表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/55

二章 心二つ 五


    ◆ ◆ ◆


 夏の暑い日射しが、いつにも増して水那人には辛かった。

 夕刻の通学路。昼間の噂はすでに校内中に知れ渡り、近くを歩く同校の生徒達は、友人達と共にひそひそと話しながら、水那人に視線を投げかけていく。

 あの後、校長室に呼ばれた水那人は、その場で無期限停学を言い渡された。処分が即刻下された理由としては、自他校の生徒とのケンカなどではなく、生活指導の教諭に手を出した事が最大の理由だった。弁解の余地など無い。そういう状況であったからだ。

 しかし、それでも水那人は、その事については気にしていない。通常の状態であったなら、頭を抱えて反省したのかも知れないが。

 いや、そもそも通常の状態であったのなら、こんな状況に陥っているはずがなかった。柔道場の時と比べ、幾分収束しゅうそくしつつはあるが、水那人と怨霊との、身体を巡る支配権の争奪は未だに続いていた。

 重い頭。

 辛い身体。

 水那人は足を引きずる様にして、しかしそれでも、日課のために病院へと足を向ける。

 早矢の顔が見たい。早矢はやのためではなく、自身のために。そして、どういう訳か、誰かを救える気がして。

 なぜか、今はそういう気分だった。それは、怨霊の発現と共に、胸の奥から湧き上がってくる気持ちでもある。

 危険は承知している。先刻、教諭に振るった暴力を、早矢に向けてしまう可能性もある。

 だが、どうしてだろうか。早矢に会う事で、何かが好転しそうな予感があった。

 早矢のそばに寄らなくてもいい。ただ、彼女の姿を遠目にでも見られれば。

 抗いがたい自身の心。早矢の事を想えば、それは明らかに間違った選択であるにも関わらず、しかし水那人は何かに導かれるかの様に、歩を進めていく。

「早矢……」

 しばらく見ていない幼馴染みの笑顔を、水那人は脳裏に思い浮かべた。


    ◆ ◆ ◆


 病室で、早矢は相変わらず窓の外を見ていた。

「早矢……」

 病身の少女に、その傍らの円椅子に座る少年の声が届いた。それはまるで、少女以上に病んだ者の様な声だ。

 そんな声の主は、Tシャツとカーゴパンツに身を包んだ少女の従兄、春路である。

「……どうして死んだの……? 千夏ちなつちゃん……」

 表情を変えず、早矢は訊いた。

 テレビも無い病室。それだけに、外界の情報を知らない少女。

 春路は、早矢に親族の死を伝える役目を自ら買って出た。別に、伝える必要は無かった。知らずに、そう遠くなく早矢がくのなら、それもいいと思っていた。それを思っていたのは、春路だけではない。早矢の親類縁者は、皆そう思っていた。

 しかし、

「……事故だってよ。今夜、通夜つやがあるんだ」

 他人の死で、あるいは早矢の心に何らかの変化が出はしないかと、春路は考えていたのだ。

「ところで……今日は、水那人のヤツ来てないのか?」

 病室の窓から差し込むかたむき加減の陽光。部活は今日も無いはずで、それならばすでに顔を見せていてもおかしくはない。

「来なくていいよ」

 相変わらず無表情のままで、早矢は言った。

「なんだよ、お前らケンカでもしたか?」

 からかうように、春路が言う。しかしそれに対し、返ってきたのは重苦しい沈黙。早矢は、何も答えなかった。

 春路は、頭をいた。

「あいつ……お前の事、心配してんだぜ?」

 そう言ったところで、従妹が何と言うのか予想はつく。

 刹那、早矢の肩が震えた。時間にして、そう長いものではない。しかし、確かに、早矢は肩を震わせていた。

「……心配してもらって、この身体がどうにかなってくれるなら……いくらでも、心配して欲しいよ……でも、春路だって知ってるんでしょ? 私が……この夏を、乗り切れないんだって……」

「そ、そんな事ねーだろ。誰が言ったんだよ?」

 春路は、動揺を隠すのに必死だった。早矢がその事を知っているとは、思ってもみなかったからだ。

「看護師さんが話してるの、私、聞いたよ……私に気付いて、笑って誤魔化ごまかしてたけど……」

「違うって。誰か別のヤツだよ、それ」

 苦笑する春路に、早矢はようやく視線を向けた。

「別のヤツって……誰よ?」

 光が無く、どこか虚ろな早矢の瞳。それはまるで、酷薄こくはくな運命を受け入れてしまっているかのように見える。

 だがそれは、決して納得なっとくずくで受け入れているものではない。受け入れなければ心が壊れてしまうから……抗う事など出来はしないから、受け入れているだけの事に過ぎなかった。

「わ、分かんねーけど、この病院、結構デカいだろ? この夏乗り切れねえヤツなんて、一杯いるよ……」

 狼狽うろたえながらも、春路はそう言った。

 しかし、

「私も……その中の、一人なんだよ……」

 今にも泣き出しそうな早矢の顔に、春路は、次の言葉が浮かばなかった。

 沈黙が、病室を満たしていた。何かを言わなければ。春路は、必死で言葉を探す。早矢という存在のために、春路にとっても死という事象は身近なものだった。そのお陰であるのか、はたまた心が麻痺まひしているだけの事か。千夏という従姉や、その両親を失った今でも、どこか冷静な心が春路にはある。

「俺、帰るけど……お前、あんまりヤケになんなよ?」

 春路は、深く息を吐くと、そのまま席を立った。

「……もう、死ななくていい身内が死ぬのは、やだかんな……」

 入り口に向かうため、春路は早矢に背を向けた。

 その直前の、早矢の顔が目に焼き付いていた。

 それは――

 必死に、

 ただひたすらに、

 涙を流すまいとする従妹の顔だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