第四話:選択
『推理したくない』
「な……」
一瞬、クロの言葉の意味を理解することが出来なかった。
当然だ。何故クロがそんなことを言い出すのか、皆目見当がつかない。推理は、クロにとって呼吸をするのと同じくらい当たり前で、大切なことの筈なのに。
なんでだ? どうして推理を嫌がる? いつもと違うところなんて特に……。
いや、一つだけ。一つ、大きな相違点がある。
「――『学校』?」
まさか、学校だからなのか? そういえば、石橋のプリクラを一年前のものだと当てたとき。あのくらいの推理ならいつものことだ。
でも、そのときのクロの反応はどうだった?
僕は自分の記憶を辿っていく。幸い、すぐ思い出すことが出来た。そう――石橋が死ぬ直前。
クロはプリクラを去年のものだと言ったあと、はっと口をつぐんで、目線だけで素早く周りを見回したんだ。
あの時は、挙動不振な奴だと思っただけだったが、あのときクロは明らかに何かを気にしていた。推理することと関連する、何かを。
ということは、僕の知らないクロの過去――小学校時代に何か関係があるんだろうか。
「南田!」
クロと同じ小学校だった南田なら、何か知っているかもしれない。
「どうした?」
「クロ……氷鉋について、知ってることを教えてほしい。小学校時代に何があったんだ?」
「何があったって言われても……」
南田は暫し黙って考えこむ。そして、ふっと何かに気づいたように顔を上げた。
「嫌がらせを受けてたな。池崎とかから」
池崎。そういえば、こいつもクロと同じ小学校出身だっけ。不良の池崎と、クロ……。関連性がわからない。直接訊いた方が速いな。
「池崎」
「うわっ!」
後ろから近寄って話しかけただけなのに、池崎はすごく驚いた声を上げた。
「な、なんの用だ」
「氷鉋黒羽と同じ小学校だったよな?」
「は? それが俺に何の関係があるんだよ」
「氷鉋に嫌がらせをしてただろう? なんでやったんだ?」
池崎は再び、は? と間抜けな声を出した。
「いいから」
僕は池崎を睨むようにして先を促す。相手は不良だというのに、我ながら大した態度だ。
更に距離を詰めようと、じり、と体を動かす。
「寄るんじゃねえよ!」
「言ってくれたらどこへでも消えるさ」
池崎の反応は少し異常だったが、今は都合がいい。
「……氷鉋はチクりだったんだよ」
「チクり?」
その言葉は結構な予想外だった。チクりって、生徒間の悪ふざけを先生に密告したってことか?
「例えば誰かが花瓶を割ったとすると、いくら隠そうとしても、必ず犯人を当てやがるんだよ」
「……」
――ああ、そうか。
クロは、当時から既にどうしようもないほどに『探偵』だったんだ。謎を見つけると解かずにはいられない、いや、解くことが当たり前――そんな性質の。
クロは謎を見る。そして、『黒猫』の頭脳をもってしてそれを解く。
ここまでは何ら問題のない、クロにとって当然の流れ。ただ――この後。<謎解きの答えを誰に教えるか>が問題だったんだ。
おそらく、まだ小さかったクロは、自分の内に答えを秘めておくことが出来なかったんだろう。それとも、周りが答えを望んでいるのに、わざわざ隠す必要はないと思ったのかもしれない。
とにかく、クロは答え――犯人を他人に教えてしまった。
多分、先生はクロのことを褒めただろう。だが、生徒は違う。犯人側なら尚更だ。
そうして、池崎達の嫌がらせに発展した――。
「……」
僕は一つため息をついた。
そういう経緯があって、クロは学校で推理することを怖がるようになったんだろうな。
推理することだけじゃなく、学校に行くことさえも――。
「それじゃ、どうも」
僕は池崎に軽く手を振った。と、池崎が顔をひきつらせる。
「……あ」
