休みの呼び声にも聞こえていた。
そんな中に、家路を歩く二人の男子高校生の姿が在る。
「あちーなぁ~……よぅ……水那人ぉ……」
半透明に張り付いた白い開襟シャツの背を丸め、隣を歩くの友人の態度に、下道水那人は苦笑した。友人と比べ、水那人は元々線の細い少年である。整ってはいるものの、顔立ちもどこか頼りなげで、それだけに、彼には苦笑という表情が良く似合う。
「って言ってもさ、しゃあないじゃん。夏なんだから……ところで春路。夏休みの予定、決まった?」
秋田春路。それが水那人の友人の名である。
小柄な水那人とは違い、背が高く、精悍な顔立ちと相まって体格も良い。見た目通りスポーツ万能で、これといった部活には所属していないものの、体育での活躍は校内でも有名だった。
「特にねぇけどさ……お前は部活だろ?」
目を細め、犬の様に舌を出しながら、春路はそう応えた。
「まぁね。今週はテスト休みだけど」
言いつつ、水那人は弓を引く真似をする。水那人は、弓道部に所属しているのだ。
「まさかとは思うが、合宿とかあんのかよ? 文化部のくせに……」
いひひ、と、春路は小馬鹿にしたように笑う。
「文化部って言うな!」
憤然と詰め寄る水那人。水那人だけではなく、弓道部員の文化部扱いは禁忌なのだ。
春路は距離を取る。
追いかける水那人。
春路は駆けだした。
「いひひひひっ! 文化部文化部……」
「う、ん、ど、う、ぶ、だっ!」
他愛のない、いつものじゃれ合い。
水那人と春路は、物心ついた時からこれまで、ずっとこんな付き合いをしてきた。
だが、今と昔とでは、足りないものが一つある。それは水那人と春路にとって過去との決定的な違いであり、同時に、二人にとって大切なものでもある。
「うえぇ……あっつう……ちくしょ~……水那人のせいだ……」
「な、なんでだよ……」
頭に滲む鈍痛と、回り始める視界。そしてふらつく両足。猛暑の中で全力疾走した事を悔やみつつ、二人はよろめきながら言葉を交わす。
「……ところで……今日も行くのかよ」
手の甲で汗を拭いながら、春路は水那人に訊いた。
「うん……春路も行く?」
「……いや……俺はいいや。暑いしな」
水那人の言葉に、春路は視線を落とした。微かな当惑が、彼の貌には在る。
「そっか……じゃ、俺だけで行くよ……」
水那人は苦笑して見せた。どうしていいのか分からない。そんな春路の気持ちを、水那人は誰よりも知っている。
「じゃ、早矢によろしくな」
分かれ道で、春路はそう言い残して去っていった。
水那人は頬の汗を手の甲で拭いながら、少しの間春路の背を見送ると、本来の通学路からは外れた道を進んだ。




