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第一話:登校初日

 朝早く、僕はクロの家のチャイムを鳴らす。

「おーい、迎えに来たぞー」

 今日は月曜日。クロが学校に行く日だ。ただ、やっぱり一人じゃまだ無理だろうと、迎えにきたわけだが……。

 ――遅い。直前になって渋っているらしい。

「外は寒いでしょうから、中でお待ちください」小織さんからインターホン越しにそう言われ、僕は家の中に入ることにした。早めに出てきたとはいえ、あんまり長引くと遅刻してしまう。こりゃあ、早めに決着をつけないとな。

 小織さんの話によると、支度は既にできているそうだが、まだ迷っているらしい。

「クロ」

 玄関から呼びかけてみる。すると、制服姿のクロが顔を出した。あまり袖を通した事がないだろう制服と鞄は、まだ真新しく、他の生徒のように、つるつると光っているところは見当たらない。

「行くか、行かないか、どっちだ?」

「……」

 返事は、返ってこなかった。

 ゆっくり説得してもいいんだが、ちょっと時間がない。しょうがないな、もう一つの作戦でいくか。

「んー、そうだよなー。さすがの氷鉋ひがの様といっても、まだ無理かー」

 『無理』の部分をちょっと強調して言う。

「あっ、いやいや、無理やり行くこともないさ。もっとも、今のお前じゃ行けないだろうだろうけど」

 案の定、クロはカチンときたようだった。よし、かかった!

「……そんなことないわよ」

「強がらなくてもいいんだぞー。今日は休んどけ」

「いい。行ける」

「よし、それじゃあ行くか」

 クロがしまった、という顔をしたが、もう遅い。

「ほら」

 手招きすると、クロは迷いながらもこっちに来た。うん、もう大丈夫だな。

「じゃあ、小織さん、行ってきます」

 玄関ドアを開けると、クロは無言で外へ出て行く。

「行ってらっしゃいませ」

「……行ってきます」

 呟くような、小さな声だったけれど、確かに聞き取れた。

「何笑ってるのよ?」

「いやいや」

 第一関門クリア。さあ、お次は学校だ。


 *


 幸いな事に、僕とクロは同じクラスだった。

 偶然かもしれないし、クロのお父さんと知り合いだと言う、僕の父さんが、転校してくるときになにか画策したのかもしれない。

 教室に向かって、僕のすりへった上靴とは対照的な、これまた新しい上靴で、クロは黙々と廊下を歩いていく。無表情だが、賑やかな生徒達の声を少し怖がっているみたいだ。

 『大丈夫だ』だとか、『友達なんてすぐ出来るさ』だとか、何か励ましてやったほうがいいんだろうか。でも、何を言っても気休めにしかならない気がする。

 なんていうか……受験生を見守る親ってこんな感じ……?

「無理は、するなよ」

「わかってる」

 そうして、僕は教室のドアを開けた。

「おっ、来やがったな司狼しろう

「よっす」

 教室に入ってすぐ、南田が声をかけてくる。

「? 後ろにいるのは……」

「あ、えーと」

 クロは隠れるようにして僕の少し後ろに立っている。

「――もしかして氷鉋か……?」

 え?

 振り返ると、クロは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。

「知り合いか?」

「同じ小学校だった」

 クロの答えはそっけない。

 同じ小学校か……。この学校は私立だから、同じ学校からきている人間もそういないだろうと思っていたんだが、やっぱり何人かはいるか。

 そのまま、誰が口を開くこともなく、会話が途切れた。

「席どこ?」

 つかの間の沈黙を無理やり破るように、クロはそう訊ねる。

「ああ、ええと、通路側から二番目の列の後ろから二番目……」

 クロは無言で、自分の席に座った。周りの生徒たちが不思議そうな顔でクロを見る。

「もしかして仲悪いのか?」僕は南田に訊いてみた。

「そういうわけじゃないんだけど……。俺に限らず、氷鉋はいつもあんな感じだったよ」

 いつもあんな感じだったって? クロが?

 小学校が同じだったという南田にそう言われても、いまいちぴんと来なかった。確かに、クロは愛想がいいとは言い難い。でも、あれほどじゃなかった。僕が最初にあった時から今までで、あんな――冷たい目は見たことがない。

「他に同じ学校のやついる?」

「うーんと、池崎だな。他はいないはずだ」

 じゃあ、クロの小学生時代を知るのは、南田と池崎だけってことか。その点については、ちょっと安心した。クロは中学にはほとんど行ってない筈だから、学校に行かなくなった『理由』があったのは、小学校の時ということになる。当時を知る人間が少なければ少ないほど、クロの負担は軽くなるはずだ。

 ――でも、あの池崎か……。

 池崎豊は、いわゆる不良と呼ばれる部類だ。過去にクロとひと悶着起こしていても、全然不思議じゃない。あとで、何か訊いてみるか? ……しかし、すさまじく話しかけずらい奴だな。

 僕は、自分の席に鞄を置くと、ちらりとクロの方を見た。

 クロは、家から持ってきたハードカバーの本を読み始めるところだった。本の世界に逃げ込むように、クロはページをめくる。多分、あいつは周りへの溶け込み方を知らないんだと思う。

 初対面の人間に対しては、誰だって話しかけるのをためらう。仲良くなりたいのに、関わりたくないという矛盾。

 うーん、どうしたもんか。


 *


 その日の授業は、ほとんどがテスト返しだった。

 おお、これは……!