さっきから一体なんなんだ、とてのひらを見て気づいた。ほんの少し、石橋の血が付いていたのだ。さっき石橋の脈を確かめた時にでも付いたんだろう。
なるほど、池崎は血だとか死体に怯えていたわけだ。不良と言われているとはいえ、こういうところは普通なんだな……。
「……だよ、お前」
「え?」
「なんなんだよお前! 殺人事件が起こったんだぞ!? 人が! それも同じクラスの人間が死んだってのに、なんで平気な顔して氷鉋のことなんか訊いてんだよ!」
僕は、自分でも驚くほどの冷たい目で、池崎を見た。途端、相手が怯むのがわかる。
別に平気なわけじゃない。
でも、仕方ないんだ。そういう体質なんだから。
事件を呼び寄せて、遭遇してしまう――まあ、そういうことだ。
だから――完全に慣れてしまったといえば嘘になる。
もう割りきったなんて台詞は只の強がりだ。
だけど。だけど僕は、もう怖がったりしない。
僕にはクロのように、事件を推理する能力はないし、事件に出くわしても何もすることが出来ないけれど、怖がって出来ることもやれずにいることはもうしない。
そして、今僕に出来る唯一のことは――クロに発破をかけることだ。
「……クロ」
相も変わらず無言だったが、クロは頑に推理することを拒んでいる。
「僕が代われるなら、とっくにやってる。だけど、こればかりは無理なんだよ。お前じゃないと出来ないんだ」
もちろんクロが推理を嫌がる理由は、過去のことだけじゃないだろう。
だって、犯人はあの三人――遠野と三船、そして南田の中にいるだろうから。
僕ら今日、石橋とほとんど一緒に行動していた。そして、遠野菜子、三船ゆかり、南田あつしも同じく。
それだけじゃない。全員、友達なんだ。
クロの最初の、友達。
「このままじゃ……石橋があまりに浮かばれない」
「――」
クロの表情が、わずかに揺れた。
僕は今ずるいことをした。石橋だってクロの最初の友達だ。石橋の名前を出せば、クロの気持ちが揺らぐと、それをわかっていて。
けれど、その時僕は、何がなんでも犯人を見つけ出さねばならないと思っていた。石橋のためにもそうしなければならないと、そう、思っていた。
お互い黙ったまま、長い長い静寂がその場を満たす。
「……わかった」
「!」
その言葉は唐突で、クロが返事をしたのだと気づくまでに多少の間があった。
「思考の材料があと少し足りない。手掛りがもう少し必要なの。今日あったことを朝から手短に説明してくれる?」
「あ、ああ」
完全に、『黒猫』のスイッチが入った。僕はクロに説明するため、朝の様子から順番に今日のことを思い出す。
「ええと……。まず教室に入ると三船がいたな。そして、遠野と石橋の朝練を見に行って……部活が終わって教室に戻るときに、石橋がペットボトルのジュースを飲んでた。そういえば、遠野が溢してクロに少しかかったっけ。そのあと休み時間に早弁だとか言って石橋があんパンを食べてた。そのあと、石橋が倒れたんだ。ちなみにペットボトルとあんパンはどっちも未開封だった」
短くまとめればこんなところだろう。
クロは目を閉じて考え込んでいる。
「ああ……そういうことか」
と、突然一人納得したように頷いた。
クロはじっと黙って佇むばかりだったさっきまでの様子が幻だったかのように、すたすたと警察や三船たちが集まっているところ――石橋の遺体の方へと歩いていく。
「どけて」
遠野に言うと、説明がしやすいように。クロは事件現場の真ん中に立つ。
「ここからは私の仕事だから」
そう言って、ポケットから取り出した手袋をきゅ、と力強くその手にはめた。
けれど、僕は未だにわからない。
この時のこの選択が、果たして正しいものだったのかどうか――。
大変更新が遅れてすみません。ようやく時間が取れるようになったので、頑張って更新していきたいと思います。