第5話 来訪者
薬草園を作り始めて二週間が経った。
蛇舌花と甘露草は予想通り順調に成長し、最初の収穫が見えてきている。フィーネの毒身慣らしも進んでおり、軽い発疹が出た以外は問題ない。
薬草の暗記は三十種まで到達した。飲み込みが早い。
「レンさん、この薬草は……紅眠花に似てますけど、葉脈の色が違います」
「よく気づいたな。それは紅眠花の亜種で《血涙草》。鎮痛効果はないが、止血作用が紅眠花の三倍ある。見た目で判断するな、葉脈と匂いで見分けろ」
「はい!」
フィーネが一人前の薬師になるには何年もかかる。だが、基本的な薬の調合を手伝えるレベルなら、半年もあれば到達できるだろう。
そんな穏やかな日々に、変化が訪れたのは午後のことだった。
「レンさん! 村の入口に馬車が来てます!」
フィーネの声に、俺は作業場から顔を出した。
こんな辺境に馬車で来る者など珍しい。
しかも、一台ではなく三台。護衛の騎士まで付いている。
先頭の馬車から降りてきたのは、高そうな衣服を纏った中年の男だった。
その胸元にはヴェルダン領の紋章。
「領主の使者か」
男は村長と何やら話した後、こちらに向かってきた。
「あなたが薬師のレン・アシュフォード殿か」
「ああ、そうだが」
「ヴェルダン領主リヒター伯爵の家臣、マルクスと申す。主より命を受け、参った」
「領主が俺に何の用だ。この村が病で助けを求めたときは、取り合ってもらえなかったと聞いているが」
マルクスの表情が一瞬曇った。
「……その件については、主も反省しておる。だが今回は別件だ。領主の一人娘、エルザ様が原因不明の病に侵されている。領都の医者も、招聘した魔法使いも手の施しようがない」
「症状は?」
「高熱、全身の痺れ、そして――体の一部が紫色に変色し、石のように硬化していく」
「…………」
紫色の硬化。
それは通常の病気ではない。
「《紫石病》だな」
「知っておるのか!?」
「文献でだけだ。極めて珍しい。特定の魔物――確か《深淵蠍》の毒に由来する呪い病だ。回復魔法では治らない。通常の解毒剤も効かない」
「やはり……。領都の医者も同じことを言った。もう手がないのだと」
「手がないとは言っていない。理論上は治せるはずだ。ただし、実際にこの病を治療した薬師がいるという記録は残っていない。俺が最初の挑戦者になる」
マルクスの目が見開かれた。
「やってくれるのか!?」
「紫石病は毒と呪いの複合症だ。毒の部分を先に分解し、呪いの核を露出させてから、それに対応した薬を投与する。……ただし、必要な薬の調合には特殊な材料がいる」
「何が必要だ。金なら出す」
「金じゃ買えない薬草だ」
俺は月下白蓮のことを思い出していた。
あの銀色の葉。あらゆる毒を中和するという伝説の薬草。
紫石病の治療には、通常の解毒剤では太刀打ちできない。
だが月下白蓮の成分なら、深淵蠍の毒すら中和できる可能性がある。
「……三日くれ」
「三日?」
「三日で薬を調合する。その代わり、条件がある」
「条件だと?」
「このルーゲン村に対する領主の支援。医療物資の定期的な供給と、瘴気対策のための人員派遣。辺境の村を見捨てない体制を作ること」
マルクスは眉をひそめた。
「……薬師殿。あなたは領主の娘の命を人質に、交渉をするのか?」
「違う。交渉じゃない。当然の対価だ。俺がこの村に来なければ、村人は三週間の病で死んでいた。領都が見捨てたからだ。同じことが二度と起きないようにするのは、領主の義務だろう」
しばらくの沈黙の後、マルクスは深く頭を下げた。
「……承知した。主に伝え、必ず約束を取り付ける。どうか――エルザ様をお救いいただきたい」
「ああ、任せろ」
◇
マルクスが去った後、俺はすぐに毒の森へ向かった。
月下白蓮の自生地へ直行する。
「あった……無事だな」
銀色の葉を持つ一株は、前回と変わらずそこに咲いていた。
今回は葉を三枚採取する。
一枚は解毒成分の抽出用。一枚は呪い分解の実験用。最後の一枚は予備だ。万が一に備えて残しておく。
慎重に、慎重に。この株を枯らすわけにはいかない。
「…………すまないな。大事に使う」
薬草に語りかけるのは薬師の癖だ。
師匠もよくやっていた。
村に戻り、三日間の調合に取りかかった。
紫石病の治療薬。
月下白蓮の葉から抽出した成分を基剤とし、蛇舌花の毒分解能力を組み合わせる。
さらに、青星草の解毒エキスと氷晶花の冷却成分で、硬化した組織を軟化させる。
「配合比は……月下白蓮が五、蛇舌花が二、青星草が二、氷晶花が一。温度管理が命だ。抽出温度が三度でもずれたら成分が壊れる」
フィーネが横で固唾を飲んで見守っている。
「レンさん……大丈夫ですか? ほとんど寝てないですよね」
「寝たら温度管理ができない。大丈夫だ、これくらいは慣れている」
三日目の朝。
琥珀色ではなく、淡い銀色に光る薬液が完成した。
「…………できた」
これまで調合した中で、最も美しい薬だった。




