第7話 影の薬師
村に戻って数日。
平穏な日々が戻った――と思っていた。
「レンさん! 薬草園に誰かが入った跡があります!」
朝の見回りに出たフィーネが、息を切らして戻ってきた。
現場に行くと、確かに柵の一部が壊され、足跡が残っていた。
そして――蛇舌花の区画だけが、根こそぎ引き抜かれていた。
「…………蛇舌花だけを狙っている」
「誰がこんなことを?」
「蛇舌花は毒の原料にもなる。薬草として使えるだけでなく、純度を上げれば致死性の神経毒を精製できる」
フィーネの顔が青ざめた。
「まさか……」
「マルクスが言っていた怪しい薬師。関係あるかもしれない」
足跡を追ってみた。森の方へ続いているが、途中で消えている。
ただの野盗ではない。痕跡を消す術を心得ている。
「フィーネ。しばらく薬草園の夜間見張りを交代でやるぞ」
「はい!」
◇
その夜。
俺は薬草園の近くの木陰に身を隠し、気配を殺して待った。
月が高く昇った頃。
音もなく、一つの影が柵を越えた。
黒いローブを纏った細身の人影。
慣れた手つきで薬草に近づき――今度は青星草の区画に手を伸ばした。
「そこまでだ」
俺が声を発した瞬間、影が跳びのいた。
その反応速度は、ただ者ではない。
「……薬草園に不法侵入して、何を盗もうとしている?」
月明かりの下、フードの奥にかすかに顔が見えた。
三十代くらいの、鋭い目つきの男。指先が薬品焼けで変色している。
薬師の手だ。
「……バレたか。まさかこんな辺境に、まともな薬師がいるとは思わなかったよ」
男が低く笑った。
「名乗れ」
「名前なんか意味がないさ。――だが、同業者への礼儀として教えてやろう。俺はかつて王都薬学院に籍を置いていた者だ」
「王都薬学院……追放されたか」
「ご明察。禁忌の研究に手を出したとかなんとか。くだらない倫理観で俺の研究を潰しやがった」
「禁忌の研究。……毒の兵器利用か」
男の目が細くなった。
「話が早いな。ああ、そうだ。毒は本来、最も効率的な兵器になる。剣で斬るより、魔法で焼くより、一滴の毒の方が確実に人を殺せる。……なのに、薬学院のお偉方は『薬師は人を救うためにある』なんて綺麗事を抜かす」
「それは綺麗事じゃない。薬師の本分だ」
「本分? 笑わせるな。お前だって知っているはずだ。毒と薬は表裏一体。薬を作れる者は、最も効率的に毒を作れる。その力を人を救うためだけに使うなんて、才能の無駄遣いだ」
「…………」
「聞いたぞ。お前、Sランクパーティから追放された薬師だろう? 回復魔法が使えないから捨てられた。お前の技術は正当に評価されていない。俺たちは似た者同士だ」
「似ていない」
俺はきっぱりと言った。
「お前はヴェルダン伯爵の娘に毒を盛った張本人だな」
一瞬の沈黙。
そして、男が笑った。
「証拠は?」
「深淵蠍の毒による紫石病。ヴェルダン領に深淵蠍は生息していない。つまり、外部から毒を持ち込んだ者がいる。そして今、お前はこの辺境で蛇舌花と青星草を盗もうとしている。蛇舌花の毒を濃縮し、青星草で自分用の解毒剤を作るつもりだったんだろう」
男の笑みが消えた。
「……やるな。腕のいい薬師は分析力も一流か」
「忠告する。今すぐこの土地から出ていけ。次に来たら、俺が止める」
「止める? どうやって。お前は薬師だろう。戦闘なんかできるのか?」
「戦闘は必要ない」
俺はポーチから小瓶を取り出し、地面に叩きつけた。
白い煙が瞬時に広がる。
「がっ……! な、何だこれは……!」
「痺れ煙。蛇舌花の毒を気化させたものだ。吸えば全身が痺れて動けなくなる。致死性はないが、半日は指一本動かせない」
俺は事前に解毒剤を飲んでいる。煙の中でも平然と立っていられる。
「お前に毒の使い方を教えてやる。毒は人を殺すためじゃない。こうやって、守るために使うんだ」
男は地面に崩れ落ちた。
だが、その目だけは俺を睨んでいる。
「……覚えてろ。俺は必ず戻ってくる。お前のその薬草園も、あの森の薬草も、全部いただく」
「好きにしろ。何度来ても、同じ結果だ」
翌朝、縛り上げた男をマルクスに引き渡した。
だが、男の言葉が頭にこびりついていた。
あいつは一人で動いているのか?
それとも、背後に誰かいるのか?
……嫌な予感がする。




