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カナリアのうた

作者: あくた咲希

 うたっておくれ。

 歌を。

 愛の歌を。


 わたしの、いとしい歌姫。

 --カナリア。


   *


 声は、美しかった。

 が、その姿はこの町では異形だった。

 肌の色が違い。瞳の色が違い。

 からだは大きく。この地の人間の数十倍はあって。

 彼女が呼吸をするたび、風は渦を巻くようで。

 青色に透き通るような涙をこぼせば、雨のようで。

 編まれた金色の髪は、さながら鎖の鞭のようで。

 美しい声で美しい言葉を紡ぐ唇は、紅を差したいけれど量が足らなくて。

 化粧をしない顔は、それでも白く透き通り、町の娘に飽きた男たちや旅人は、珍しさにか絶賛した。

 --彼女の名は、カナリアといった。

 遠くの星、故郷の星にいた時は今をときめく歌姫だった。町の富豪が宇宙旅行の際に、気に入って、莫大な金貨と引き換えに連れ帰った少女だった。

 富豪は町に帰ってくるなり屋敷を売り払い、彼女のために新しい屋敷を建て、全財産は底を尽いた。

 今では彼は、ただの青年だ。

 青年の名は、トージォといった。


「おまえは今朝もうたってくれなかった。今宵もまたうたってくれぬのだろうな」

 トージォは幾度となく繰り返した恨み言を哀しい笑顔とともに残し、仕事に出かけてゆく。

 後ろ姿を浮かない表情で見送って、カナリアはため息をついた。

 シャンデリアがしゃらしゃらと音を立てて揺れ、からっぽの窓枠にとまっていた鳥たちがいっせいに飛ばされていった。

 カナリアは慌てて口をつぐんだ。

(ここはなにもかもが小さい。わたしが生きていくには……)

 空気すら、足りなくて。

 できるだけじっと座って、鼓動さえ遅く、遅くさせようとしている。

 いつも頭がぼんやりとしている。そう長くは生きていられないな、と思う。

 トージォは貧乏になってしまったので、故郷へ帰りたいと請うこともできなかった。

(わたしだって、本当はうたいたいのよ)

 天窓から見上げた先に、懐かしい星が見えた。

 カナリアの目の色と同じに青い、空気と、水の豊富な星。

(本当は……トージォのためにうたいたいわ)

 なぜ、この星にきたか?

 トージォを愛した以外に、理由があるだろうか。

 歌の仕事のマネージャーでもあった親の提示した金額をいとも簡単に了承し、カナリアがそばにいるなら富などいらぬと言い切った彼を、愛さずにいられるだろうか――

 泣きそうになって、カナリアは唇を引き結んだ。 

(でも、うたえない。ここでは、わたしの歌は嵐。愛の歌も、死の歌になってしまう)

 カナリアの歌声は町人たちにとってはあまりにも轟音で、特別なフィルターが必要だった。それを手に入れるにはたくさんのお金が必要になる。

 普段の言葉でさえ、舌先に乗せるようにそっと扱わなければいけない。骨の折れることだ。自然、無口になった。

 今の彼女を見て、親はなんと言うだろう。

 娘がうたえない状況にあることを嘆くだろうか。異星の民を案じ、うたえない娘をやさしい娘よと称えるだろうか。

 それとも、娘がお金に化けてくれたことを喜んでいるだろうか。もう、娘のことなど知りもしないだろうか?

(だめよ。どうして悲しくなることばかり考えるの)

 故郷の星にいた頃は、悲観的になることなど一度としてなかった。

 うたっていた。いつも、心のままに。

 幸せだった。愛してくれる人がいなくても。

 でも、今となっては故郷に帰れたとしても、トージォを失ってしまってはちっとも幸せではいられなさそうだった。

 彼は、カナリアの星では重力に負けて長く生きられない。

 ものすごくお金のかかる特製のスーツに身を包んでいても、半日と滞在できないのだ。

(わたしはまだ生きていられる。彼のそばにいられる。幸せよ)

 むりやり思い込み、目を閉じた。

 涙がつと頬を伝い、細い顎から落ちる。

 シルクのドレスに薄いしみをつくり、ふわりと蒸発していった。

(あつい……)

 町の人々には快適な気候も、カナリアには、汗ばむぐらいではすまされない。

 汗をかけば喉が渇く。水が欲しくなる。

 地下から汲み上げる水は驚くほど高価だ。彼女のひとくちの水代のために、トージォは三日働かなければならなかった。

 カナリアは水しか飲まないのだからと言って、彼は笑ってさえいた。これで果物が必要なら、とうの昔に共倒れしているよ……と。

 心遣いは嬉しかったが、やはり胸が痛んだ。トージォが汗水たらして得た水も、すぐに汗となって流れ出てしまうのだ。

 せめて、歌を聴かせてやりたいと思う。

 それで、彼の鼓膜が破れてしまうとしても。

(だめな歌姫ね。……もう、歌姫なんかじゃないわ)

