第6話 治療
領都ヴェルダンまで馬車で一日。
マルクスが手配した馬車は速かった。道中、俺は完成した薬を慎重に保管しながら、紫石病の治療手順を頭の中で組み立て直していた。
「レンさん……緊張してますか?」
フィーネもついてきていた。弟子の実地訓練だと言ったら、目を輝かせて馬車に乗り込んできた。
「緊張はしていない。だが、慎重にはなっている。紫石病を実際に治療するのは初めてだからな」
「初めてなんですか!?」
「初めてでなきゃおかしい。百年に一度出るかどうかの病だぞ。文献と理論に基づいて調合した薬だ。……だが、理論通りにいかないことがあるのも、薬の世界だ」
フィーネが不安そうな顔をしている。
「大丈夫だ。想定外のことが起きたら、その場で対応する。それが薬師だ」
◇
領都ヴェルダンは、辺境にしては立派な城壁を持つ街だった。
領主の屋敷に通されると、リヒター伯爵自らが出迎えた。
五十代半ばの、疲弊しきった顔の男だった。
「レン殿……よく来てくれた。マルクスから話は聞いている。村への支援の件、約束する。だから――」
「まずは患者を診せてください」
娘のエルザは、屋敷の奥の部屋に寝かされていた。
歳は十七、八か。淡い金髪の、本来は美しいであろう少女。
だが今は、顔色は蒼白で、右腕と右足が紫色に変色し、石のように硬化していた。
「硬化の進行速度は?」
「三日前は手先だけだった。それが肘まで、今は肩近くまで……」
伯爵の声が震えている。
「このまま進行すれば、心臓に到達した時点で終わりだ。……あと四、五日といったところか」
「そんな……!」
「だが、間に合った」
俺は薬箱を開き、銀色の薬液を取り出した。
「これが紫石病の治療薬だ。これから三段階の治療を行う」
フィーネに指示を出す。
「フィーネ、湯を沸かしてくれ。それと、薬箱の中の青い小瓶と赤い小瓶を準備しろ」
「はい!」
第一段階。まず、硬化した部位に温めた銀葉草のエキスを塗布する。これは硬化した表面を軟化させ、薬の浸透を助けるための前処理だ。
「表面が柔らかくなってきたら教えてくれ」
「は、はい……あ、少し柔らかくなりました」
「よし。第二段階に入る」
銀色の薬液を、硬化した部位に直接かけるのではなく、まず経口投与する。
「エルザ殿。意識はあるか?」
「……は、い……」
弱々しい声だが、意識はある。
「薬を飲んでもらう。苦いが、我慢してくれ」
スプーン一杯の銀色の薬液を、エルザの唇にそっと当てた。
彼女はわずかに顔をしかめたが、飲み込んだ。
「……あ」
エルザの目が、わずかに見開かれた。
「体が……温かい……」
月下白蓮の成分が、体内の循環を活性化させている。
これにより、毒が集中している硬化部位に血流が戻り始める。
「第三段階。ここからが本番だ」
青い小瓶――青星草の濃縮解毒エキス。
赤い小瓶――蛇舌花の毒分解液。
そして銀色の薬液。
三つを順番に、硬化した部位に塗布していく。
「順番が重要だ。まず青星草で毒の外殻を溶かす。次に蛇舌花で毒の核を分解する。最後に月下――銀色の薬で呪いの残滓を洗い流す」
フィーネが横で一字一句漏らすまいとメモを取っている。
青星草のエキスを塗った瞬間、紫色の部位が微かに震えた。
毒の外殻が反応している。
続けて蛇舌花の液を塗ると、紫色が薄くなり始めた。
「効いてる……!」
フィーネが思わず声を上げた。
最後に銀色の薬液を塗布する。
すると――紫色が端から溶けるように消え、本来の肌の色が戻っていく。
「…………お」
伯爵が声を失っている。
硬化は完全に消えた。
エルザの右腕と右足は、元の柔らかな肌に戻っていた。
「あ、腕が……動く……!」
エルザが右手をゆっくりと持ち上げ、握ったり開いたりした。
「完了だ。ただし、まだ体内に微量の毒が残っている。銀色の薬液を朝晩一杯ずつ、五日間飲み続けてくれ。それで完治する」
残りの薬液を小瓶に分けて渡した。
「あ、あの……」
エルザが俺を見上げた。涙が頬を伝っている。
「ありがとう、ございます……。もう治らないって、言われて……」
「治らない病気なんてない。正しい薬を、正しい方法で使えば、大抵のものは治る。……回復魔法で治らないものでもな」
伯爵が跪いた。
領主が薬師に跪くなど、普通はありえない光景だ。
「レン殿……この恩は一生忘れない。約束した村への支援、必ず果たす。それだけではない。何か望みがあれば言ってくれ」
「では、ひとつだけ」
「なんだ」
「辺境の毒の森を、俺の管理地として認めてほしい。あの森には希少な薬草がある。乱獲されないよう、管理が必要だ」
「……それだけでいいのか? 金でも地位でも、望むものを」
「薬師に必要なのは、金でも地位でもなく、薬草だ。それさえあれば十分です」
伯爵は深く頷き、その場で管理権の書状をしたためてくれた。
◇
領都を発つ前に、マルクスが耳打ちしてきた。
「レン殿。実は一つ、気になることがある」
「何だ?」
「エルザ様の紫石病……自然に罹患したとは考えにくい。深淵蠍は、このヴェルダン領には生息していないのだ」
「……何が言いたい?」
「つまり――誰かが意図的に、エルザ様に毒を盛った可能性がある」
俺は黙ってマルクスを見た。
「心当たりは?」
「……調査中だ。だが、最近この領都に怪しい薬師が出入りしているという噂がある。領主の政敵と繋がっているとも聞くが、確証はない」
毒を使う者がいる。
それも、深淵蠍の毒という高度なものを入手し、使用できる者が。
「……分かった。何か分かったら教えてくれ」
「ああ。レン殿にも気をつけてほしい。毒の専門家であるあなたは、その者にとって邪魔な存在になるかもしれない」
馬車に揺られて村に帰る道中、俺は考えていた。
深淵蠍の毒を意図的に使う薬師。
それは、薬師の技術を悪用する者がいるということだ。
毒と薬は表裏一体。
俺がいつも言っていることだが、その言葉の裏側を見せつけられた思いだった。




