第10話 薬師の道
万能薬の完成から数日。
その噂は、思いのほか早く広まった。
マルクスを通じて知ったヴェルダン伯爵が、領内に触れ回ったらしい。
「辺境の薬師が伝説の万能薬を作り上げた」と。
「……広まるのが早すぎる」
作業場で研究記録を整理しながら、俺は溜息をついた。
「仕方ないですよ。伯爵様、すごく感謝してますし」
フィーネが茶を淹れながら言う。この数ヶ月で、茶の淹れ方まで上手くなった。薬草茶のブレンドは俺が教えたが、味の微調整は彼女の方がセンスがある。
「問題は、噂が広まれば厄介な連中も寄ってくるということだ」
案の定、一週間もしないうちに来客が相次いだ。
最初は商人だった。
「万能薬を卸してくれ。一瓶金貨一万枚で買う」と言ってきた。丁重に断った。
次は貴族の使者。
「我が主の病を治してほしい。報酬は領地を一つ」と。症状を聞いて通常の薬で対応した。万能薬を使うほどのものではなかった。
そして――。
「レン殿。王都薬学院から正式な招聘状が届いております」
マルクスが持ってきた書状には、王都薬学院の院長の署名があった。
『万能薬パナケイアの調合に成功した薬師レン・アシュフォード殿を、王都薬学院の主席研究員として招聘したく候。研究設備、資金、人員、すべてを提供する用意がある』
「……王都薬学院の主席研究員か」
「すごいじゃないですか! レンさん!」
フィーネが目を輝かせているが、俺の気持ちは複雑だった。
「行かないぞ」
「えっ!?」
「王都に行けば確かに研究は進むだろう。だが、月下白蓮も心臓草も、この毒の森にしかない。薬草から離れた研究室で何ができる?」
「それは……そうですけど」
「それに、薬学院は政治と無縁じゃない。万能薬の利権を巡って、あっという間に研究を取り上げられるだろう。以前捕らえた闇の薬師だって、元は薬学院の人間だった。あの組織を全面的に信用するわけにはいかない」
俺は書状を丁寧に畳み、返事をしたためた。
『招聘の栄誉に感謝する。しかし、自分の研究は毒の森と共にある。もし薬学院が本気で万能薬の研究に協力したいのであれば、この辺境に研究者を派遣されたし。こちらで受け入れる用意はある』
「……これでいい」
「レンさんらしいですね」
「何がだ」
「自分の場所を、絶対に譲らないところです」
◇
その日の夕方。
薬草園の手入れをしていると、村の入口に見慣れた大男の姿があった。
「……ドルク?」
「よう、レン。元気か」
「お前こそ。ガルドたちはどうした」
「全員完治した。お前のおかげだ。……それで、実は頼みがある」
「また病人か?」
「いや。……俺を、ここに置いてくれないか」
「…………は?」
「【白銀の剣】を抜けた。ガルドとは……話し合って決めた。あいつも反省してる。パーティは解散はしないが、立て直しに時間がかかる」
「それで、なぜここに?」
「お前の研究の護衛が必要だろう。闇の薬師みたいな奴がまた来るかもしれない。俺は剣も盾も使える。薬草のことは分からんが、お前の仕事を守ることならできる」
ドルクの目は真剣だった。
「……それに、正直に言うとな。お前の隣で、お前の仕事を見ていたい。パーティにいた頃、お前の凄さを一番近くで見ていたのは俺だ。なのに、追放を止められなかった。その後悔が、ずっとある」
「…………」
「だから今度は、お前の味方でいたい。ちゃんと、お前の仕事を守る側に立ちたいんだ」
俺は少しだけ考え、フィーネを見た。
フィーネは笑顔で頷いている。
「……好きにしろ。ただし、村の仕事も手伝えよ。でかい図体を遊ばせておくのはもったいない」
ドルクの顔が、ぱっと明るくなった。
「任せろ! 力仕事なら誰にも負けない!」
◇
夜。
作業場の窓から、薬草園を見下ろした。
月明かりの下、銀葉草が銀色に光っている。
蛇舌花が夜風に揺れ、甘露草が甘い香りを漂わせている。
この数ヶ月で、俺の人生は一変した。
パーティを追放され、辺境に流れ着き、村を救い、弟子を得て、薬草園を作り、伝説の薬草を見つけ、万能薬を完成させた。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
万能薬の量産。心臓草と月下白蓮の栽培。毒の森の未知の薬草の研究。フィーネの育成。闇の薬師のような存在への対策。そして、この村と村人たちの暮らしを守ること。
やるべきことは山積みだ。
「レンさん」
フィーネが作業場に入ってきた。手には薬草茶が二つ。
「今日の分の毒身慣らし、終わりました。もう苦いのにも慣れました」
「そうか。……どれ、今日のテストだ。心臓草の特徴を言ってみろ」
「えっと……金色の光を発する、命の薬草。五枚の心臓型の葉と一輪の赤い花を持ち、毒の森の最深部にのみ自生する。万能薬パナケイアの第七成分。……栽培方法は未確立」
「満点だ」
「やった!」
フィーネが嬉しそうに笑う。
外では、ドルクが村人たちと焚火を囲んで談笑している声が聞こえる。もう溶け込んでいるらしい。
「レンさん」
「ん?」
「私、薬師になれますかね。レンさんみたいな」
「俺みたいにはなるな。お前はお前の薬師になれ」
「……はい!」
窓の外、毒の森の方角に紫色の靄が漂っている。
あの森にはまだ、俺の知らない薬草がある。俺の知らない毒がある。俺の知らない可能性がある。
毒と薬は表裏一体。
その境界線の上を歩くことが、薬師の本懐。
俺は茶を一口飲み、研究記録帳を開いた。
明日もまた、新しい一日が始まる。
この辺境の小さな村から、世界を変える薬が生まれるかもしれない。
その日を目指して――俺は薬を作り続ける。