 今や彼女の存在理由は、トージォが愛してくれることだけだった。


   *


 慣れない仕事にも、ようやく慣れてきた頃で。

 トージォは額の汗を拭った。まだ若くてよかったな、と思う。

(何十年も親父の遺産で生きながらえていたら、こんなふうに働けなかっただろうな)

 カナリアを買った、というと聞こえは悪いが、彼女の両親を説得するために大金をはたいたことを馬鹿だと揶揄する連中は多い。そんなことに金を使って酔狂なことだと、面と向かって散々言われもした。

 でも、彼にとってカナリアは、「そんなこと」ですまされる女性ではなかった。

 まさに、一生をかけたのだ。カナリアの両親もまた、一生をかけて娘を育ててきたのだから。

 娘に求婚してきた異星のちっぽけな男を諦めさせるため、彼らは法外な金額を提示した。だから、トージォも一生をかけて承諾した。

 彼女の親たちは渋面だったが、必死の説得の末に許してくれた。

 もともと取るつもりはなかったのだと返金の申し出もあったが、トージォは断った。それではケジメがつかないと言い、結納の金子(きんす)と承知してくれと頼み込んだ。

 今になって思えば、多少は甘えてもよかったのかもしれない。

 意地を張ってしまっただけかもしれないと、ふと、後悔したりもした。

(金があれば、カナリアにもっといい暮らしをさせてやれるのに。……母星に里帰りさせてやれるのに)

 この星は、彼女にとっては小さすぎる。うたうにも狭すぎる。

 歌声に惚れて連れ帰ったのに、そして彼女もまたうたうことを生きがいとしていただろうに、ここでは叶わない。

(考えが足らなかった。ばかなことをした)

 このままでは小さな鳥かごの中で、一生を終えさせてしまう。

 歌をうたえない時点で、カナリアは死んでいるのと同じなのかもしれなかった。

「トージォ! なにボケっとしてやがんだ!」

 考え込んでいるところに、棟梁の野太い声が飛んできた。

 トージォは慌てて背筋を伸ばし、持ち場に駆け戻った。

「すみません」

「あんまり怒鳴らせるなよ。ボンボンは仕事ができんなどと言われたくないだろう」

「……心遣い感謝してます」

 毛むくじゃらの棟梁は、トージォの父の屋敷を建てカナリアの家を建てた、気のいい壮年の男だった。

 彼はトージォが幼い頃からの顔なじみで、働く先がないなら俺のところにこいと言ってくれた。カナリアの件についての、数少ない理解者である。

 だからよけいに、彼はトージォを心配した。

「俺が次に建てんのは、おまえと、おまえの家族のための屋敷だって思ってたんだがなぁ。あんな、周りに不似合いな塔みたいな家じゃなく。で、どうなんだぃ。あの歌姫と本当に結婚するつもりなのか?」

「もう、夫婦のつもりですよ」

「ばか言え。星間婚(せいかんこん)も今流行(はや)りかもしんねぇが、なんつーかその、サイズっつぅもんがあるだろう」

 棟梁の耳打ちを微笑でかわして、トージォは木材を肩にかついだ。

「自然の摂理に反しているかもしれませんが、それでも、僕はこれでいいんです」

 歌声だけでなく、カナリアを愛しているから。

 それで、いいではないか……。

「そんな不安そうな顔して、なに言ってやがんだよ!」

「はは。心配してくださるんなら、そのぶんお給金を上げてくださいよ」

 トージォは軽口を叩いて、棟梁の前を去った。

 屈強とはいいがたい胸の奥で、心臓が張り裂けそうだった。


   *


 前触れもなく、その便りは届いた。

 郵便配達の少女はカナリアを見上げ、

「お父さんとお母さんからお手紙なんて羨ましいわ。あたしなんて、一度だって貰ったことがないわ」

 と呟いた。

「まっ、お互いにたまに見かけることがあるから、そもそも手紙なんてねー」

 親とは喧嘩別れ同然だったというその少女は、傍らのトージォに電報の封筒を一通わたすと、町中にどんとそびえる塔のようなこの家を出ていった。

 トージォはカナリアをちらりと見た。彼女が頷くのを確認して、封筒のシールをはがした。

「……『そこでは生きづらかろう、舟を一艘おくります。帰らぬのなら、銀の櫂を手折って返事となさい』……」

 短い言伝は、きっと、トージォとカナリアの二人ともが心のどこかで待ち望んでいたものだった。

 そして、難しい選択だった。

 ただ、幸いなことに期限は短かった。

 一日後、カナリアを迎えに舟がやってくる。


 星を出るのなら、すぐに手続きを開始せねばならない。

 彼女の瞳から、こらえきれなかった涙がこぼれおちた。

(うたいたい。水を浴びたい。……うたいたいわ)

