第8話 もう遅い
闇の薬師を捕らえてから一週間。
薬草園は修復を終え、フィーネの修行も順調に進んでいた。
そんな折、思いがけない来客があった。
「レン!!」
村の入口に立っていたのは、かつてのパーティメンバー――盾役のドルクだった。
普段は冷静沈着な大男が、息を切らして駆け込んできた。
「ドルク? どうしてここに?」
「助けてくれ、レン……! 【白銀の剣】が全滅しかけてる……!」
「……何があった」
「《蝕みの迷宮》を攻略中に、罠にかかった。瘴気の部屋に閉じ込められて、ガルドとベリクとミレーヌが《蝕み病》に侵された。聖女のセラフィーナが回復魔法で治そうとしたが、全く効かない。それどころか、セラフィーナ自身も瘴気への耐性がなかったから、あの部屋に長時間いただけで体をやられて倒れた」
「…………」
《蝕み病》。
迷宮内の高濃度瘴気に長時間曝されることで発症する病だ。
回復魔法は瘴気性の病にはほとんど効果がない。これは薬師の間では常識だが、回復魔法万能論を信じている冒険者には知られていない。
「俺はたまたま別行動をしていて無事だった。ガルドたちを迷宮の外まで運び出して、応急処置をしたが……どんどん悪化してる。王都の医者に見せたが、お手上げだと言われた」
「それで俺のところに来たのか」
「ああ……。レン、頼む。お前にしか治せない」
ドルクの目は真剣だった。
この男だけは、パーティにいた頃から俺の仕事を理解してくれていた。追放の時も、唯一苦い顔をしていた男だ。
「ドルク。一つ聞く」
「何だ?」
「これはガルドの頼みか? それともお前個人の判断か?」
「……俺の判断だ。ガルドは……意識がもうほとんどない。ベリクもミレーヌも同じだ。セラフィーナも高熱で寝込んでいる」
「そうか」
俺は少し考えた。
正直に言えば、複雑な気持ちだ。
「お前は要らない」と言って追い出した連中が、俺の専門分野でしか治せない病にかかっている。皮肉としてはできすぎている。
だが――。
「フィーネ」
「はい!」
「蛇舌花の乾燥粉末と青星草のエキス、甘露草の煎じ薬を準備しろ。それと、瘴気中和薬の予備を五人分」
「分かりました!」
フィーネが走り去るのを見送り、俺はドルクに言った。
「治療はする。だが、薬の代金はもらうぞ」
「当然だ。いくらでも払う」
「金貨五百枚」
「…………」
「追放時の手切れ金の十倍だ。本来の共有資産の分配額に相当する。文句はないだろう」
ドルクは一瞬黙り、それから苦笑した。
「……お前、怒ってたんだな」
「怒ってはいない。適正価格を請求しているだけだ」
「分かった。払う」
◇
馬車で一日半。
王都近郊の宿屋に、【白銀の剣】のメンバーが寝かされていた。
ガルドの姿を見た瞬間、俺は状況の深刻さを理解した。
全身に黒い斑点が浮き、呼吸は浅く、皮膚からかすかに瘴気が漏れている。
「……重症だな。あと三日放置していたら手遅れだった」
隣のベッドのベリクも似たような状態。ミレーヌはやや軽症だが、意識が朦朧としている。
そして聖女セラフィーナ。
金髪に白い法衣の、いかにも「正統派回復役」という少女だった。
だが今は顔色が灰色で、高熱にうなされている。
「……回復魔法しか使えない聖女が、瘴気対策もなしに瘴気の迷宮に入ったのか。無茶にもほどがある」
「セラフィーナは瘴気への耐性がまるでなかった。レン……お前がいた頃は、迷宮に入る前にいつも瘴気対策の薬を全員に配ってくれていたな」
「ああ」
「あれがなくなって初めて、どれだけ重要だったか分かった。……すまなかった」
「謝るのはガルドの仕事だ。お前は悪くない」
治療を始めた。
蝕み病の治療は、紫石病ほど複雑ではない。
瘴気中和薬を投与し、蛇舌花の解毒成分で体内の瘴気を分解する。
甘露草の煎じ薬で体力を回復させ、銀葉草のエキスで体内に残る瘴気の毒素を浄化して黒い斑点を消す。
ただし、四人分の薬を同時に調合し、それぞれの症状の重さに合わせて配合を微調整する必要がある。
「フィーネ、手伝え。ガルドとベリクは重症だから蛇舌花の配合を多めに。ミレーヌとセラフィーナは標準配合でいい」
「はい! ……えっと、重症の場合は蛇舌花を通常の一・五倍ですか?」
「よく覚えてたな。そうだ」
三時間かけて四人分の薬を調合し、投与した。
翌朝。
「…………ん……」
最初に目を覚ましたのは、ミレーヌだった。
「あれ……私……レン……? なんで、レンがここに……」
「薬を持ってきた。もう大丈夫だ」
「レン……ごめん、なさい……あの時、何も言えなくて……」
「いいんだ。もう終わったことだ」
続いてセラフィーナが目を覚ました。
「……あなたが、レンさん……? 話は、聞いて、います……。追放された、薬師さん……」
「ああ。今の気分は?」
「……嘘みたいに、楽です。……私の回復魔法では、何もできなかったのに」
「回復魔法が万能じゃないことは、覚えておいた方がいい。魔法で治らない病気や毒は山ほどある」
セラフィーナは唇を噛んだ。
「……私が、レンさんの代わりにパーティに入ったんですよね。なのに、私では……」
「お前のせいじゃない。お前を入れる判断をした奴の問題だ」
昼過ぎ、ベリクが目を覚ました。
俺の顔を見た瞬間、ばつが悪そうに目を逸らした。
「…………よう」
「よう」
「…………助かった」
「どういたしまして。金貨五百枚な」
「ご、五百……!?」
「ドルクに話は通してある」
ベリクはぐうの音も出ないという顔をした。
そして夕方。ガルドが意識を取り戻した。
「…………レン?」
「ああ」
「なんで……お前が……」
「ドルクに頼まれた。死にかけてるお前たちを治してくれと」
ガルドは天井を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「……お前の薬がなきゃ、俺は死んでたんだな」
「ああ」
「……すまなかった」
「金貨五百枚で手を打つ」
「……高いな」
「命の値段としては安いだろう」
ガルドが、初めて見る表情で笑った。
それは、嘲りでも虚勢でもない、ただの苦笑だった。
「……違いない」
◇
帰りの馬車の中で、フィーネが言った。
「レンさん。パーティに戻らなくていいんですか?」
「戻らない」
「即答ですね」
「俺の居場所はあの村だ。薬草園があり、毒の森があり、お前という弟子がいる。……それに、まだやることがある」
「月下白蓮の研究、ですか?」
「ああ。万能薬の完成。それが今の俺の目標だ」
フィーネが嬉しそうに笑った。
「じゃあ、まだまだ私に教えてくれることがありますね」
「山ほどある。覚悟しておけ」
「望むところです!」
馬車の窓から、東の空にかすかに紫色の靄が見えた。
毒の森だ。
俺の帰る場所が、あそこにある。




