第一話 逃亡①
序章のすぐあとの話です
老人の叫びが耳に刺さった。
「逃げろ!!」
その瞬間、胸の奥が“掴まれた”ように強く引かれた。
理由なんて分からない。
何から逃げるのかも分からない。
ただ――
逃げなきゃ。
その思考だけが、頭の中を支配した。
気づけば俺は、ドアを蹴り開けて外へ飛び出していた。
外は森だった。
夜のように暗いのに、どこか青白い光が漂っている。
木々の間を風が走り抜け、葉がざわざわと揺れる。
俺はただ、ひたすら走った。
息が切れても、足が痛くても、
何度転んでも、立ち上がって走った。
(……なんで逃げてるんだ俺)
分からない。
でも、止まったらいけない気がした。
胸の奥で、あの言葉が何度も反響する。
逃げろ。逃げろ。逃げろ。
まるで呪いみたいに。
――ガサッ。
突然、前方の茂みが揺れた。
ヒュン、と風を切る音。
次の瞬間、俺の目の前の木に矢が突き刺さった。
「動くな!」
後方から鋭い声が飛ぶ。
「そのまま手を挙げて、ゆっくりこちらを向け」
言われるままに手を挙げ、振り向くと――
炎を纏った槍を構える女性と、
弓をこちらに向ける少女が立っていた。
――やばいやばいやばい。
全身に突き刺さるような殺気。
息が苦しくなる。
動いたら殺される。
動いてはいけない。
……はずなのに、
身体は一刻も早くここから逃げろと動き出そうとしていた。
その一瞬を見逃さず、弓の少女が俺の足元に矢を放つ。
「動かないで」
少女が冷たい声で呟き、
すぐに次の矢をつがえる。
――だめだ、逃げられない。
「こいつ……禁術の協力者か?」
槍の女性が低く呟く。
――こいつら、さっきの襲撃者か。
槍を構える女性の瞳がさらに鋭くなる。
……いやいやいや、誤解だろこれ。
「ち、違っ……俺は――」
言いかけた瞬間、
胸の奥がまた強く締めつけられた。
逃げろ。
(……っ!)
身体が勝手に動いた。
反射的に横へ飛び、地面を転がる。
直後、少女の矢が俺のいた場所を貫いた。
「逃げた!? 速っ……!」
「こいつ……待て!」
違う。
逃げたいわけじゃない。
でも止まれない。
止まったら――
何かに“縛られる”気がした。
(なんでだよ……なんで逃げてんだ俺……!)
自分でも分からないまま、
俺は森の奥へ奥へと走り続けた。
背後から「待て!」という声とともに矢が飛んでくる。
飛んでくる矢を何とかギリギリよけながらも走る。
(なんでこうなった……
昔からこうだ……
俺はとにかく運が悪い)
分かれ道が現れる。
後ろから二人が迫ってくるのが分かる。
考えている暇もなく俺は咄嗟に左へ行こうとした、
その時――
「おいおい。そっちは行き止まりだよ」
頭上から柔らかい声がした。
見上げると、
黒い猫が木の上から俺を見下ろしていた。
……猫?
いや、猫がしゃべってる?!
「逃げたいんでしょ? 手伝ってあげるにゃ」
そう言った瞬間、
猫の周りの空気がゆらりと歪んだ。
次の瞬間、俺の身体は風に押されるように前へ跳ねた。
「にゃはは、ついておいで。
追われてるなら、もっと上手く逃げなきゃね」
黒猫は、
まるで俺の“逃げたい”という衝動を読み取ったかのように、
森の奥へと軽やかに駆けていった。
俺は、ただその後を追うしかなかった。
理由も分からないまま。
逃げることだけが、唯一の行動指針になっていた。
しばらく逃亡シーンがつづきます。
とにかくずっと逃げてます。