 声を上げずに静かに泣くカナリアを、トージォは落胆と安堵とがまじりあった表情で見つめていた。

(歌をうたえない歌姫など、見ていられない)

 カナリアには、歌が必要だった。思いきりうたえる環境が必要だった。

 母星にはそれがあって、彼女を待つ両親もいる。

 彼女を帰さぬ理由など、どこにあるだろう。

「カナリア」

 トージォはいとしい歌姫の名を呼んだ。

 ひとりでに頬がゆるむ。

「会いに、いくからな」

 胸の痛みが、少しずつやわらいでゆくようだった。

 別離の悲しみが心地よいことに、彼は内心ひどく驚いていた。

「なぁに、すぐにいっぱしの大工になるさ。そうしたら、月夜の海を渡ってまた会いにいける」

 カナリアの涙は止まらなかった。彼の申し出は嬉しくてたまらなかったが、同時に淋しくもあった。

 彼女は、恋人の笑顔の裏側に、どれだけの感情が詰まっているのかを推しはかろうとした。

(重荷……じゃ、なかった?)

 働けど働けど潤わせることのできないカナリアを、自分よりずっとずっと大きな彼女を愛することは、その小さなからだにはどんなにか負担だっただろう。

(もう、あなたのような人とは出会えないかもしれない)

 目もとを拭い、カナリアは指先でそっとトージォのからだに触れた。

(欲張りかもしれないけど、あなたと離れたく……ないわ)

 切に、願う。


   *


「あの歌姫さんは、在るべき場所へ戻ったんだ」

 仕事帰りに一杯ひっかけながら、棟梁がしみじみとぼやいた。

「適材適所……ってな。家ひとつ建てようって時に立派な木をさ、大黒柱にしないでどうすんだって話よ。どんなにいいもんを持ってたって、不遇じゃあどうにもならねぇ」

「そんな、ますます落ち込むようなことを言わないでくださいよ」

 トージォは苦笑した。

 彼は酒を呑まない。少しでも早くカナリアに会いにいけるようにと、贅沢品はすべて生活から切り離している。

 棟梁が杯をすすめるのをどうにかこうにか言い訳をつくってかわしながら、会話のあいまに、夜空の向こうに見える青い星を思った。

 カナリアのいない生活は楽だったが、どうしようもなく空虚だった。

 そんな彼を元気づけようと棟梁が酒に誘うのだが、一向に効果はないようだった。

「おまえと美味い酒が呑めるようになるのはいつになるんだろうな」

 豊かな髭のかげで、棟梁はため息をついた。

「おいトージォ、おまえ、カナリアと出会ったこととか、母星に帰したことを後悔してるか?」

「後悔なんて……」

「するんじゃねぇぞ。いいか、おまえはカナリアと出会ったことで裕福な暮らしを捨てた。そして、俺のもとで大工の修行をすることになった。こういうこと言うのは照れくさいが、おまえには素質がある。大工のな」

 トージォは空いた杯に酒を注ぎ足し、首を傾げて鼻の頭を赤くした棟梁をうかがった。

「いきなりどうしたんです」

「いきなりもカミナリもあるか。彼女が歌姫であることと、おまえが大工であることは同じだって話よ。あの金糸雀(カナリア)のおかげで、金銀財宝に埋もれてた大工の卵が孵ることができたんだ。だから、後悔するなよってことだ」

 棟梁は尖った喉仏を上下させて酒をあおると、顔全体を赤くして、愛弟子の背をバシンバシンと叩いた。

「おやっさん……」

 トージォは衝撃に咳き込みながらも心にあたたかいものが灯るのを感じて、頬をゆるめた。

「--ちょっとぉ! こんなところにいたの!?」

 突然、背後から甲高い声が飛んできた。

 振り向くと、いつかの郵便配達の少女が腰に手をあてて仁王立ちになっている。

「こんな遅くまで連れまわしてんじゃないわよ、ったくこの呑兵衛オヤジ。……本人に手渡すのが信条なものでね、探したわよ」

 差し出された電報は、カナリアからのものだった。

 トージォは一瞬いろを失い、歓声とも悲鳴ともつかぬ声を上げて、ガサガサとうるさい音を立てて封を開けた。電報の内容は、こうだった。


 --星に帰ってきても、どうしてもうたえない歌があるの。

 あなたに、聞かせたかった歌よ--


「あら、ロマンチックね」

 郵便配達の少女が頬に手をあてた。

「給料の前借りでもなんでもしやがれってんだ。今すぐ行ってこい」

 棟梁の大きな手が、もう一つバシンとトージォの背を打った。



   *おわり*

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