 見事にヤマが外れたから、まずいとは思っていたが、まさかこれほどとは。うわ、埋められるかも。

 クロは、返って来たテストをちらりと見るだけで、退屈そうに先生の話を聞いていたが、やがて本を取り出した。おいおい、授業中に読む気か? 完全にやる気ないな。

 学校に来ていなかったくせに、授業のサボり方はきちんと心得ているようで、先生から見えそうで見えない絶妙な角度で本を読んでいる。

 あーあ、どうしよ。やっぱりやめるように言った方がいいか? でも、ちょっと席が遠すぎるな……。

 結局、そのままチャイムが鳴って、授業は終わってしまった。休み時間に突入するが、それでもクロは本を読み続けている。

 と、隣の席の女子が、そんなクロの様子を上から覗き込んだ。えーと、あれは確か……。

「氷鉋さんって、本好きなんだねー」

 突然話しかけられ、クロは驚いてその女子を見上げる。

「あたし、遠野菜子とおの・さいこ。皆はナコって読んでるけどね」

「――そう」

「そう……って、二文字!? 反応薄いなあー」

 遠野の賑やかさに、クロはなんと返したらいいかわからず、戸惑っている。学校にまだ慣れてない状態で、遠野の相手は難しいかもしれないな。――ちょっと手伝ってやるか。

「クロ」

 呼びかけると、すぐさまこちらを見返してくる。相当に困ってるみたいだ。

「『よろしく』って言うんだよ」

「……よろしく……」

 そう言ったクロは、まだ挨拶の出来ない子供のようだった。対する、遠野は、どこまでも明るい。

「うん、こちらこそよろしくねっ! 『クロ』って呼ばれてるの? 何で? あっ、黒羽だからか! 私もクロって呼んでいい? あー、でもクロじゃちょっと猫っぽいなー。じゃあ、氷鉋のひぃちゃんでどうだっ!」

「……」

 ダメだ。明らかに、遠野の喋りについていけてない。

 それにしても、よく一人で一回にあんなに喋れるもんだと、ちょっと感心してしまった。きっと、遠野は思ったことをすぐに口にだせるタイプなんだろう。さっきの会話を聞く限り、普通の人なら心の中で考えている部分も、遠野は全部口に出している。

「――別にいいけど」

「ホントっ!? わーい、じゃあ、今日からひーちゃんね! 私のことはさっき言ったとおり、ナコでいいから! 他の呼び方でもいいよ。あ、でも『金さん』はちょっと嫌かも……。なんで金さんかというと、遠山の金さんなのっ。私は遠野なんだけどさ」

 早口でまくしたてるように、遠野は喋る、喋る。でも、不思議と嫌な感じはしない。ただ……疲れる。

「こら、ナコっ!」

 すると、どこからか叱責の声が飛んできた。

「あんまりペラペラ喋るんじゃないの。皆戸惑っちゃってるでしょ」

 声の主は、石橋文香いしばし・ふみか。名前に入った『文』という文字とは反対に、誰もが認めるスポーツ少女だ。

「ごめんねーうるさいでしょコイツ。口から生まれてきたに違いないから、許してやって」

 石橋と一緒にいた、三船がそう言う。三船ゆかりは、みつあみに眼鏡という、典型的な大人しい子、といった見た目だが、話してみると、案外明るい子だ。

「ふふん、人間が口から生まれるわけないじゃん。ったくわかってないなー」

「馬鹿かお前は」

 くす、とその場にかすかな笑い声がこぼれた。

 遠野と石橋、三船は漫才のような掛け合いをしていて、僕は笑ってない。ということは……。

 笑い声の元は、クロだ。

 クロが笑ってる――。

 くすくす、と二人のやり取りを聞きながらクロは笑う。

「あーちょっと、ひーちゃん、何笑ってんのさー」

「だって、面白……」

 普段はポーカーフェイスなクロが笑うのは、すごく珍しい事だ。

 ――うん、やっぱり、連れて来て正解だったな……。


 *


「今日は楽しかったか?」

 学校からの帰り道、僕はクロにそう訊ねる。

「まあまあ。そんなに悪くない」

 引きこもり娘のそんなに悪くないという言葉は、かなり良かった、って事と見て良いだろう。

 あれから、クロは、遠野だけじゃなく、石橋や三船ともすぐに仲良くなる事が出来た。友達がいるのといないのとじゃ、学校生活は全然違う。これできっと明日も学校にいけるだろう。いずれは、そのまま、普通に登校できるようになればいい。クロの学校生活は、まだ始まったばかりだ。

「そういえば、テストどうだった?」

「見る?」

「見る見る」

 というか、気軽に人に見せられる点数なのか。これは相当良いと見た。

 クロは、鞄から、テスト用紙を取り出した。国語、数学、理科、社会、英語の五教科だ。

「どれどれ……――っ!?」

 国語100点、数学100点、理科、これまた100点、社会、さらに100点、当然、英語100点。

 つまり、全教科満点。

 僕の脳裏に、昨日南田とした話が蘇った。

 ……入学以来、ずっと全教科満点を取り続けている人がいます。しかしそれが誰なのかは、未だわかっておらず、既に学校の七不思議と化しています。

「おまえかぁぁ――!」

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